その35 技法なんて、どうでもいいことなのです。その35 技法なんて、どうでもいいことなのです。

加計呂麻島の諸鈍(しょどん)という集落にあるデイゴ並木の木漏れ日。

「‥‥写らない!」からスタートした湿板写真でしたが、
なんとか安定して写るようになって来たので、
いよいよ、ぼくらは木漏れ日撮影に集中しようと、
奄美大島の南に位置する加計呂麻(かけろま)島という
小さな島に移動して、撮影を再開しました。

加計呂麻島は、奄美大島の古仁屋(こにや)という港から
ジェット船ならばわずか15分という近さなのですが、
島の様子は、まるで時間の速度も変わったかのように
奄美とは一変します。
すべてがゆったりと動いてます。

ぼくらは、西阿室(にしあむろ)という
夕日が美しい集落にある「南竜」という民宿を拠点に、
デイゴ並木がある諸鈍(しょどん)、
ガジュマルの大木がある於斉(おさい)といった
いくつかの集落に出かけては、
毎日、日没直前まで、木漏れ日の撮影を繰り返しました。

湿板写真は、前回お話ししたように、
撮影してからすぐに現像処理をしなくてはいけないので、
おのずと撮影枚数も限られてきます。
1日およそ15枚から20枚です。

カメラはディアドルフ8x10、レンズはダイメイヤーという
イギリス製の古いレンズにて撮影

一日の撮影を終えて、
撮影地の近くの水道をお借りして水洗処理をして、
その後民宿に戻って、
撮影してきたガラス板を、
一枚一枚確認のためにスキャン、
インクジェットプリンターでプリントしました。

最初は、通常の銀塩写真のように、
いわゆるベタ焼きでプリントしていたのですが、
ぼくらの湿板写真は、アンブロタイプと呼ばれる
ガラス板そのものがオリジナルのものなので、
コントラストがとても低くて、
密着プリントには適していません。
スキャンした上で、コントラストを調整して出力した方が、
確認には適していることに気付いてからは、
ずっとこの方法で確認作業を進めています。

毎日毎日、木漏れ日の撮影を繰り返し、
こうやって、コンタクトプリントを並べていくうちに、
ぼくは、これらの一枚一枚の小さなガラス板を、
なんとかひとつの集合をして見せることが出来ないか、
それも、一枚の大きなガラス板として、
定着できないものかと考えるようになりました。
奄美から戻ってすぐに、この「湿板写真プロジェクト」を
応援してくれていた旭硝子さんに相談して、
合わせガラスのテストをお願いしました。

ガラス乾板の時代、富士フイルムのガラス乾板は
すべて旭硝子さんのものだったようですが、
この合わせガラスは、
旭硝子さんにとっても初めての試みとのこと。
乳剤が剥離してしまうのでは、と懸念されましたが、
結果として、大成功しました。
そうやって、計25枚構成の大ガラスの制作が進められました。

この木漏れ日大ガラスは、
今でも、ぼくらにとっても大きな宝物です。
結果として、デイゴで2枚、ガジュマルで2枚、
計4枚の湿板大ガラス写真が完成しました。
一人で持ち上げることが不可能なほどの重さを持つ
大きな写真です。
にもかかわらず、この中の1枚は、海を渡り、
ニューヨークの「PACE/McGILL Gallery」で
展示されることになりました。
久保さんをはじめとしたスタッフと共に
ぼくもニューヨークに向かい、
展覧会の前日に展示を手伝おうとしたところ、
「展示は私たちでやるから、明日を楽しみにしていてね」と。
次の日に会場を訪れると、
なんと、入って一番最初の壁面にぼくらの写真が!
しかも、この湿板写真を見せるために、
壁は黒く塗られていました。
ほんとうにうれしい出来事でした。

ニューヨークの5番街にある「PACE/McGILL Gallery」にて

「何も写らない」から始まった湿板写真プロジェクトは、
さらにいくつかの偶然と幸運に恵まれました。
奄美群島返還50周年記念として田中一村記念美術館において
「あかるいところ」というタイトルの個展を開き、
もし東京でやる予定がないのだったらと、
友人たちが企画してくれて
「バンザイペイント」や
「ビームス」のショップでの展示が行われました。
そんなふうに、小さな始まりが、
どんどん拡がっていったのですが、
ぼくにとって一番うれしかったことは、
この「湿板写真」を始めたことで出会えた人々がいたことでした。
なかでも、ぼくらが拠点にしていた
西阿室の集落の人々は格別でした。
最初は、白衣を着たぼくらのことを
少しばかり警戒していたのかもしれませんが、
日を重ねるうちに、撮影を終えて戻ってくるぼくらに
「お疲れさま。お帰りなさい」
と声をかけてくれるようになり、
そのうちに「ちょっと上がって、お茶でもどうぞ」
と誘われ、挙げ句の果てには
晩ご飯をごちそうになってしまう程でした。
そのことに対してお礼をしたいと思ったのはもちろんのこと、
ぼくは、なんとしてもその気持ちを写しておきたいと、
民宿の軒先をお借りして、
一日だけの「湿板写真館」を開催しました。
町内放送を使用してお声がけしたところ、
集落の老人会の方々が、ほぼ全員集合。
みなさん、少しばかり緊張した様子ながらも、
湿板写真にも興味津々で、
堂々とカメラの前に立ってくれました。

総勢30名のポートレイトを撮影させてもらいました。

そもそも──、技法なんてどうでもいいことなのです。
ぼくは写真を始めた時からずっと、
この世界の“あたたかい”と感じられるなにかを、
しっかりと見つめて、それを写していきたい。
と考えていきました。
例えば、アナログレコードからCDに変わった時に、
「音が細くなってしまったなあ」という印象がありました。
写真の世界でも同じようなことが起きていて、
だからこそ、ぼくは湿板写真という方法を
試してみたのかもしれません。
その結果、あたたかい光の印象を写すことが出来たのですが、
今となってはそのことよりもむしろ、
あの場所で、この人たちに出会えたこと、
そして、このような写真が撮れたことが、
ぼくにとっては何よりも信じられることです。

2016-12-15-THU