上着をもういちど着て、
「先生」から「編集長」へ戻られ、
「BRUTUS」ならではの
おされスポットに
旅立って行かれました。
編集長、
静岡おでんのように濃い、
おもしろい話をたくさん
ありがとうございました。
また、遊びにきてください。
長かった夏休みも
もうすぐ終わりです。
それでは、これにて、
「勉強の夏、ゲームの夏。」
勉強サイドを終了します。
ごらんいただきましたみなさま、
ご参加いただきましたみなさま、
ほんとうに、ありがとうございました!
(おしまい)
では、もうひとつ、お願いします。
「いけるカナー」
ノートの使い方がわかりません。
看護専門学校受験を控えています。
科目は、現代文(古文、漢文除く)、数学?・A
英語です。
ただ、らくがき帳的にに繰り返し書くだけなので、
書いてはポイ、書いてはポイ
手元にはなにも残らない状態です
覚え方やノートの活用の仕方、
役に立つように見返せる
ノートの取り方が知りたいです。
(watatumi)
<西田先生の答え>
ぼくも、学生のときに
ノートを使い切ったことはありませんでした。
書き出しが気に入らなくて、破ったりしていくうちに
どんどんノートがうすくなっちゃってね。
だから、きちんと記入している人の
ノートってのぞきたくなります。
ノートをきちんとつける才能は
いまでも身につけられてないんだけど、
ノートって、勉強そのもののためというよりも
自己満足のため、
自分でここまでやったんだと思えるための存在として
とても大切なものだと思います。
大人になって、
ノートをうつくしくつけることよりも、とにかく
「使い切る」ということをはじめました。
その満足感のほうを優先してみたの。
「こんなに雑でいいのか?」「読めんの?」
とか思うんだけど、
ところが、偉大な人のノートって意外と
すごい殴り書きだったりするんだよ(笑)。
だから、きれいにまとめなくていいとぼくは思います。
手を動かして、びっちり自分の字が
うまっていく感覚を
大切にしてみてはどうでしょうか。
そうしていると、ときどき誰かが間違って、
ほめてくれるかもしれません。
*
そうだ、もうすぐ「手で書く手帳展」が
渋谷ロフトで開催されます。
お近くでしたら、お越しくださいねー(菅野)。
では、ここで、
質問コーナーにまいりましょう。
「答えられるカナー」
お願いします。
「うっかりミス」にとても困っています。
出来た! と思って見直しても
違いが判らないのですが、
あとで回答欄を見てみると
それは違うだろう、という足し算の間違いや、
選択肢の間違いをしています。
勉強以外でも、うっかりなミスが多いです。
注意している、はずなのに、
注意出来てないところで間違うなら
予防できないじゃない、と、思ってしまいます。
少しでも減らす方法はありますか?
(た)
<西田先生の答え>
うっかりミスはうっかりしているからやるわけです。
これはね、まぁ、あきらめるとよいと思います。
ぼくの父は、出かけるときに毎回
忘れものをして2度ほど家に戻ってきます。
それは、同じように、ぼくもやってしまいます。
これはどういうことかというとね、
「行く、という行為をしないと
思い出せないことがある」
ということなんですよ。
出版の仕事をするようになって
仕事上でのうっかりミスは減ってはきているけど、
いまだに忘れものはします。しょうがない。
回答欄を見なおして思い出せるんですから、
それがひとつのアドバンテージです。
けれども、
ホントはできていたのに、という人と
できている、という人の差は大きいことは確かです。
それは、決定的な違いです。
西田さんは続けます。
「ぼくはよく、80点でいいから
長続きしようね、と思っています。
新潮社の矢野さん(編集者)が、
『150万部売れて
3〜4年で忘れられてしまう本よりも
年に3000部でも
20年かけて6万部売れる本を作りたい』
という言葉をおっしゃっていました。
実際、矢野さんは、椹木野衣さんの著書で
20年かけて6万部を達成した本を
編集しておられます。
そんなふうに毎年必要とされる本っていいですよね。
大当たりするよりも、すくない部数で
長く売れ続ける生き方がいいとぼくも思います。
長くやってると、信じられないくらい
たのしいことが起こるものです。
結局のところ、最初のほうから言っているように
自分が正しいと言える生き方をしたいんです。
スティーブ・ジョブズが講演で
人生には少しも無駄がない、と言っていましたが、
それを聞いて
『じゃ、俺のいまやってること、無駄じゃないんだ』
なんて解釈する若者がいたらそれは大まちがい。
ジョブズは、自分を活かすように、
仕事を作っていったんだよ、
人生の無駄がないように、自分が正しいように、
作っていったんだってこと。
それが重要なのです」
では西田先生、
わたしたちが勉強する理由ってなんでしょう?
「勉強する理由ねぇ。
ぼくは、大学を卒業して博報堂に入りました。
いまはLINEやらTwitterやらありますが、
ぼくが学生時代はノートでしたからね、
学校の回覧ノートにおもしろいことを書いては
みんなにいいね、いいね、してもらってたわけです。
だけど、そんなことは会社では通用しない。
ぼくが配属になったクリエイティブの部署には
先輩方に、偉大なコピーライターや
CMプランナーがいらっしゃいました。
先輩で、東大の医学部保健学科出身の方がいました。
とてもおもしろい人で、
いつもは雑談ばっかりしてくれるんですけども、
『さて!』といったときの集中力は
鬼、という字がつくくらい、恐ろしいものでした。
息もしないくらいでした。
その姿はうつくしかったです。
あの集中力さえあれば、俺にも賞が獲れるのに、
と思ったことを覚えています(笑)。
だから、勉強はまず、集中力をつけるのにいい。
勉強というものは、与えられたタスクを
ゲームのように解いていくという、
わかりやすい『枠組み』なんです。
仕事は、問題は与えられません。
自分で問題をさがす場所です。
でも、自分でさがした問題を解いていくときに
細かいことをやりこなす力というのは、
のちのち自分のいいエンジンになるということは
まちがいありません。
勉強したことは、役に立たないかもしれないけど、
勉強することじたいは、あなたの役に立ちます」
では、話を本題に戻して
(どこが本題なのかよくわからなくなりました)
西田編集長がどのように「受験勉強」をしてきたか
についてお伺いします。
「ぼくは中学時代、こんにゃくのようにふざけすぎて
私立高校に行きました。
海城高校ということろです。
高校生活はたのしかったけど
受験の高3は、思い出そうと思っても
思い出せないくらいつまらなかった。
大学も落ちて予備校の試験も落ちた。
浪人しました。
ちょっとランク下の予備校に行って、
夏までずっと遊んでいました。
でも、7月になったある日、ふと気づきました。
このままだと楽しすぎる‥‥。
これはいけない、と奮起しました。
ぼくの受験科目は国語、英語、世界史。
国語と英語は得意だったのですが、
世界史の偏差値は30代。
数ヶ月、がんばりました。
教科書にしたのは代々木ゼミナールの
山村良橘先生の、
世界史の年代を語呂で覚えさせる本。
あとは、出村くんという友達から譲り受けた、
世界史の書き込み式の参考書。
これ2本だけ。
勉強をする本数を少なくしてやりました。
本数を少なくしてやり切ることでしか
乗り越えられないタイミング、というものが
世の中にはあるのです。
それならあわてずにできる。
最後のほうの模試の偏差値は70でした。
3か月でやったことは
1か月で忘れます。
それはしかたありません。
いい本をみつけて読み切る、というのは
いまの編集の仕事でも同じことが言えます。
資料をうずたかく積むよりも、
まず一冊読みきって、
だいたいのかたちをつかみます。
そうして、他の本も読んでみると、
共通点が見えてくる。
詳しい人に会って、話を聞いてみます。
それについて、口に出してしゃべってみます。
人が話を聞いてくれると、かんどころがわかってきて
企画が立てられます。
とにかくまずは、全体像を把握すること。
あ、最初に読む本には、
読みながら先を引いちゃダメだよ?」
わたしはけっこう線を引くのが好きなんですが、
ダメですか‥‥。
「線を引くと、満足しちゃうからね。
よく、英語の得意な人にいわれることだけど、
英文を読んでいるときに、
わからない単語が出てきても、
辞書を引いちゃダメだと言われます。
あれは、ひとつの単語がわからなくても、
わかるようになるから、ということなんです。
流れを止めちゃうよりは、
とりあえず目的地まで行こう。
そこで調べるよりももっと大きなものを得られます。
だから、最初に読むときは特に、線は引かない」
なるほど、わかりました。
「ぼくはそのようにして本で育ったから、
物語がいかに大事かってことが言いたくなる。
ヤン・マーテルの『ライフ・オブ・パイ』を
読んでほしいんだけど、
つまり、物語にしか語りえない現実が
あるんだっていうことを思います。
でもね、ぼくらの時代は
アメリカが正義、ソ連が悪、みたいに仕立てて
スパイ映画を作っていればよかった。
世界の全体像を知らなかったから
勧善懲悪の物語でよかったんです。
いまは、正義の味方にも逡巡がある。
悪の一味にもいい奴がいます。
ある程度の誤解をもとにしていたとしても、
みんな、世の中のことは見えてきています。
ほんとうはそのほうがおもしろいんだけど、
複雑になってきてるんだよ。
眞木準さんが伊勢丹のコピーに
『ハッピーエンド、始まる。』って書いたけど
ほんとうにそのとおりなんだよね。
すべての枠が、こわれてる。
何をやっていればいいのか、わからない。
選択が多い。
‥‥ということは、つまり、
正しい選択はない。
これをよくわかっていないといけないんです」
正しい選択はない?
「そう。正しい選択なんてないから、
自分のやった選択を正しいことにするしかない」
ははぁー。
それはつまり、
自分の得意なことを好きなように選んで
それを正しい選択にするようにがんばるしかない、
ってことでしょうか。
「そうかもしれない。
ぼくも、人からよく
『なんでそんなにものを知ってんの?』
と言われますが、
ちがうの、何言ってんだっつーの、
そこに持ってってんだ、っつーの。
何にでも首をつっこむ性格だから
へんな話を知ってるだけで
俺が輝いてるように見えるってだけなんだって」
そうなのか。
勉強以外の教科はどうでしたか。
「言い忘れたけど、ぼくは
体育が全然ダメでした。
小2からメガネで、ま、パイロットにはなれない。
父がスポーツのアナウンサーだったので、
その反抗心もあって、
オリンピックも野球も巨人の星も見ずに
育ちました。
部活はバドミントンと卓球でしたが、
バドミントンは3回以上打ち返せない、
卓球にいたっては、サーブしかできませんでした。
そして、野球は、川上哲治さんの野球の本を借りて
ぜんぶ、書き写すことで克服しました」
え!!
「しかし、水泳は得意でした。
水泳も、本をいっぱい買って、
最新のキック法を研究し、
勝手にスイミング教室でそれをやり、
コーチにビート板で頭を殴られたりしました」
そんな‥‥‥!!
「小さいころはオカルトブームが来ていたので、
特殊能力を持つことに憧れました。
超能力入門のような本を買い、
ESPの練習をしました。
夢は、ハンガーにかけてある学生服が
自分のところにやってきて、着られる、
という超能力を身につけることでした」
が‥‥学生服ということは、エスパーを夢見たのは
4〜5歳じゃなくて‥‥
「14〜15歳」
ひー。
「小学生のときは、エスパーじゃなくて
スパイになりたかったのです」
ある意味、後退してる‥‥
「エスパーのあとは手品だったな。
なんか、日常の、
そうたのしくもない瞬間を知っていたんでしょうね。
だってぼくは、自分がつまんないやつだと
思っていたから。
小学〜中学時代ってさ、
・ガキ大将
・勉強ができる
・スポーツが得意
この3つしか、ヒーローにはなれないんですよ。
いまから考えれば大多数の人が
ヒーローにはなれません。
だから、自分がスパイのような使命をおびれば
こういう毎日を生きていける、と思っていました。
つまり、コンプレックスのかたまりでした。
我が世の春は、いつでもなかった。
先生から体育の時間などに
『はい、ふたりひと組になって』
と声がかかると、いつも
あ、俺あまるな、と思っていました」
そういった、自分の不安定さは
誰しもが持っているものだと思います。
「でも、悲しくも、絶望はしていないでしょ?」
はい。
「ぼくはとくに
転校生だったからそうなのかもしれないけど、
過剰に外交的になることもある。
みんなある意味、孤独なものなんだろうと思う」
将来なんになろう?
なんて、考えたりしていましたか?
「いやぁ、ぜんぜん。
その点じゃ、いまの子たちより
そうとうウブですよ。
いまはいろんなことが研究共有されているけど
ぼくらのころは、目の前のことをやるので
精一杯でした。
‥‥でも、いまももしかしたら、
いっしょかもしれないけどね。
ぼくの場合の勉強法はまず、参考書を買う。
参考書って、買うと気持ちいいでしょ。
武装した感じがする。
いまでいうと、
アプリをダウンロードする感覚かなぁ、
それか、あたらしい電化製品を買うときの気持ち。
それから、予定表を書く。
ぼくは予定を立てるのが大好き人間です。
たとえば、30日後の自分が
どうなってるかを考えるのが大好きなのです。
ただし、予定はえんぴつで書きます」
なぜなら、予定を変えるから。
「そうです。書き直す。
予定表を書いた日はなにもしない。
3日経ってたいしてすすんでない、書き直す。
20日くらい経って、やってない。やりなおし」
それでも、予定表を書くのが好きでした。
「好きでした」
将来のことはおろか、近い将来のことも、
つねに、えんぴつで。
「そう。とりえがないから、
努力するしかない、ってしょっちゅう
親には言われていたのにね。
すぐ先のことも、若い頃は想像できなかった。
ただ、今日もダメだった、
いつものように、ダメだった、
そう思うだけでね。
それは成長期の楽観だと俺は思う」