「旧駅舎という場で、
ほぼ日はなにができるのか?」
ほぼ日は、あかぎで場つくりに挑戦中です。
そのはじめの一歩は、赤城山頂の鳥居峠から。
具体的には、鳥居峠にある、
「旧赤城山鋼索鉄道 赤城山頂駅駅舎」が
その舞台です。
はじめてこの構想を聞いたとき、
「かつての駅舎」という響きだけでも、
まだどんな場所か具体的に知らないうちから
なんだかワクワクしたのを覚えています。
「駅」ってことばを思い浮かべただけで
人によっては、ノスタルジーを感じたり、
旅立ちや別れ、出会いを思い出したり、
日常のワンシーンやお出かけの高揚感など。
きっと其々に思い浮かべる、
具体的な駅の映像とまつわるエピソードが
あるのではないでしょうか。
私の中でぱっと思い浮かぶ駅は、
小学生の頃、通学に使っていた駅でしょうか。
Herrliberg-Feldmeilen駅
スイスのチューリッヒ郊外にある
住宅街の小さなローカル感が漂う駅です。
隣町からスクールバスに乗るために、
数駅分の電車通学に利用していました。
日本の首都圏のように数分おきに
電車が来ることはなく、
また、時刻表もあまり正確ではありません。
家から駅までの坂道を下る途中で、
電車が近づいてくるのが眼下に見えたときには、
それはもう猛ダッシュです。
改札がないので階段を降りた
勢いそのままに電車に駆け込んでいました。
(注)皆さま危険なので駆け込み乗車は
決してしないでください。
逆に、人影がまばらなホームで待てど暮せど
電車が来ない、なんてことも。
ようやく構内放送がかかったと思ったら、
「運転士さんが寝坊をしたので、
次の電車は来ません」
「!!!」
もはやスクールバスに間に合うはずもないので、
下ってきた坂をこんどはダッシュで上り、
自宅に戻って親に頼み込んで
学校まで送ってもらったのも良き思い出です。
なんてことのない日常の一コマだったのですが、
坂を下って、コーナを曲がると、
見えてくる線路とホーム、その先の湖の景色は、
歳月が経ってもはっきりと映像として残っています。
‥‥と、駅にまつわるエピソードひとつで
だいぶ脱線していまいますね。
失礼致しました、本題は「赤城山頂駅」です。
あかぎのまど。でも何度かご紹介している通り、
赤城山にはかつて「赤城山鋼索鉄道」が通っていました。
東武鉄道グループの
赤城登山鉄道株式会社が運営し、
旧黒保根村(現桐生市)にある「利平茶屋駅」と
旧富士見村(現前橋市)の「赤城山頂駅」とを
結ぶケーブルカーでした。
浅草駅から群馬県内の
新大間々駅(後の赤城駅)の路線をもつ
東武鉄道株式会社が、赤城山の観光開発のため
首都圏と赤城山を結ぶ回遊ルートを計画したものです。
1956年建設、1957年開業、
1968年に全線廃止。
約10年という短い期間でしたが、
当時から四季を通じてたのしめる観光地として、
赤城大沼を中心に観光客で賑わったようです。
赤城登山鉄道の廃業後から少し時間があいた後、
1983年に「展望レストラン」が営業を開始、
1994年に「赤城山頂駅記念館
サントリー ビア・バーベキューホール」
と改称し、現在の
「赤城山頂駅記念館
サントリー ビア・ハイランドホール」
につながっていきます。
そして、「鋼索鉄道」という言葉。
聞き慣れない方が多いかもしれませんが、
鋼索(ケーブル)に繋がれた車両を
巻き上げ機により運行する鉄道で、
車両に動力は無く、運転手は駅舎等の建物内で
ケーブルの操作等を行い運転するものとのこと。
実際、現在の旧駅舎の地下空間では、
当時の巻き上げ機の名残を確認できます。
地下部分は倉庫として利用されていたため、
来館者が目にする機会は
これまでほとんどなかったのですが、
現地に通う中でこの名残を目にした
乗組員たちは思わずテンションがあがったので、
なにかしらの形で皆さまが、
ケーブルカーの歴史・名残を
見て、感じることのできる空間や
仕掛けにできたら、なんて話もしています。
「駅舎」という象徴的な空間を活かしながら、
どのようにほぼ日らしい場に転換できるのか。
日々、絶賛アイデアを巡らせ中です。
桐生市のホームページ上で、
ケーブルカーが運行していた当時の姿を
垣間見ることができるので、ぜひ、
これらの名残がどんな形で残っているのか、
想像していただけたらと思います。
また、よろしければ皆さまの
「駅」エピソードもぜひ教えてください!
ほぼ日はなにができるのか?」
ほぼ日は、あかぎで場つくりに挑戦中です。
そのはじめの一歩は、赤城山頂の鳥居峠から。
具体的には、鳥居峠にある、
「旧赤城山鋼索鉄道 赤城山頂駅駅舎」が
その舞台です。
はじめてこの構想を聞いたとき、
「かつての駅舎」という響きだけでも、
まだどんな場所か具体的に知らないうちから
なんだかワクワクしたのを覚えています。
「駅」ってことばを思い浮かべただけで
人によっては、ノスタルジーを感じたり、
旅立ちや別れ、出会いを思い出したり、
日常のワンシーンやお出かけの高揚感など。
きっと其々に思い浮かべる、
具体的な駅の映像とまつわるエピソードが
あるのではないでしょうか。
私の中でぱっと思い浮かぶ駅は、
小学生の頃、通学に使っていた駅でしょうか。
Herrliberg-Feldmeilen駅
スイスのチューリッヒ郊外にある
住宅街の小さなローカル感が漂う駅です。
隣町からスクールバスに乗るために、
数駅分の電車通学に利用していました。
日本の首都圏のように数分おきに
電車が来ることはなく、
また、時刻表もあまり正確ではありません。
家から駅までの坂道を下る途中で、
電車が近づいてくるのが眼下に見えたときには、
それはもう猛ダッシュです。
改札がないので階段を降りた
勢いそのままに電車に駆け込んでいました。
(注)皆さま危険なので駆け込み乗車は
決してしないでください。
逆に、人影がまばらなホームで待てど暮せど
電車が来ない、なんてことも。
ようやく構内放送がかかったと思ったら、
「運転士さんが寝坊をしたので、
次の電車は来ません」
「!!!」
もはやスクールバスに間に合うはずもないので、
下ってきた坂をこんどはダッシュで上り、
自宅に戻って親に頼み込んで
学校まで送ってもらったのも良き思い出です。
なんてことのない日常の一コマだったのですが、
坂を下って、コーナを曲がると、
見えてくる線路とホーム、その先の湖の景色は、
歳月が経ってもはっきりと映像として残っています。
‥‥と、駅にまつわるエピソードひとつで
だいぶ脱線していまいますね。
失礼致しました、本題は「赤城山頂駅」です。
あかぎのまど。でも何度かご紹介している通り、
赤城山にはかつて「赤城山鋼索鉄道」が通っていました。
東武鉄道グループの
赤城登山鉄道株式会社が運営し、
旧黒保根村(現桐生市)にある「利平茶屋駅」と
旧富士見村(現前橋市)の「赤城山頂駅」とを
結ぶケーブルカーでした。
浅草駅から群馬県内の
新大間々駅(後の赤城駅)の路線をもつ
東武鉄道株式会社が、赤城山の観光開発のため
首都圏と赤城山を結ぶ回遊ルートを計画したものです。
1956年建設、1957年開業、
1968年に全線廃止。
約10年という短い期間でしたが、
当時から四季を通じてたのしめる観光地として、
赤城大沼を中心に観光客で賑わったようです。
赤城登山鉄道の廃業後から少し時間があいた後、
1983年に「展望レストラン」が営業を開始、
1994年に「赤城山頂駅記念館
サントリー ビア・バーベキューホール」
と改称し、現在の
「赤城山頂駅記念館
サントリー ビア・ハイランドホール」
につながっていきます。
そして、「鋼索鉄道」という言葉。
聞き慣れない方が多いかもしれませんが、
鋼索(ケーブル)に繋がれた車両を
巻き上げ機により運行する鉄道で、
車両に動力は無く、運転手は駅舎等の建物内で
ケーブルの操作等を行い運転するものとのこと。
実際、現在の旧駅舎の地下空間では、
当時の巻き上げ機の名残を確認できます。
地下部分は倉庫として利用されていたため、
来館者が目にする機会は
これまでほとんどなかったのですが、
現地に通う中でこの名残を目にした
乗組員たちは思わずテンションがあがったので、
なにかしらの形で皆さまが、
ケーブルカーの歴史・名残を
見て、感じることのできる空間や
仕掛けにできたら、なんて話もしています。
「駅舎」という象徴的な空間を活かしながら、
どのようにほぼ日らしい場に転換できるのか。
日々、絶賛アイデアを巡らせ中です。
桐生市のホームページ上で、
ケーブルカーが運行していた当時の姿を
垣間見ることができるので、ぜひ、
これらの名残がどんな形で残っているのか、
想像していただけたらと思います。
また、よろしければ皆さまの
「駅」エピソードもぜひ教えてください!