• 九段下の駅で‥‥。

    地下鉄のなかで
    またぼちぼちと電源を入れているのですが、
    外で携帯ゲーム機を遊ぶときに、
    やはりぼくはイヤホンをつなげて
    音を聴きながら遊ぶことを好みます。

    そりゃそうでしょ、
    って良心的なゲームファンは
    思うかもしれませんが、
    15分くらいのプレイ時間だったら、
    いちいちイヤホン出してつなげて、
    っていうのが面倒だから無音でやっちゃう、
    っていう人は、けっこう多いと思います。
    実際、電車のなかを見渡しても、
    そういう人は一定数、いる感じ。

    とくに、そのゲームにとって、
    音声がシステム的に
    深く影響していない場合は、
    音を聴かずにプレイしても
    大きな問題はないですからね。
    そういう意味でいうと、
    『とびだせどうぶつの森』も
    『ハッピーホームデザイナー』も、
    原則的には、音声を聞かずに
    プレイできないということはない。

    でも、最初に書いたように、
    ぼくは短い時間でもイヤホンをつけて
    音声を聴きながらプレイしてしまいます。
    で、たとえ電車の中の数分間であっても
    イヤホンをつけて3DSをプレイすると、
    やっぱり、こう、自分の感覚が、
    「ゲームをプレイしてるぞ」というモードに
    うすーく切り替わるんですね。

    なにが言いたいかというと、
    最近ぼくが感じている、たったひとつのことです。
    どちらかといえば、しょうもない話です。

    東西線の九段下の駅で、
    しばしばぼくは乗り換えるのですが、
    地下鉄の駅って、発車のメロディーが
    駅ごとに違ったりするじゃないですか。
    で、九段下の発着メロディーは、
    どうやら爆風スランプの
    『大きな玉ねぎの下で』という曲の
    一部をつかっているらしいんですが、
    これがね‥‥ゲームをやっているときに、
    ふっと耳に入ると、
    一瞬、『ゼルダの伝説』シリーズの
    宝箱を開ける音に聞こえるんですよ。
    わりと重要な宝箱を開けるときの、あの音に。

    ああ、いやいや、わかります、
    そういう「なにかがなにかに似てる」のって
    たいへん個人的なものですから、
    「え、どこが?」という反応の人も多いでしょう。
    まあ、そう聞こえる人もいるんだな、
    くらいにとらえてください。
    逆に、「そうそう、そう思ってた!」という
    九段下駅利用者の方がいらっしゃったら
    心の中の「そう思ってた!」ボタンを
    ばしばし押してください。

    ちなみに、律儀に、というと変ですが、
    ぼくはその『ゼルダ』の宝箱の音を聴くと、
    パッとからだが身構えるんです。
    というのも、『ゼルダ』シリーズの
    ファンの方はご存じかと思いますが、
    『ゼルダ』シリーズで、
    重要なアイテムが出そうな宝箱を開けるときって、
    すごくたのしみである反面、
    肩すかしを食らうことも多いんです。
    具体的にいうと、ダンジョンの深部で
    「マップ出ろよマップ、頼むよ」と願ってるのに
    「なんだよ、50ルピーかよ!」ってことも
    しょっちゅうあるんです。

    なので、電車の中で、ぼんやりと
    『ハッピーホームデザイナー』を
    プレイしているとき、
    不意にあの宝箱っぽい音を聞くと、
    昔、『ゼルダ』で苦労したときの感覚が
    勝手によみがえってきて
    「あまり期待しすぎないように期待する」
    というふうに身構えてしまうんです。

    「なに言ってるかぜんぜんわかんない」
    という人も多いでしょう。わかります。
    逆に、「そうそう、身構える身構える!」という
    九段下駅利用者の方がいらっしゃったら
    心の中の「私も身構える!」ボタンを
    ばしばし押してください。

    2015/10/13 19:05

  • ゲームと「ことば」。

    言い訳のように考えはじめたことが
    意外な方向へ広がっていったので書いてみます。

    『どうぶつの森』と
    『ハッピーホームデザイナー』を
    相変わらずのんびりプレイしてはいるのですが、
    ここにひょいひょいと投稿できずにいて、
    いつものごとく、多忙は怠惰の隠れ蓑、と
    反省したりしていたのですが‥‥。

    しかし、なんとなく、
    書く時間がとれないというだけじゃないよなぁ
    という気もしていました。
    だって、日々、ちょっとずつだけど、
    ゲームには触っていたりする。
    短い感想すら書けないのかといったら
    まぁ、そんなことはないわけです。
    それを職務としてとらえたら
    サボってんなよ、ということになるのですが、
    どうも、その当然の指摘の向こう側に、
    なにか、いつもと違う、
    いえ、厳密にいえば、
    以前から存在はしていたものの
    最近認識できるようになってきた
    ある「傾向」のようなものがあるなぁ、
    とぼくは感じていました。

    抽象的な言い回しを続けてしまって恐縮ですが、
    つまり、ぼくはこう感じるのです。
    ゲームで遊ぶことを「ことば」にすることが、
    なんだか少し負荷のかかることに
    なっているのではないだろうか。
    あまり自然ではないことというか、
    やろうとしてわざわざやらなければならないこと、
    というような。

    ぼくが年齢を重ねて、
    以前よりゲームに割く時間が
    圧倒的に少なくなったということはあるでしょう。
    同じ理由で、ぼくのまわりにゲームについての
    体験を共有する人が減ってしまって、
    おしゃべりする必要がなくなった、
    ということもあると思います。

    それはそれで、要因としてたしかにある。
    しかし、自分の側ではなく、
    ゲームのほうにも、
    なにか要因があるように思うのです。

    それは、『どうぶつの森』シリーズにかぎらず、
    もっと大きな、ゲーム全体についての印象です。
    ゲーム全体が向かっている方向、というのかな。
    あらかじめ書いておきますが、
    よいとか悪いとか、そういうことじゃなくて。

    かつてゲームは娯楽として異物で
    人々は戸惑ったり熱狂したりしました。
    ゲームに限らず、新しい娯楽というのは
    そういうものなのだと思います。
    あるとき世界にぽっかりと新しい遊び場が生じ、
    人々はそこで新しい遊びに興奮して
    時間やお金を悔いなくつぎ込む。
    つくり手は受け手のその熱気を受けながら
    寸暇を惜しんで制作し、胸を張って披露する。
    それに刺激されたつくり手がまたつくり、
    実験し、わがままを言い、組み合わせ、
    その手があったか! というようなものが発見され、
    仕組みや外枠がそれにつられて
    相乗的に大きくなっていく。
    広場は新しい遊びに満ちて、
    そこにどんどん新しい人が流れ込み、
    魅了された人どうしで語り合ったり、
    広場の外側にいる人たちと口論したりする。
    そう、そういうときには、
    「ことば」がたくさん生まれる。

    もしも、時代の経過とともに
    そういった構造がただ縮小すれば、
    「衰退する娯楽」として、
    つくられるものの規模や作品数や
    遊び手の数がだんだん少なくなっていって、
    語られる「ことば」がマニアックになっていく‥‥
    そういうふうになったと思うのです。
    (実際、ゲームのある部分は
     そうなっていると思う)

    しかし、ゲームという娯楽は、衰退していない。
    携帯ゲーム機がスペックがあがって
    時間や場所を選ばず高品質なソフトが
    遊べるようになったことや、
    スマートフォンという
    圧倒的なプラットフォームが
    世界にくまなく普及したことなどがあり、
    ゲームで遊ぶということを体験する人は
    これまで以上に増えていると思う。

    あらためて言うまでもないけれど、
    ゲームのありかたというのは、ずいぶん変わった。
    さきほどの遊び場の例でいえば、
    優秀なつくり手が磨き上げた新しい遊びが
    広場に登場してみんながそれに徹夜で没頭する、
    というようなことはかなり少なくなった。

    ゲームはダウンロードされ、追加配信され、
    気軽に無料で試すことができて、
    はじめることもやめることも簡単で、
    説明書を熟読しなくても理解することができ、
    少しの時間にもパッとその世界に入れるような
    「時間的に優秀なもの」が
    だんだんと主流になっていった。

    いわば、ゲームは、生活に溶けていった。
    それは、おかしな言い方だけれど、
    「ゲーム自体」が選んだ変質なのだと思う。

    もちろんそうではないゲームも依然あるけれど、
    全体の「傾向」としていえば、
    新しくつくられるゲームはぼくらの毎日に
    無理なく馴染むことを前提にする。
    水みたいに。呼吸みたいに。街並みみたいに。

    だからじゃないかな、と思ったんです。

    つまり、そういったものは、
    なかなか「ことば」にしづらい。
    ただ享受する、というほうが自然で
    わざわざ「ことば」にするには
    少し「よいしょ」という負荷がかかる。

    椎名林檎さんの歌に
    「時の流れと空の色に何も望みはしない様に」
    というフレーズがあるけれど、
    水や、呼吸や、街並みを
    わざわざ「ことば」にするには、
    なんというか、題目や専門性が要ると思う。

    ぼくは10年以上前に
    ゲーム雑誌の編集部に勤めていて、
    その意味ではゲームの体験を
    「ことば」にするのが仕事だった。
    そして、仕事であることを遥かに超えて、
    当時のゲームは「ことば」にされる必然性があった。
    同じ意味で異物だったし、特殊だったし、
    ある種、生活を切り離してその世界へ
    ざぶんと飛び込む必要があった。

    たまたまそういった
    激しい「ことばの時代」を知っているからこそ、
    いまの、生活に溶けているゲームとの間に
    ちょっとしたギャップを感じるのかもしれない。

    もう一度念を押しますが、
    どちらがよかったとかそういうことじゃないし、
    いまはいまで、ばりばりと「ことば」にするべき
    激しい新しさを持つゲームが
    きっと生まれてもいるのでしょう。
    それを詳しく知らない自分が
    ちょっと残念ではあります。

    しかし、あれだなぁ、
    ゲームが「ことば」にしづらくなってるかも、
    と思ったから書きはじめたのだけれど、
    ゲームが「ことば」にしづらくなっている
    ということ自体については、
    これこのように延々と
    長く書くことができるのだなぁ。

    あと、あれだね、
    インターネットをさがせば
    ゲームの明解な答えや詳細なデータが
    ぽんと見つかるというのも
    「ことば」を遠ざけている要因かもしれない。
    あ、まだ書くか、オレ。

    2015/09/21 11:53

  • 本気の「ごっこ」。

    『どうぶつの森』シリーズを遊んでいると、
    つい、本気になって考えてしまう。
    いや、おもしろいゲームを本気で遊ぶという
    ふつうのことではなくて、
    思考として日常的な真剣さで
    事に当たってしまう、ということである。
    夢の中で、とても不条理な状況なのに
    すごく真面目に考えて
    ふつうの受け答えをしてしまう、というのと近い。

    たとえば、「こどもがのびのび遊べる家」
    というようなことをリクエストされて
    ひとつひとつの家具を選んでいるときに、
    どうしても「これじゃ危ないな」
    という考えが頭から離れない。
    テーブルひとつ選ぶにしても、
    安定していて、角のないものを選んでしまう。
    この電気スタンドはかわいいけど、
    ひっくり返しちゃうだろ、という気持ちが消えない。
    花も飾りたいけど、危ないよなあ、
    せめて机の上に乗せて伝い歩きのときに
    手に届かないようにしようか、などと考えてしまう。

    良識のある常識人を気取りたいわけではない。
    むしろ、ゲームの中の要素をたのしむために、
    いろいろはっちゃけたい、という欲すらある。

    けれども、どうしても、思考がふつうである。
    「学校」をつくれ、といわれると、
    掲示物は目に見える場所に貼りたくなるし、
    イスを置くならイスを引くスペースを確保したいし、
    文字を書くときに手の影がじゃまにならないように
    黒板は窓に向かって教室の右側に据えたくなる。
    だから、いつも、仕上がりが「ふつう」だ。
    たまに突飛な部屋もつくってみようとするが、
    やっぱりいつもの「ふつう」に落ち着く。

    『ハッピーホームデザイナー』だけでなく、
    『どうぶつの森』シリーズ全般において、
    いつもぼくはこのあたりの
    「ふつう」と「突飛」を
    ゲームの序盤に何回か行き来したあと、
    やっぱり、どうしても、
    「ふつう」にしみじみとした喜びを感じて
    そちらを選ぶことになる。
    自分はこちらがいいのだ、と。
    それは、「シンプルで無難」というような
    デザインとしての「ふつう」ではなく、
    思考の筋道としての「ふつう」である。
    「ふつう」だから選ぶというよりも、
    違う道を目指すと「ムリ」をしなければならない。
    「ムリ」は心地よくない。

    けっきょく、ぼくは、どのゲームにおいても、
    「その世界にのめり込みたい」のである。
    その世界にのめり込むということは、
    「その世界のなかで
     本気で自分として振る舞う」
    ということであると思う。
    たとえば『MOTHER2』であれば
    裏庭に隕石が落ちてびっくりした少年として
    どう行動するだろうか、ということが軸となる。
    『ストII』であれば、気合いを入れれば
    両の手から波動のかたまりを打ち出すことができる
    努力の空手家としてそこに立っていたい。
    いや、笑い話みたいだけど、そうなのだ。
    だからこそ、マリオで予期せぬ奈落に落ちたときは
    お尻のあたりがヒヤッとしてしまうのだ。

    究極、それは、「ごっこ」であるのだろう。
    このゲームに限らず、ビデオゲームというのは
    だいたいぜんぶ「ごっこ」である。
    いや、ゲームに限らず、
    感情を移入してたのしむということでいえば、
    映画もマンガも小説もだいたいぜんぶ
    「ごっこ」としての側面を強く持っている。

    あらゆる「ごっこ」は、
    入口の垣根を跳び越えてそこへ入ったからには、
    本気で「ごっこ」をしないとおもしろくない。
    鬼ごっこは、本気で鬼に追いかけられている
    と思うからこそおもしろい。
    背後から、角を生やし、金棒を持ち、
    いくらはいても破れない虎のパンツをはいた‥‥
    いや、これは違うぞ、
    「鬼ごっこ」の「鬼」は
    「オニ」であって断じて「鬼」ではない。
    「鬼ごっこ」の「鬼」を
    日本マンガ昔ばなし風の「鬼」にした場合は、
    「ごっこ」の根本の世界観が変わってしまう。
    否! 「鬼ごっこ」の話をしたいわけではない。

    またやってしまったという感じで
    盛大に脱線しつつあるが、
    脱線ついでに寄り道して
    そこを経由しつつ本道を目指すとすると、
    ほぼ日刊イトイ新聞のコンテンツに、
    「気まぐれラジお」というものがある。
    これは、弊社の乗組員、山下とぼくが
    (あと、乱入してくる糸井重里が)
    ユーストリームの配信システムをつかって
    擬似的なラジオ風生中継をお届けするというもので
    ずばり、ページのド頭にも
    「ラジオごっこ」と名言してある。

    この企画を練り上げていく段階で、
    ぼくと山下はしばしば
    「ほんとにこれはラジオごっこだね」と話し、
    だとすれば、本気でラジオ風にすればするほど
    遊びとしてはおもしろくなると確認しあった。
    だから、合間に曲を流すようにしたし、
    メールを募集してそれを読み上げ、
    特別なステッカーをわざわざつくって、
    リスナーにプレゼントすることにした。
    あと、とくにコンテンツには表れてはいないけれど、
    じつはぼくらが放送室としてつかっている会議室は、
    生放送中、照明を蛍光灯から
    天井に吊すタイプのLEDライトに切り替えて、
    ラジオブース風にしている。
    そのLEDライトをどうしているかというと、
    放送前にわざわざぼくと山下が
    会議室の天井に取りつけているのである。
    なぜなら「ごっこは本気がおもしろい」からである。

    この「ラジオごっこ」に限らず、
    ほぼ日のコンテンツは、わりと多くのものが、
    構造として「ごっこ」を含むとぼくは思っている。
    もちろん、そのひとつひとつの「ごっこ」に
    本気で取り組むからこそ、
    お客さんに「ごっこ」を超えて
    おもしろがってもらえるのだと思う。

    余談の余談だけれども、
    つくるにしても、遊ぶにしても、
    「ごっこ」に「本気」で取り組むには、
    自分と同じ純度の「本気」を持った
    「ごっこ仲間」の存在が欠かせない。
    だって、「本気のごっこ」の最中に
    「所詮、ごっこじゃん?」という人が混ざると
    ややこしいし、娯楽の効率が落ちてしまう。

    さて、逸れた放物線をゆるやかにもどしながら
    もうひとつつけ加えるとすると、
    自分がなにかをはじめるときに、
    あるいは、そこに参加する人を集めるときに、
    「ごっこ」というのはとても都合がいい。
    いきなり本気で「野球の大会に出よう」というよりも
    「キャッチボールっておもしろいよ」と誘うほうが、
    言うほうも言われるほうも摩擦が少ない。
    同様に、『どうぶつの森』や
    『ハッピーホームデザイナー』も、
    入口で人々に呼びかけるときのテイストが
    「コミュニティ構築シミュレーション」
    というようなことではなく、
    「お店屋さんごっこ」だったり、
    「スタイリストごっこ」だったりするから、
    こんなにもたくさんの人が
    この世界に入り込んでいるのだと思う。
    (もっというと、
     「おもしろいゲームですよ!」という入口だって、
     ゲームをしない人にとっては高い敷居だ)

    つまり、入口や表層においては、
    「丁寧なごっこ」として振る舞い、
    いったん、「ごっこ」をはじめてからは、
    「本気」で取り組むことによって、
    本質的なおもしろさが深まっていく。
    いいゲームって、
    いつの時代も、どの規模のものも、
    そういうかたちをとっているんじゃないだろうか。

    ああ、すみません、長いですね。
    『どうぶつの森』や
    『ハッピーホームデザイナー』における、
    「いつもふつうなオレ」は
    「いつも本気」だからこそ、
    こうなっちゃうんだよなぁ、と思って、
    そのことを書こうとしただけなのです。

    あ、そういう意味では、今回、
    『どうぶつの森』の二度目のプレイを
    女性の自分としてはじめたというのは、
    ちょっとばかし反省点なんだよなぁ‥‥。

    それでは、また。
    今度はみじかく書きます。

    2015/09/09 18:00

  • いや、ふつうは‥‥。

    『ハッピーホームデザイナー』、
    のんびりはじめていますが、
    己の平々凡々っぷりを痛感しています。

    まあ、どんな変わった人も
    「私こそが平凡な人だ」と
    言い張るのが常ですが、
    ぼくのつくる部屋はね、
    ほんと、ふつうですよ。
    一般ですよ。オーソドックスですよ。

    とても、こんな部屋こんなお店
    できないっていうか、
    どうしたらこうなるんだっていうか。

    そんなわけで、マイペースで、
    お客様のリクエストのままに、
    「本に囲まれた部屋」とか
    「モダンな部屋」とか
    「ロボットっぽい部屋」とか
    「青につつまれる部屋」とかを
    コーディネイトでしています。

    ふつうですが、これはこれで、
    たいへん愛着があります。

    2015/09/01 12:29

  • おくればせながら

    やぁ、遅れた、遅れた、出遅れた。
    毎度、出遅れる性分です。

    はじめましたよ、
    『ハッピーホームデザイナー』。
    しかし、こういう、
    「スピンオフ」的なソフトって
    ずいぶん久しぶりだなあ。

    新しいゲームでわくわくするのに
    世界観とか操作性とかは
    とっくに頭に入ってるから
    スタートがスムーズでいいですね。

    さて、なにをどうしてやろうか。
    とりあえず、性別を「男」に、
    名前を「ながた」に。
    ああ、また平凡なゲームライフを送りそう。
    それがたのしいからそれでいいんだけどさ。

    2015/08/26 16:02

  • ごぶさたの人のために

    ばたばたしていて、
    久しぶりに村に行きました。
    1週間とか2週間とか、
    ぽっかりゲームからな離れてしまうことって
    大人なら、いえ、大人じゃなくても、
    ふつうにあると思うんですが、
    『どうぶつの森』のうれしいところは、
    そういう人のことが
    当たり前に考慮されていることですよね。

    電源を入れると、しずえさんが
    「あ、おひさしぶりですね」的なあいさつ。

    データが読み込まれると、
    ぺりおが家の前で立っていて、
    「手紙がたまってるよー」みたいなことを。

    はいはい、ごめんごめん。
    『どうぶつの森』が
    ほかのゲームとちがうのって、
    こういうことの積み重ねなんだと思います。

    2015/07/24 16:24

  • 2階がいい感じ

    ふつうに『どうぶつの森』を
    たのしんでいますが、そうでした、
    ぼくは今回、キャラクターの性別を変えて遊ぶ、
    というこれまでにない
    チャレンジをしているのでした。

    ‥‥というふうに、じぶんの変化を
    すっかり忘れてしまうほど、
    じぶんときたら、あきれるほど、じぶんです。
    リビングルームも、ご覧ください、
    もう、過去のシリーズで
    じぶんが配置した部屋となんらかわらない。

    かといって、わざと、無理に、
    自分好みじゃないものを集めるのものなあ、
    と思っていたら、きましたよ!
    ようやく、2階の部屋が、これまでにない感じに
    しかも、自然に、変化してきました。
    こんな部屋、いままでできたことなかったなあ。

    きっかけは、壁紙の「障子(しょうじ)」でした。
    いままで、和風のものは集めたことがなくて、
    手に入れたときもとくにうれしくなかったんですが、
    壁を障子に、床を絨毯にしたら、
    なんかちょっと、じぶん的によかったんですよ。
    そういえば、『どうぶつの森』ってそうでした。
    こう、漫然と部屋をつくっていると、
    なにかひとつ、うれしいきっかけになる
    家具やグッズが手に入って、
    それを中心に部屋ができていくんですよね。

    いまはこの新しい2階がちょっとうれしいので、
    増築も部屋を増やすんじゃなくて、
    2階を広げていこうかな。
    住宅展示場にも行ってみよう。

    ほかの乗組員たちのコンセプチュアルな
    部屋とくらべると極めて地味で
    平々凡々な部屋ですが、
    かわいくなってきました、じぶんちが。

    2015/07/08 18:45

  • これはすばらしい

    『とびだせどうぶつの森』には
    住宅展示場というものがありましてね、
    なんと、「すれちがい通信」した人たちの
    家がまるごとそこに展示されるんですよ。

    これ、さらっと書くと「へー」って感じだけど、
    ほんとにすごいことだと思うんだよな。
    まあ、それはさておき。

    日々、3DSを持って電車で通勤するだけで、
    住宅展示場には新しい家がじゃんじゃん登場します。
    (前から展示されてる家と入れ替わる感じ。
     入れ替えたくない家がある場合は、
     ロックすることも可能)
    ぼくはこれをのんびり拝見するのが
    けっこう好きなんです。
    どこのどなたの家かわかりませんが、
    おじゃましますよ、という感じで。

    で、もう、発売されてからしばらく経ちますから、
    「極まった家」みたいなのも多いんですね。
    だから、すっごいレアな家具がそろってる家とか、
    シリーズがそろってる家とか、
    わりと、見慣れてるので、そんなに驚かない。

    そんななか、今回、紹介するこの家は
    なかなかすばらしいなと思いましたよ。
    見ておわかりかと思いますが、
    完全に「街角」なんですよ。
    ちょっと、ヨーロッパっぽい感じ。
    ひとつひとつは知ってるアイテムなんですが、
    組み合わせるとこんなふうに世界が広がるのか、と。
    自転車とかトランクとか
    風船のつかいかたもいいんですよねー。

    オレがハッピールームアカデミーなら、
    こういう部屋にトロフィーあげちゃうね。

    2015/07/01 11:22

  • 高額買取品

    カブをね、買わないんですよ、ぼく。
    シリーズを通して、ずっと。
    いや、そういう欲がない、
    ということではまったくなくて、
    なんか、それを追うと、
    たいへんだなー、
    というような怠惰な理由で。
    要するに、面倒くさがりなんですね。

    でも、効率よく
    お金が貯まったりするのはもちろんうれしい。
    で、ついつい毎日チェックしてしまうのが
    R・パーカーズの「本日の高額買取品」。

    ところがねぇ、最近、なんか
    ハンパなものばかりが対象になってて‥‥。
    あのアルパカの奥さん、
    もうちょっと考えてくれないかな‥‥。

    2015/06/26 09:12

  • やっばーーーい!

    もともとさ、夏ごろに、
    『どうぶつの森
     ハッピーホームデザイナー』という
    スピンアウトっぽいソフトが出るから、
    またやろうっつって、
    はじめたわけではあるけれども、
    紹介映像が出たので見てみたら、
    やっばーーーい! おもしろそう。
    ええと、公式ページはこちら
    あ、でも、さっさと映像見たほうが
    わくわくするかもしれない。
    8分以上あるけど、うれしいから
    平気で見ちゃいますよ。こちらです
    つまり、すっごく細かく、家とか、
    部屋とかをデザインできるってことですよね。
    ‥‥あ、ともかく、見てみてください。

    2015/06/19 18:10

『とびだせ どうぶつの森』とは?

どうぶつたちの暮らす森の一員となって、毎日、たのしく過ごします。じぶんの部屋を広くしたり、家具をそろえたり、着替えたり、釣りをしたり、化石を掘ったり、おしゃべりしたり、ほかの人の住む村に電車で遊びに行ったり‥‥。1年365日、リアルタイムに時間が流れるなかで、のんびり過ごすもよし、目的に向かってがんばるもよし。ニンテンドー3DS用ソフトとして2012年に発売されて以降、長く売れ続けているゲームです。

とびだせ どうぶつの森

発売日:2012年11月8日
希望小売価格:4,571円(税別)
プレイ人数:1人(通信プレイ時2〜4人)