去る、7月27日。
北海道の八木田水産さんの
第63幸漁丸(こうりょうまる)という、
さんま船の進水式が行われました。
かつて幸漁丸は、その年度ごとに
最もさんまの水揚げが多かった船に送られる、
優勝旗を何枚も授与された大きな船でした。
震災時、気仙沼港に停泊していた幸漁丸は、
津波によって引き起こされた
湾岸火災の被害を受けてしまいました。
そのため、幸漁丸は新しく作り直され、
ついにこのたび、
進水式を迎えることになったのです。
会場は、気仙沼の浪板にある造船所です。
ここにこれたのは、
斉吉商店のおかみさん、和枝さんのおかげでした。
斉吉商店さんは、
かつて廻船問屋を営まれていたので、
幸漁丸の関係者のみなさまとも
たくさんのご縁があったそうです。
以前、ほぼ日でもご紹介されていました。
和枝さんは
「気仙沼港に、船を預けてくださっていたのに、
大事な船を、焦がしてしまった」
とおっしゃっていました。
もちろん、船の被害は、津波のせいです。
和枝さんが悪いわけじゃないのに、
と思ったのですが、
生まれたときから海が身近にあって、
生活そのものが漁業に深く関わってきたからこその
和枝さんの言葉なんだなぁとも思いました。そしてその言葉は、
この街の、港も人も、
本当にこの日を待ち望んでいたんだと、
強く感じさせるものでした。
ご祈祷が行われ、
この船の名前が正式に「第63幸漁丸」という
名前になりました。
また帰ってきた幸漁丸の門出を祝うように、
船上の大漁旗がはためき、
船頭さん、船員さんは笑顔で、
餅まきを行います。このごろ、急ピッチで
休みなく船を作り続けている造船所ですが、
造船所のみなさんも、晴れ晴れしい笑顔です。スピーカーからは、
勇ましい軍艦マーチが流れ、
西日が差し込むなか、
ワイヤーを解かれながら、
船はゆっくりと海に進んでいきました。船を見つめる気仙沼のみなさんの心の中には、
震災からの日々や、喜びや、思い出や、
ほんとうにいろんなことが
浮かんでいるのだろうということが、
伝わってきました。たくさんの家や工場が流されて、
むきだしの基礎に雑草が生い茂るこの土地で、
造船所の横の、暮れゆく気仙沼の海は、
それでも美しいと感じるものでした。大変なこともたくさんあるけれど、
みんな歩みを進めている。
この港からも、たくさんの船が、
つぎつぎに大海へと出航していきます。