前編のおはなしにも出てきましたが、
昭和16年に
廻船問屋として創業した、斉吉商店さん。
今回の震災をきっかけに
廻船問屋の部門は分社化するとのことですが、
20数年前からは水産加工業にも進出、
サンマの佃煮「金のさんま」や
「ぶっかけ海鮮丼」などで
全国に、多くの斉吉ファンを持っています。
今回、おふたりのお話をうかがっていて
印象的だったのは、
三陸という漁場、気仙沼で捕れるサンマ、
そこではたらく漁師さん‥‥など、
「気仙沼の海」に、
すごーく、誇りを持っているということ。
なかでも気になったのが、
「気仙沼の漁師さん」のことです。
なにしろ、和枝さんが「カッコいい!」と
連呼するんですから。
「どんなふうにカッコいいかといったら‥‥
そうですね、
じゃあ、カッコいい人をお見せします」
と言って、斉吉商店のHPを探る和枝さん。
「いた‥‥いたいたいたいた!」
パソコン画面いっぱいに
ものすごい迫力のお顔が現れました!
このかた、船頭さんと呼ばれているんですが、
気仙沼の漁師のトップ、親分さんだそう。
70歳を越えた大ベテランで、
周囲からは「怪獣」の異名をとっているとか‥‥。
「ほんっと、カッコいいんです、この人。
この写真を撮ったときも、
じつは、車で追突されたすぐあとで、
首がむち打ちだったのに
カメラを向けたら、
『ええい、クソー!』とか叫んで
自分をはたきつけて、
ビシーッと、まっすぐになったんです」
(和枝さん)
「しかも、しかもね、次の日に
『やっぱり気に入らねがら、もう1回撮れ』
とかって言って、
お気に入りのシャツを着て、
もう、ハチマキを締めてきたんですから!」
(和枝さん・興奮気味)
なるほど、それが上のお写真なんですね。
「この人に限らず、漁師さんたちは
サンマ船の出船送りっていう晴れ舞台になると、
こんななっちゃって(鼻をすする)、
気仙沼の湾の中で
ギューンって大回転をして出漁していくんです」
聞けば、気仙沼の漁師さんの世界って
「親分!」とか、
「姉さん」とか、
「うちの若けぇ衆が‥‥」とかとか、
威勢のいい声の飛び交う
まるで任侠映画のような世界なんだとか。
漁のときは、さぞかしすごそうですね。
「すごいですよ。
とくにサンマ漁というのは競争なんです。
港で水揚げが終わり次第、
氷や食料や燃料を積んだらまた、
黒い煙を上げて、全速力で出ていく。
それを、ろくに寝ないで繰り返すんです。
何回水揚げできるかが、勝負ですから」
ご自分の船にも、強いこだわりがあったり‥‥?
「あります、あります、ありますよ〜!
オレの船は速ええとか、
ぶっちぎったとか、
カッコいいとか、そういう世界。
あんたたち何歳なのって感じです(笑)」
はーーーーー、クルマの世界みたいですね。
ちなみに、どんな船がカッコいいんですか?
「こんなのですけど」
わ!
「この船は、
気仙沼にいちばんサンマを水揚げする
日本一のサンマ船。
北海道様似町の63幸漁丸と言うんですけど、
カッコいいでしょう?
船の横についているのは
サンマ船になくてはならない、ライト。
漁のときは、これがバァーーーーっと
つばさのように開いて光るんです。
こぉーんなふうに」
カッコよさそう!
「でも、地震で気仙沼が燃えたときに
重油をかぶって
真っくろ焦げに焼けちゃったんです。
日本一のサンマ船が。
‥‥でも、また新しく造るんだって」
ちなみに、この船のオーナーの息子さんは
まだ高校生とのことなんですが、
今回の震災が起きたあとに
「漁業をやる」って、言い出したそうです。
日本一のサンマ船を造り直すためには
何億円ものお金が、かかるといいます。
でも、オーナーさんは
その息子さんの言葉を聞いて、
もういちど船を造ろうって、決意したそうです。
日本一のサンマ船は
いちど、真っ黒に燃えてしまいましたけど、
数年後、新しい海の男といっしょに
また、気仙沼の海を暴れまわるみたいです!
<次回はインタビュー後半をお届けします>
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