和枝さん |
ちょっとこれ、何年前のものなんだか
わかんないんですけど、
先々代のときからの看板なんです。
お店に、かけてあったんですけどね。
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── |
あ、津波で。
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和枝さん |
そう、お店ごと流されてしまって、
どこいったんだか
わからなくなってしまってたんです。
でも、ほんとについこのあいだ、
「ガレキよけてたら
斉吉さんの家が、出てきましたよー」って
市役所から電話がきたんですよ。
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── |
おおー‥‥。
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和枝さん |
あんなに探しても見つからなかったのにって
思ってたら、
魚市場の前にあった本店の2階が
となりの町まで、出張してまして(笑)。
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── |
となり町ですか!
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和枝さん |
こんどの地震で、気仙沼、焼けましたよね。
で、この家が流れ着いた先の、
おとなりはもう、焼けちゃってたんですよ。
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── |
じゃあ、もうギリギリで。
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和枝さん |
よそのガレキで埋まっていたのを
よけていったら、「あら、斉吉だ」って。
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── |
埋まっていたから、
なかなか見つけられなかったんですね。
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和枝さん |
いや、それがね、ガレキをよける前にも、
カベは見えていたんです、まるっきり。
でも、そのカベって、津波で流される前は
おとなりさんと
ピッタリ接していたカベなので、
生まれてこのかた、
わたし、見たことなかったんですよ、
そのカベを。
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── |
つまり、ずうっと見えてたんだけど、
気づかなかった、ということですか?
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和枝さん |
そうなんです。
おじいさんとおばあさんが建てた家なので、
うちの人たち、
そのカベを、だーれも見たことなかったものだから、
まさか斉吉の本店だと思わなかったんです。
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── |
「斉」のほうは‥‥。
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和枝さん |
「斉」はないの。
だから「吉」はえらい! ‥‥と思って(笑)。
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── |
じゃあ、貴重ですね、これ。
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和枝さん |
ほんとうに、ただのガレキですけど、
私たちにとってはね‥‥社長。
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純夫さん |
大事なものが見つかりました。
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── |
再起のシンボルになりますね。
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和枝さん |
ほんとに。
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── |
すみません、ご挨拶を‥‥。
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和枝さん |
あら、ごめんなさい、急に話しはじめて(笑)。
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── |
いえいえ(笑)、
糸井重里事務所の奥野と申します。
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純夫さん |
斉藤です、よろしくお願いします。
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和枝さん |
まだ今ね、名刺が制作中で。
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純夫さん |
店も机も流されて、工場も車も流されて、
すみません。斉藤と申します。
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和枝さん |
そして私は和枝です。
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── |
はい、よろしくお願いします。
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和枝さん |
ホボビさん?
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── |
いえ、ホボニチと言います。
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和枝さん |
あ、ホボニチつうんですか。
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── |
ええ、たまに間違われるんですけど(笑)。
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和枝さん |
はじめ、なんてかわいい名前と思ったの、
ホボビさんて。
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── |
ありがとうございます(笑)。
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純夫さん |
東京からわざわざ、来ていただいて。
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和枝さん |
うちは
陸前高田の八木澤(商店)さんみたいに
200年の歴史があるわけでも
なんでもなくて、
コチョコチョやってきたんですけど‥‥。
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── |
たしか、ながく「廻船問屋」として
やってこられたんですよね。
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和枝さん |
いまは水産加工業が主なんですが、
そうです、はじめは。
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── |
それって、どういうお仕事なんですか?
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和枝さん |
いまは焼津だとか静岡のほうでも
なくなったんだそうで‥‥北海道にもないし。
この三陸沿岸にだけ、残ってるんです。
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純夫さん |
銚子にもあるかな。
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和枝さん |
あ、そうです。
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── |
いまでは、かなり珍しいお仕事なんですね。
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純夫さん |
はい。
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和枝さん |
今後、この気仙沼の市場では
物流についても
大きく見直すことになると思いますので、
業態としては
難しい場面になると思うんですが、
ただ、気仙沼の港って‥‥。
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── |
ええ。
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和枝さん |
‥‥いいんですか社長、
わたし、このまましゃべってて。
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純夫さん |
どうぞどうぞ。
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── |
(笑)
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純夫さん |
専務がしゃべると、私の必要がなくなる。
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── |
いいですねぇ(笑)。
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純夫さん |
隙間なくしゃべるから。
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── |
すっごく仲がいいんですね(笑)。
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純夫さん |
そんなことないですけど(やや照れる)。
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和枝さん |
すみません(笑)、ええと、
気仙沼の沖には
世界三大漁場のひとつ、三陸漁場がありましてね。
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── |
え、三陸沖って「世界三大」なんですか、
知りませんでした。
ちなみに、他のふたつは‥‥?
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和枝さん |
アメリカの東海岸と、
なにか、ノルウェーのほうみたいですけど。
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── |
たしか、親潮と黒潮が交差するんですよね。
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和枝さん |
そうです。
そのおかげでいろんな魚が捕れるんですけど、
たとえば
もっと南のほうの海でカツオを捕りはじめた船が、
どんどん、
カツオといっしょに北上して来るんですね。
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── |
こっちのほうまで、はい。
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和枝さん |
すると、気仙沼に水揚げするってことが
ずいぶんあるんですよ。
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── |
自分の県に持って帰るんじゃなくて。
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和枝さん |
そうなんです。
だから、カツオ船で言えば、
南から来た九州や高知県の船主さんたちが
気仙沼に揚げてくれて、
それで
「気仙沼は、カツオの水揚げ日本一」
ということになってるんです。
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── |
はー‥‥、そういうことなんですか。
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純夫さん |
ことしは、サンマも本州でいちばんで、
北海道の次に揚がったんですけど、
サンマの場合も
富山だとか、北海道だとか、いわきだとか、
全国の船主さんが揚げてくれるんです。
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── |
ええ、ええ。
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和枝さん |
陸からニーパーヨン(国道284号線)で
いらっしゃるかたも、
とうぜん、
気仙沼にとってのお客さまですけど‥‥。
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── |
ニーパーヨンで、はい。
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和枝さん |
海から船で来る人たちも
私たちにとっては
たいせつなお客さまなんですよね。
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── |
なるほど、なるほど。
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純夫さん |
カツオ船なんか、気仙沼の船というのは
一艘しかないんです。
もう、百何艘とあるなか、一艘だけ。
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── |
じゃ、99%以上が他県船。
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和枝さん |
そういう意味では、
気仙沼って
他県船で成り立ってきた街なんですけれど、
私たち廻船問屋というのは
そうした
他県からの船のお世話をする仕事なんです。
船主代行業というんですけど。
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── |
それはたとえば、どんな‥‥。
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和枝さん |
獲れた魚を市場に売ったり、
船に食料や油(燃料)や氷、を積んだり、
保険のことだとか、
あとは、乗組員さんにごはんを食べさせたり、
場合によっては
病院なんかへ連れていったり‥‥。
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── |
つまり「よろずお世話係」的な。
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和枝さん |
そうそう。
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── |
船主さんは他県ということですが、
船に乗り込んでいる漁師さんは‥‥。
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和枝さん |
サンマ船やマグロの船の場合は
ほとんどが、気仙沼の漁師さんですね。
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── |
そうなんですか。
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和枝さん |
この気仙沼の港には、優秀な漁師さんが、
長い時間をかけて、
たくさんたくさん育っているんです。
ですから、北海道の船でも
この気仙沼に優秀な魚捕りの人がいるために、
ここの漁師さんで船を組織するんです。
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── |
すごいんですね、気仙沼の漁師さんって。
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和枝さん |
だから、これを逆に言うと
他県の船の気仙沼への貢献度たるや、
ものすごいんです。
気仙沼の人を雇用して、
気仙沼に
何億と魚を揚げてくれるわけですから。
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── |
あ、そうか、そうか。
すごい経済波及効果ですよね。
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和枝さん |
船の設備もぜんぶ、冷凍機から何から
気仙沼で入れてますし、
船だって、宮城県で作るんですからね。
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── |
船頭さんは、気仙沼の人だし。
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和枝さん |
そうそう。
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── |
聞くところによると、
斉吉さんは
気仙沼いちばんの廻船問屋であったとか。
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和枝さん |
いえいえいえ、そんなアレですけど、
サンマに関しては
日本一だったと思います、廻船問屋では。
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── |
ちなみに創業は‥‥?
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和枝さん |
昭和16年です。 |
純夫さん |
だから、70年くらいですね。
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── |
はー‥‥。
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純夫さん |
廻船問屋という仕事は、
地域の人たちと
とってもつながりの大きい商売でした。
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和枝さん |
船に関係するいろんな業者さんと
お付き合いしますし、
わたしがまだ小さいころは
マグロを釣るときの「枝縄」という縄を
家の庭で
漁師さんたちが直していたり‥‥。
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── |
ええ、ええ。
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和枝さん |
船主さんなんかは、かならず
うちでいっしょにご飯を食べてたんですよ。
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── |
へぇー‥‥。
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和枝さん |
人の顔を見たら、とにかく
「ご飯、食べたんですか?」って聞くような
おうちで(笑)。
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── |
なんだか、すごく楽しそうですね。
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和枝さん |
そうなんです、人の出入りが多くて。
ぜんぜん知らない人が
わたしのおうちにいるっていうのが、
別にふつうというか‥‥。
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── |
つまり、斉吉商店さんって
「みんなが集まる場所」だったんですね。
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純夫さん |
みんなが「ただいま」って言って、
帰ってくるような場所でした。
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── |
でも、今回の震災をきっかけに‥‥。
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和枝さん |
はい、廻船問屋の部門は分社化しまして、
これまで
廻船問屋部をみていた常務に一任します。
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純夫さん |
斉吉は、水産加工一本で、やり直します。 |
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<後編へ続きます> |