気仙沼のほぼ日便り

気仙沼市唐桑町で歌い継がれてきた
「浜甚句(はまじんく)」。
「サユミちゃんもどうですか」と、
またもやお誘いをいただきまして、
斉吉商店の貞子さんと、
ともづなプロジェクトの藤野さんという
いつものお出かけメンバーで、
浜甚句の練習会に参加することになりました。

浜甚句とは、唐桑町で歌われる大漁唄のひとつで、
大漁祈願や大漁を祝うものです。
私の生まれ故郷である松島でも、
「斎太郎節」という大漁唄があり、
お祭りの時などによく歌われるので、
大漁唄の存在は知っていたのですが、
浜甚句というのは今回初めて聞きました。

浜甚句は、海よりも、陸で漁師が宴会をするときに、
みんなで盛り上がるための余興として
歌われてきたものだと言われており、
7、7、7、5調の節にのせられた唄には、
昔の漁師さんたちの
生活の様子や、想いが込められているそうです。

今回の練習会は、3晩連続の日程です。
毎晩夕方、斉吉商店さんに集合し、
車で30分ほど移動して、
練習会の会場となった
唐桑町松圃(まつばたけ)集会所まで通いました。

夕暮れ時の唐桑の海を窓から見つつ、
貞子さんから、
練習会の参加に至ったきっかけもお聞きしました。
貞子さんは、つばき会のおかみさんたちが
行っている活動の一つ「出船送り」のとき、
練習会の発起人である中澤さんとお会いし、
浜甚句のことを教えてもらったそうです。

ちなみに出船送りとは、
遠洋漁業に出かける船を
陸地から盛大に見送るもので、
こちらについてもいつか、
気仙沼のほぼ日でご紹介したいと思います。

さて、会場につきました。
浜甚句の手書きテキストが配られ、
発起人、中澤さんからご挨拶をいただきます。
歌い継がれてきたとはいえ、
近年では歌われる機会も減り、
浜甚句を歌える人が少なくなってきたとのこと。

「今日は、気仙沼のみなさんも
一緒に歌っていきましょう」
と言われて、なんだか不思議な感じがしたのですが、
唐桑町は2006年に気仙沼市と合併し、
気仙沼市唐桑町という地名になった場所なのでした。

ここ唐桑では、気仙沼駅や市役所があるあたりを、
区別する意味を込めて「市内」と
呼んだりするのですが、
それこそ、私が普段知っている気仙沼は
「市内」のことであって、
唐桑は独自の文化を作ってきた地域なんだな
ということに改めて気づかされました。
と、いうことで、ここから
「唐桑」「市内」という呼び方で
進めていきたいと思います。

ここ唐桑が市内とは異なる文化を持っていると、
肌で感じるエピソードとして、
この集会所に来てから、
かなりの言葉を聞き取ることが
できなかったことがあげられます。
私は、宮城生まれで、
両親がともに石巻出身であることから、
むしろ、方言はよくわかる方でした。
でも、なんだかその自信が一気に崩れそうなほど、
全然リスニングができなかったのです……。
そもそも、石巻と気仙沼でも
方言はちょっと違うのですが、
まさか、気仙沼市の中でこんなに異なるとは……。
やっぱり海の町は陸よりも
海外とのつながりがあったりするから、
こういうこともあるのかなぁなどと考えていました。

と、いうことで、
私が1日目の「浜甚句の練習会」の内容を
ほんとうの意味で理解できたのは
次の日の三陸新報の記事を読んだあとでした。
三陸新報さん、ありがとうございます!
おかげで、練習についていくことができました。

さて、肝心の唄ですが、
これはテキストに歌詞が書かれているので、
ちゃんと練習することができました。
ここでもいくつかご紹介しましょう。

「目出度目出度(めでためでた)の
 若松様ヨ 枝も栄えて葉も茂る」

これが、浜甚句を歌うときに
最初に歌われるものです。
若松様が誰なのか、
何なのかというのは諸説あるそうですが、
この「めでためでた」で始まるのが
決まりとのことです。

「唄いなされやお唄いなされ
 唄で器量が下がりゃせぬ」

これは、酒の席での
「ほら、あんたも黙って呑んでないで」という
意味合いのものだと思います。
恥ずかしがりの私も勇気づけられる言葉でした。

「気仙気仙沼のイカ釣り船は
 イカも釣らずにあねこ釣る」

「あねこ」とは、若い女性を意味します。
そう、ここでいう「気仙沼」は
市内のことであって、
唐桑町は含まれていないのです!
中澤さんが「気仙沼の人も一緒に歌いましょう」と
わざわざ最初におっしゃった意味が
わかった気がしました。
こういった町同士の関係性が歌われるのも、
長い歴史があるからこそ。
いまこうしてみんなが一緒に歌っているのが
面白いなぁと思いました。

そして最後は
「あまり長いのは皆様困る ここらで一休み」
の唄でシメます。

参加者から「カラオケより、いいね!」
という感想もでたほど、
みんなで手を叩きながら歌う一体感があるので、
確かに盛り上がりそうだなぁと思いました。
慣れてくると、いろんな言葉をのせて、
好きに歌っても良いそうです。
漁師のラップのようでもあります。

今回の練習会で、
唄の節をなんとなく
歌うことができるようになりましたが、
習得はまだまだ、といったところです。
最終日には
「浜甚句を歌う会(仮)」という会が結成され、
「今回だけでは無理だと思うから、
またしばらくしたら集まりましょう」
と、練習会は一旦解散となりました。
本当に貴重な経験をさせていただきました。拍手!

練習会が終わって数日後、
藤野さんを誘って、唐桑半島の端の端、
御崎(おさき)と、
御崎神社に行ってみました。
教えていただいた浜甚句の中に、
「お崎さんまで 見送りました
 さあさこれから神頼み」

という唄が少し頭にあったこともありました。

リアス式海岸の地形が見事な御崎は、
崖とぶつかり合う波がとても激しく、
私の知らなかった海の姿を見せており、
ちょっと、怖さも感じるほどでした。

ここまで見送りにきたおかみさんは、
心から、海の男たちの無事を、
神様にお願いしたのでしょう。
命がけで海に出て行った漁師たちを見つめる、
覚悟を決めたそのおかみさんたちも、
ここに立っていたのかなぁと思いました。