気仙沼向洋高校の南校舎3階には、
津波で流されてきた車が
そのまま残っています。
4階には、工場が激突して
壊れたバルコニーの様子や、
当時の生徒達が使っていた
参考書や教科書、プリント類が
そのまま残っています。
ほかにも、伝承館は、
急死に一生を得た方々の証言や、
数多くの写真が残されています。
街が壊滅する恐ろしさ、
そしてその後に次々に知らされる、
家族や友達の死や
行方不明という知らせ。
その後の応急仮設住宅での暮らし。
同じ経験をしていない自分は、
想像することしかできないけれど、
この出来事が、11年前の
今日起き、今も行方不明の方々が
大勢いるということを改めて
深く深く心に刻もう、と思いました。
もう一つの映像コーナーでは、
元消防隊員の男性が、震災で亡くなった
奥さまに捧げる真っ白な花や、
ご主人とお子さんを亡くされた女性の、
生きているほうが辛かった、
という言葉に、胸が詰まりました。
あの日、何もかもが一変し、
今、まだ11年しか経ってないんだ、
という思いになります。
津波で流されてきた車が
そのまま残っています。
4階には、工場が激突して
壊れたバルコニーの様子や、
当時の生徒達が使っていた
参考書や教科書、プリント類が
そのまま残っています。
ほかにも、伝承館は、
急死に一生を得た方々の証言や、
数多くの写真が残されています。
街が壊滅する恐ろしさ、
そしてその後に次々に知らされる、
家族や友達の死や
行方不明という知らせ。
その後の応急仮設住宅での暮らし。
同じ経験をしていない自分は、
想像することしかできないけれど、
この出来事が、11年前の
今日起き、今も行方不明の方々が
大勢いるということを改めて
深く深く心に刻もう、と思いました。
もう一つの映像コーナーでは、
元消防隊員の男性が、震災で亡くなった
奥さまに捧げる真っ白な花や、
ご主人とお子さんを亡くされた女性の、
生きているほうが辛かった、
という言葉に、胸が詰まりました。
あの日、何もかもが一変し、
今、まだ11年しか経ってないんだ、
という思いになります。