振り返ってみると、
ほぼ日で最初に
気仙沼を取材したコンテンツは
2011年の7月に掲載されています。
震災があったあの日から、
気仙沼というつながりを見つけるまで、
ずいぶん長かったような気がするのですが、
3ヵ月後のことだったのですね。
わたしたちは、
しばしば気仙沼を訪れるようになりました。
いくつかの取材をまたコンテンツにしました。
そして、ある日、糸井が提案しました。
「気仙沼に、ほぼ日の支社をつくろう」
とくに何をすると
決まっていたわけではありません。
でも、ともかく拠点をつくろう。
場所ができれば、いろんなことができる。
反対する人は誰もいませんでした。
ほぼ日で最初に
気仙沼を取材したコンテンツは
2011年の7月に掲載されています。
震災があったあの日から、
気仙沼というつながりを見つけるまで、
ずいぶん長かったような気がするのですが、
3ヵ月後のことだったのですね。
わたしたちは、
しばしば気仙沼を訪れるようになりました。
いくつかの取材をまたコンテンツにしました。
そして、ある日、糸井が提案しました。
「気仙沼に、ほぼ日の支社をつくろう」
とくに何をすると
決まっていたわけではありません。
でも、ともかく拠点をつくろう。
場所ができれば、いろんなことができる。
反対する人は誰もいませんでした。