ほぼ日の塾◉第4期生
イラスト◉ちえ ちひろ
おひさしぶりです。
「ほぼ日の塾」の第4期生、中前です。
以前、マンションの管理人である
父のことを書かせていただいたのですが、
今回は住みはじめて2年半になる
「我が家の台所の悩み」について書いてみました。
年の瀬ということで、大掃除をテーマにした
タイムリーな読み物になるかと思っていたのですが、
思わぬことになってしまいました‥‥。
慌ただしい年末の息抜きとして、
読んでいただけたら、うれしいです。
狭くなる台所
夜遅くに帰宅して、
カップ焼きそばに注ぐお湯を沸かす。
お風呂あがり、
「この瞬間のために働いているのだ」とばかりに
冷えたビールを冷蔵庫から取り出す。
朝が来れば、急いで野菜を炒めてお弁当に詰める。
そんな当たり前の毎日のくりかえしの中で、
わたしには、心の中で日に日に大きくなっていく
「不満」のような気持ちがあった。
強く意識しはじめたのは、数日前だけれど、
きっとこの数年間、本当は心のどこかで
ずっとずっと思っていたことだ。
それは「台所が狭い」ということ。
しかも「どんどん狭くなっている」ということ。
わたしには、とある「癖」がある。
そのせいで我が家の台所は狭くなる一方だ。
わたしは「ペットボトルのキャップ」が捨てられないのだ。
ことのはじまり
きっかけは、何気ないことだった。
3年前まで勤めていた会社の壁に
「ペットボトルキャップ支援」を
謳うポスターが貼り出された。
読めば、ペットボトルのキャップを集めることが、
遠くのどこかの国の
「予防接種」の助けになるとのことだった。
ポスターの中で、真っ赤なサリーを纏った女の子が
こちらを見ていたように思う。
「捨てるはずのキャップでいいのなら」と、
その日から、なるべくその専用箱に
キャップをおさめることにした。
捨てそうになると「いけないいけない」と
ゴミ箱からボトルを拾い上げて、
キャップを外して専用箱に入れた。
自宅で飲んだペットボトルのキャップも、
きれいに洗って会社まで持ってくるようになった。
紙製のパックと迷ったときは、
なるべくペットボトルを買うようになり、
ボトル部分はリサイクルの箱に入れ、
キャップは専用箱に入れる。
サリーの女の子の前で、
わたしは日に何度もそれを繰り返していた。
だらしのないわたしにとってはとてもめずらしく、
「習慣」ができたのだ。
そして時は過ぎて、
わたしは独立を決心して会社を辞めることになる。
そのとき心配したのは、自分の身の安定よりも
「明日から、ペットボトルのキャップは
どうすればいいのだろう?」ということだった。
しかし、だらしのないわたしは特に調べることもせず、
翌日から自宅のファミリーマートのレジ袋に
「ひょい」とキャップを入れるようになった。
以来、3年間‥‥。
どこかに送ることも捨てることもできずに、
わたしは毎日毎日キャップを集め続けてしまったのだ。
日が経つにつれ量は当然ふくれあがり、
コンビニの袋におさまるはずもなく、
今では大きなアルミのバケツ2杯分以上になった。
これがそのペットボトルキャップ。
バケツの中央は縁よりも高く積まれているため、
足などぶつけるとキャップの雪崩が起きる。
雑に冷蔵庫を閉めても、雪崩が起きる。
そのせいで、恐る恐る、とても静かに弁当を詰めている。
忍び足でビールを取り出している。
それがわたしの毎日だ。
白状すると、会社の壁でわたしをじっと見ていた
サリーの女の子のことは、
今日、このように思い出すまで、
実はほとんど忘れかけてしまっていたようにも思う。
では、なんのために集めているのか。
恥ずかしいけれど、善意やボランティアにかける精神よりも、
わたしはわたしの「習慣」を全うするために、
今日の日までこうして集めてきた気がする。
しかし、さすがにこれは量がふくれすぎている気がする。
何度目かの雪崩を経験した夜、
ついにわたしは決心したのだった。
「もう3度目の年末だ、大掃除だ、いよいよどうにかしよう」
どれがいいのか
ここまで集めたものを捨てる気にはなれない。
やはり寄付かリサイクルに回した方がいいだろう。
送り先を調べていると、いくつかの受付場所を見つけた。
しかし当然、送るには「送料」がかかる。
いったいいくらかければ運んでもらえるのだろうか。
いや、それよりも、そもそも、
そんなお金をかけるほど、はたして
このキャップに価値はあるのだろうか?
ひょっとしたら、送料にかかるお金を
そのまま寄付したほうがよいくらいかもしれない。
いっそ、そうしてしまおうか。
おいおい、じゃあ、このキャップの山はどうなるのだ?
考えるほどに、よくわからなくなった。
そして、こういう結論に達した。
「数えよう」
数がわからなければ価値もわからない。
箱に詰めてみなければ送料もわからない。
数えながら、これからどうしたものかを考えてみるのもいい。
3年間集め続けたペットボトルキャップを
アルミバケツからひとまず出して、
平日の24時すぎ、わたしはひとり数えはじめた。
数えてみよう
1、2、3、と
玉入れの玉を数える要領で、 バケツから取り出して、
ゴミ袋にホイホイと投げ入れた。
「おや?」
10も過ぎたころ、
「白の無地が、やけに多いな」
ということに気づく。
ここまで集めておいて、
いまごろ気づくのもおかしな話だけれど、
ペットボトルのキャップといえば、
「KIRIN」や「SUNTORY」などのロゴが
漏れなく印字されているものだと思っていた。
わたしはなにを見ていたのだろう。
その次に多いのは青色のようだけれど、
ひとくちに「青」といっても、
深い色から淡い色までさまざまで、
並べてみると、荒川静香さんの衣装さながら美しかった。
そして、それは「緑」も同じことだった。
明るく、目をひくような緑もあれば、
深く渋い色もある。
めずらしい「茶色」と並べてこうしてみれば、
兄弟で漫才でもはじめそうだ。
コーラをあまり飲まないせいか、
ポップな赤や黄色は意外と少なく、
たまに見つけると華がある。
2020年に思いを馳せてしまうような組み合わせもあった。
「黒」は多くもないが、
たまに顔を出す不良のようでかっこいい。
白と並べでみれば、
これから「なにか」はじまりそうな気配がある。
我慢できない。
白も自分、黒も自分なのに、
気づけば白色のほうに肩入れしていた。
ひとりで夜中にやることではなかった、
気がおかしくなりそうだ。
しかし、いくつかの発見を重ねるほど、
徐々によくない気持ちが浮かんでくる。
同じ色を見つけるたびに考えてしまう。
「色ごとに、並べたい‥‥」
そして思う。
「これらをすべて床に並べるとどうなるのだろう」
部屋中にキャップを並べるのは、どんな気分だろう。
色やデザインを一望するのは、どんな光景だろうか。
どうせ数えるのだから、
床に並べて数えてみればいいではないか。
午前2:00を過ぎて、わたしはひとり、
床にキャップを並べはじめた。
並べてみよう
社会人も9年目ともなると、いろいろわかってくることがある。
そのうちの二つは、
どんな仕事も「1工程目からはじまる」ということと、
「試しにやってみればいい」ということだ。
試しに1つ2つ、並べてみればいいじゃないか。
簡単なことだ。
信じがたいことに、夜が明けてしまった。
差し込む陽と空腹が、経過した時間をおしえてくれる。
4時間近くかけて並べられたのは、白色のキャップだけだった。
いやはや、おかしい。
バケツから白色だけを掬いあげて並べていたせいもあるけれど、
ここまで時間がかかるとは計算違いだった。
だけど、ここでやめてしまうのはどうだろうか。
この眠らずに並べ続けた4時間を
「2018年で最も無駄な4時間」にはしたくはない。
なにしろ師走だ。
原稿もたまっている。やることが溜まっている。
本来、こんなことをしてる暇はないはずなのだ。
だけど、ここまでやってしまった。
ここからは意地でもなにかを見つけたい。
わたしは中二階から、この部屋の、
キャップが敷き詰められた床を一望するのだ。
それまでは絶対にやめない。
「白色」は終わった。
朝焼けを眺めながら、「青色」に着手することにした。
海だ。一生懸命並べた青色のキャップは、
朝焼けの陽を受けて輝く水面と同じぐらい美しいように思う。
わずかな色味のちがいが見せるグラデーションが、
眠らずキャップを並べ続けているわたしには波のように見えた。
おびただしい量の「NESCAFE」が、
ここ数年間のわたしの「眠ってはいけない夜」の
多さをおしえてくれる。
そんなこともすべて含めて、
この青色はこんなに美しいのだろうと思った。
次は「緑色」だ。
緑道の木漏れ日を思う、あたたかさと鮮やかさだった。
青とはまたちがった、ハツラツとした美しさを感じてしまう。
ゴールドは金貨のようだ。磨き上げられ、たどりついたような品を感じる。
そして、白蝶貝(しろちょうがい)に似たきらめきもある。
いったいこのキャップは、
どんなボトルを閉じていたのだろう。
こんなことならば、もっと注意深く、
ひとつひとつを見ておけばよかった。
「なんでもそうだ、あとから気づくのだ」
ペットを飼う予定もないのに、
割高なペット共生型マンションに越してしまった過去や、
「もっと、わかってくれていると思っていた」
と別れ間際に言った恋人の顔などを順に思い出しながら、
わたしは静かにキャップを並べつづけた。
しまった、物思いにふけっていたせいで、
お手洗いのドアを塞いでしまった。
もう行けない。行きたい。
またやってしまった。
わたしは、事が起きてからしか大事なことに気づけないのだ。
我慢の時間がはじまった。
いよいよ急がなければならない。
果てしなく見える、トイレへの道。
そこからはひたすらに並べ続けた。
気を紛らわせるためにも、はやく終わらせるためにも。
これはなんだろう。「1783年」からはじまった何かだろう。
描かれているのは噴水だろうか。
気になる。調べたいけれど、ちょっとあとにしよう。
時間がない、わたしにはリミットがある。
袋に余っていた残りの色たちも並べ終え、
そうして、ついに到達した。完成だ。
こうして、わたしの一晩の挑戦が終わった。
眺望
踊るように、中二階へとつづく小さな階段を駆け上がる。
そして振り返って見下ろした。
見事だ。
見事だった。
そして、敷き詰められた
ペットボトルキャップを並べながら思う。
「こんなに飲んだのか‥‥」
ますますお手洗いが恋しい。
よし、あとは掛け算と足し算をするだけだ。
そんなに不得意ではない。
各ブロックの縦×横で数を出し、足しあげればいい。
足をジタバタとさせながら、急いで計算する。
そうしてついに答えが出た。
わたしが3年間で集めたペットボトルキャップの数は、
はたしていくつだったのか。
「1,399」‥‥
急いで近所のコンビニに走り、
トイレと、追加の1本の購入を済ませる。
「1,400」‥‥!
さて、「1,400」のキャップを、
これからどうしたものだろうか。
わたしはようやく腰を下ろして、
一息ついたのだった。
(後編へつづきます)
2018-12-29-SAT