冷泉 | 北ベトナムで捕虜になったときも、 いろいろあったんですよ。 |
糸井 | ほう。 |
冷泉 | マケインさんが捕虜になった当時、 彼のお父さんは、 まだ現役の海軍大将だったんです。 つまり、ベトナムからしてみたら、 敵方のお偉いさんの息子ですから、 いい「交渉材料」なわけです。 |
糸井 | ええ、そうでしょうね。 |
冷泉 | ところが、 マケインさんとお父さんとの間には、 当時、確執があった。 |
糸井 | そうなんだ。 |
冷泉 | だから、親父の威光を借りて助かるのは イヤだという意地が、マケインにはあったんです。 というのも、 「捕虜が釈放されるさいには、 捕虜になった順番に釈放されなければならない」 というアメリカ軍の規律があるんですね。 |
糸井 | へぇー‥‥。 |
冷泉 | それを、父親が海軍大将だからとか 政治的な思惑で、 自分の前に待ってる人を飛び越して 釈放されるなんて、 彼の正義感が許さなかったわけです。 |
糸井 | なるほど、うん。 |
冷泉 | つまり、釈放をかたくなに拒否したんです。 その結果、ガンガン拷問を受けたんですね。 |
糸井 | はぁー‥‥。 |
冷泉 | でも結局、マケインさんは、 「このまま犬死にするのも、まちがってる。 やっぱり自分は アメリカに帰らなければ」と思い直して、 共産党と交渉をしたんですね。 そうしたら、釈放してほしいのなら、 「ベトナム共産党は正しい」という趣旨の 署名入りの文章を、英語で書けと。 |
糸井 | ベトナム側のプロパガンダのために。 |
冷泉 | そうしたら、おまえを助けてやるぞ、と。 もう、ずーっと耐え抜いてきた マケインさんにとっては、屈辱だったでしょう。 でも、彼は、それをやったわけです。 |
糸井 | ‥‥やったんだ。 |
冷泉 | ただ、そのときに、一矢報いたんですね。 なんでも、インテリの人が読んだら 「強制されて書かされた文章」だってことが わかるような書きかたをしたらしい。 |
糸井 | ああ、なるほど、なるほど。 つまり 母国語としての強みを使ったわけですね。 |
冷泉 | 専門用語をつかったり、文法的に工夫したり、 かなり高級なことをやったらしいんです。 |
糸井 | うわー‥‥。 |
冷泉 | そうやって、ようやくアメリカに帰ってきた。 |
糸井 | うーん‥‥。 |
冷泉 | 拷問で、身体はボロボロになった状態でね。 結局、5年半にわたる捕虜時代、 彼が、何を経験し、 何を見てきたかということについては、 いろいろと、諸説あるんですよ。 顔を見るものイヤなくらい アジア人を嫌ってる、なんて言う人もいるし。 |
糸井 | うん、うん。 |
冷泉 | でも彼は、アジア系の子どもを、 何人も養子に迎えてるんです。 |
糸井 | へぇー‥‥。 |
冷泉 | 自分自身、壮絶な拷問を受けた経験から、 捕虜や囚人の人道問題には もっとも熱心に取り組んでいる人ですし。 |
糸井 | ええ、ええ。 |
冷泉 | アメリカとベトナムが国交を回復したあとは、 ベトナムに対する援助財団を 彼の奥さんがつくって、活動してたりとかね。 つまり、きれいごとじゃ語りきれない部分が かなり、ある人なんじゃないかと。 |
糸井 | そういうことは、知らなかったなぁ。 |
冷泉 | たぶん彼のなかで、ひとつの軸になってるのは、 「親父の足を引っ張りたくないし 親父に助けてもらうのもイヤだ」という‥‥ 「オレは、男になりたいんだ」みたいな 気概だったんじゃないかと、思うんですよね。 |
糸井 | なるほどなぁ。 |
冷泉 | それと、前回2000年の選挙のときにも、 共和党内で、ブッシュと争ったんですけど‥‥。 |
糸井 | ええ。 |
冷泉 | そのときにもね、ブッシュ陣営による ネガティブキャンペーンで ひどく誹謗中傷されて、降ろされてるんです。 奥さんが薬物中毒だとか、めちゃくちゃに。 そのときの経験から、自分は絶対に ネガティブキャンペーンは張らないぞと決めて。 |
糸井 | やらなかったんですか。 |
冷泉 | そういう「こだわり」の核にあったのは、 やっぱり「男になりたい」という マケインさんの気持ちだと、思うんです。 だから、今回の大統領選で負けた姿にも、 どこか「さわやかさ」を感じましたね。 |
糸井 | そうですか。 |
冷泉 | 大統領就任式の前日かなんかに、 オバマさんとならんでスピーチしたときの、 あの晴れ晴れした顔! やるべきことはやったぞ、みたいなね。 |
糸井 | オバマ映画もおもしろいけど。 |
冷泉 | ええ。 |
糸井 | そのマケイン物語も、いいなぁ(笑)。 |
<つづきます> | |
2009-02-24-TUE |