07 NY再考の朝ごはん その2 皿一杯のスクランブルエッグ。

二日目の朝。
迷わずボクは、昨日の店に座っていました。
運良く昨日とおんなじテーブル。
そして運良く、昨日と同じウェイターがボクの担当。
メニューを手渡す給仕係に、
入り口脇のテーブルを指さして、ボクはいいます。

「昨日、あそこに座っていた白髪の紳士が
 食べていたモノを食べたくってきたのですが」と。
怪訝そうな顔をする彼に、
その紳士のコトが伝わらなかったのかとボクは続けます。
「キレイになった洗い物をたくさんもった‥‥」
と続けるボクを制して彼は、こう答えます。

そのジェントルマンのコトなら
わかるんだがなぁ‥‥、と。

戸惑ったようなその表情と、ちょっと気まずい沈黙が、
彼がボクのコトを思い出せずにいることを物語ってる。
うーん、なるほど。
一日に何十人ものお客様がやってくる
レストランで働いていると、
一人ひとりのお客様のコトを覚えているのはむつかしい。
お客様であるボクにとって、
彼は特別な思い出の中の登場人物なのだけど、
両思いの関係にはなかなか上手くなれないモノです。
それでもめげず、
「あの紳士が本当においしそうに
 召し上がっていたものですから」。
彼は軽くウィンクして厨房の中にオーダーを通し、
オレンジジュースとコーヒーを持ち戻ってきます。

彼はね、この近所に住んでいて、
もう20年以上、朝はココ。
街の外に用事があるとき以外は
いつもうちのスクランブルエッグを食べるんだよネ。
他のモノを薦めてもずっとそれだけ。
今日は来ない。
洗濯屋からスーツを引き取った日は、
そのまま遠くに仕事にでかけると決まってるから
今朝は多分、街の外。
コロンビア大学の教授だったらしいんだよネ‥‥、
あの頑固じいさん。

聞きもしないのにそのおじいさまの話を
ひとりごとのように言うウェイター。
その表情はとてもおだやか。
まるで自分の身内のコトを語るみたいなやさしいさまに、
レストランと相思相愛になれた
おなじみさんが食べる料理って、
どれほどステキでおいしいんだろう‥‥、って、
気持ち、ワクワク。
ほどなくウェイター氏を呼ぶ声がして、
そしてボクの目の前に昨日たしかに見た
あの一皿がやってくる。





大量の湯気と一緒に、甘い香りがただよってくる。
皿一杯に山のように盛り付けられたスクランブルエッグ。
しかも玉子と一緒に、
茶色くなるまで炒め上げられた
細切れオニオンとスモークサーモン。
刻んだイタリアンパセリと挽いたばかりの胡椒が彩り、
風味をそえる目の前にあるだけで食欲そそる見事な一品。
サイドにトーストをしたゴマ付きベーグル、
クリームチーズ。
一口食べると、口いっぱいに鮭の脂の香りと味わい。
ツルンとスベスベしたオニオンが
玉子のフンワリした食感をひきたてて、
食べ始めるととまらない。
ただただ無言で、
一心不乱にスクランブルエッグを食べるボクの姿が、
ちょっと異質に見えたんでしょうか?
「気に入ったかな?」って声がかかった。
みれば落ち着いた、
明らかに当店のオーナーでござる的なる姿の
でっぷり太ったおじさんがボクのかたわらに立っている。

昨日、食べたスモークサーモンの
ベーグルもおいしかったけど、
このスクランブルエッグは感動的ですらありますよね。
こんな料理、今まで食べたことがなかったですし‥‥、
と、正直な気持ちを彼に伝える。
そして一言。
なぜ、メニューに「ニューヨーク1おいしいのは
スモークサーモンのベーグルサンド」と紹介してて、
このスクランブルエッグは特別扱いしないんですか?
思った疑問をぶつけてみます。

彼はニコッと。
そして一気にこう答えます。

確かにうちの
スモークサーモンとクリームチーズの
ベーグルサンドイッチは
ニューヨークで一番おいしいだろうけど、
うちで一番おいしいものはス
モークサーモンとクリームチーズの
ベーグルサンドイッチじゃないってコトなんだよね。

なるほど、たしかに。
ここにしかない料理は、他に比較するものがない。
街一番の料理より、店一番の料理を知ること。
大切なコトなんだなぁ‥‥、って。
そしてその「店一番」を気に入った人が、
おなじみさんになっていくんだ‥‥、って、
そう改めてボクは思った。

「それがこのスクランブルエッグってコトなんですね?」

そう言ったらば、彼は再びニコッと笑って、
「それも、うちで一番おいしい料理のひとつだって
 答えておこうか」と。
明日の朝。
3日間のニューヨーク滞在の最後の朝を、
ボクは迷わずここでとろうとボクはそのとき、
決心したのでありました。




2010-11-25-THU
 

© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN