ボクは寒くて、寒くて、目が覚めました。
慣れぬ布団に、畳の床に、
そして横には父がいびきをかいて寝ている。
遠くから、地響きのような低くて深い音が
うねってやってくる。
あれは何の音?
ここは、どこ?
にわかにその判断がつきかねて、
布団の中でしばらく考え、なるほどそうか。
昨日から、山奥の名刹の宿坊に
きていたことを思い出します。
父と二人で。
父の幼なじみが厳しい修行の末、
生き仏さまのような立場になったそのお祝いを
折角だから一緒にしにいかないか? と、誘われ昨日。
宿坊に夕方入って、その御坊様と小一時間ほど
問答のようなことをして、それから一緒に食事をとった。
その御坊様はボクのことを、
しきりに利発げな子でいい表情をしているという。
修行の話や、お寺の中のさまざまなコトを聞き、
もともと母の実家がお寺であったということもあり、
決して抹香臭いやりとりが嫌じゃなかった。
気づけば夜もおそくなり、
ここに泊まって行きますか?
と、勧められて父と二人でお世話になった。
地面がうなるようなその音の正体は、
朝の読経の声だったのです。
低い声が本堂の方からみしみし、
宿坊に向かって押し寄せては突き抜けていく、
目が覚めてから10分ほども続きましたか。
鐘の音と共にピタッととまり、
コワイほどの静けさが追いかけてくる。
部屋の襖がそっとあき、
食事の準備がまもなくできますと。
食堂に行くとズラッとお膳が並んでる。
一人一膳。
ご飯に汁に漬物、それから胡麻豆腐。
野菜の煮付けと質素だけれど、
ひとつひとつが丁寧に作られていておいしかった。
前夜の粗食で、お腹がすいていたのも
おいしくさせた理由のひとつ。
大切に使い続けられているのでしょう‥‥、
手のひらにピタッと吸いつきなじむ
漆の食器のうつくしいコト。
飛び上がるほどおいしいモノはなにもなく、
けれどココロがおだやかになっていくやさしい朝食。
なんだか体が透き通るような気持ちになって、
背筋がしゃんとする。
おいとまの前のご挨拶をします。
するとその御坊様が
「また遊びにいらっしゃい‥‥、
よければ一緒に勉強しましょう」と。
帰りの電車の中で父が、さりげなく。
あそこで修行してみる気はないか? とボクに聞きます。
おそらく当時、父も母も
家族の将来が不安で仕方がなかったのでしょう。
今になって思えば、
ボクの進学も危うい経済的状況に
当時のサカキ家はあったのでしょうネ‥‥、
父はボクの将来を思って
ワザワザ友人を訪ねてボクを会わせたのです。
にわかに答えを言えぬ雰囲気がありました。
あそこはボクがいる場所ではない、とそう感じ、
けれどどうそれを伝えればいいのか少々迷って、
こう言いました。
「毎日、あんな食事では気が滅入るよね」と。
たしかに、あんな料理ばかり食べていては
元気がでんよなぁ‥‥、
と父はそういい二度とそのお寺の話を
父がすることはなかったのです。
今でも父から
「お前は胃袋で今の人生を選んだ」
と言われることがあります。
ただボクは、料理が嫌なのではなくて、一人が一膳。
食事の間、話しをすることなく
互いの料理を分け合うこともなく、
ただただ自分に向き合うだけの
食事のあり方がどうにもこうにも受け入れがたかった。
ボクの家の食事どきといえば、
テーブルの真中に大きなお皿がドンッと置かれて
みんなでそれをとり合って、
今日あったコトや思ってるコト。
明日のコトあこれからのコトをみんなが次々口に出す、
とても賑やかでたのしい時間。
嫌なことがあっても。
どんなに気分が沈んでいても、
家族みんなで食卓を囲めば元気にしてもらえる。
それが食事と思っていたから、
一人でただただ黙々と食べる料理を、
「食事」と思うコトができなかった。
だから、あそこはボクがいるべき場所じゃない、
とそう思ったのです。
家に帰ってその旅の顛末を心配げに聞く母に、
ボクは正直な気持ちを伝え、
それでおそらく母が
ボクの気持ちを手紙にしてその寺に送ったのでしょう。
返事が来ました。
ボク宛の丁寧な手紙には、こう綴られていた。
宿望にて私たちはたしかに静かに、
一人一膳に向かいます。
けれど決して一人で食べているわけではない。
一口ごとに。
一噛みごとに、その膳を空から見守る仏様と対話をし、
その膳の向こう側にいる姿は見えずとも
私たちと関わりのある人々と会話をしながら
料理をいただく。
とてもにぎやかな食卓なのです。
自分は今、ひとりで食事をしているのだと
寂しく思うことほど傲慢な気持ちはない。
そうココロから思えるように、
私たちは日々、修業を通して徳を積むのです。
ココロ豊かであり続ける修業は、
寺の中でも寺の外でも同じくできる。
お父様、お母様を大切に、
徳を積まれますように‥‥、と。
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