そこは、うんざりするほど遠くにありました。
東京からだと新幹線にのり、電車を乗り継ぎ、
都合、4時間ほどもかかりましたか。
移動時間だけを考えれば、
隣の国に旅行できるほどの
時間をかけて行かなきゃいけない場所。
当然、ふらっと気軽にいけるレストランではなく、
そこで食事をすることを目的に
丸一日を台無しにする覚悟でみんな旅をする。

三重県の伊勢志摩にある「志摩観光ホテル」。
そのメインダイニング
「ラ・メール」というレストランが、そのお店。
かつて、そのホテルに泊まるということはつまり、
「ラ・メールで食事をする」ということを
意味していたほど、
夕食前の時間になるとチェックインするお客様で、
ホテルのロビーはにぎわったモノです。
客室にはいり荷解きをして、
晩餐にふさわしい装いに着替え、
くつろぎながら食事の時間を待つ。
準備ができると、部屋係が呼びにくるのです。
「サカキ様の食卓の準備がととのいました」‥‥、と。

はじめてそのダイニングホールに入った人は、
その名声を裏切るほどにシンプルで
飾り気の無い空間に拍子抜けする。
けれど、しばらくその空間に身をおいて、
入念に観察するにしたがって
そこが特別な場所として誂えられているというコトに
気がつくようにできている。

パリっとしている。
けれど触った指先が、
硬さを感じぬ程度にほどよく糊のきいたテーブルクロス。
座ると自然に背筋がのびるように作られた椅子にテーブル。
隣のテーブルとのほどよき感覚。
何より、窓の外にはうつくしき伊勢湾の景色が広がる。
すべてがそのすばらしきロケーションと、
まもなくやってくるであろう料理のために
しつらえられている空間なんだと‥‥。

特別なレストランとは、
そのレストランが特別である理由を探そうと、
ココロを使う人のためにだけ特別であるモノなのですネ。




食べるモノは決まっています。
この伊勢湾の海の幸を贅沢に使ったスペシャリテ。
ビスクに伊勢海老のテルミドール、
そしてアワビのステーキという、いつ来てもそれ。
それを食べねばココに来た意味なき逸品。

まずはその日の前菜で気持ちをやさしくほぐしながら、
スープに伊勢海老。
その頃合いで、熟して今にも落ちてしまいそうな
柿の実のごとき太陽が目の前に現れて、
おごそかにそれが沈んでいく。
窓の外に見るべき景色が失せてしまうと、
自然と人は目の前を見る。
そこにはすでに幸せそうな、
共に食卓を囲む大切な人たちの笑顔があって、
あぁ、よかったなぁ‥‥、と思うわけです。
アワビのステーキにココロはずませ、
驚きに満ちた食事が終わる頃。
給仕長が、いかがでしたか?
よろしければ、厨房の中でシェフがお待ちしておりますが、
お越しになりませんか‥‥、と一言。
断る理由はどこにもなくて、厨房の中に向かうと
そこは、今まで料理が作られていたとは思えぬ
整然とした様。
すべての食材は保存されるべき場所にあり、
すべての鍋はキレイに磨かれ、
そこに調理長以下、厨房のスタッフが全員並んで、
ありがとうございますと頭を下げる。
白衣は白く、汚れがどこにもみつからぬ、
そのうつくしさに思わず拍手をしてしまう。

それが毎日。
あたかも太陽が上がって沈み、
再び上がるかのような正確さをもって
延々、繰り広げられているというそのコトを知り、
来てよかったと思うのです。





どのようにして、この素晴らしきレストランが生まれ、
維持され、その名声を保ち続けていらっしゃるのか。
話を聞きたい。
可能ならば、ぜひ勉強会で講演をしていただけませんか?
と何度目かの訪問ののち、調理長にボクはたのんだ。
よろしいでしょう‥‥、と快諾をしていただいた、
その時の条件がまたすばらしかった。

自分が話す内容にいささかの誇張や嘘が混ざらぬように、
自ら律するためにも一名。
厨房の中のスタッフを同席させて、
勉強をさせてやっていただきたいというコト。
それから、夕食営業の最終チェックに間に合う時間。
間に合う場所でその勉強会を
開催していただけるのならば‥‥、と。
いつもは東京で行う予定を、
大阪に場所を移して開催した勉強会。

すばらしい内容でした。
世界に誇るべき食材に恵まれた伊勢志摩という場所に、
日本中から来ていただきたい。
ココにしかない。
ココでしかありえない。
ワザワザ来るにふさわしい、かけがえのない時間を
「子供の無邪気な気持ちと、大人の財布を持った人たち」
に体験していただくために頑張っている。
そのためのさまざまなコトを包み隠さず教えてもらい、
参加者一同、その調理長のファンになる。
一つのコトを繰り返す。
その退屈と単調を厭わぬ辛抱こそが、
日本すべてを商圏とすることを可能にした。
つまり私たちは「日本という地域の一番店なのです」と、
そういう内容の話にボクらのメモをとる手はとまらない。
何かご質問はありませんか?
という問いかけに、とあるレストランの経営者が
こんな質問をしたのです。

「どんなにすばらしいレストランにも、
 嫌なお客様はいらっしゃると思うのですが、
 どんなお客様が嫌われますか?」と。

飲食店に携わる人間として、
聞かれると一応に困ってしまう難しい質問に、
彼は躊躇せずこういいました。
10人のお客様がいらっしゃれば、
10の個性がそこにはある。
その個性を「ステキ」と思う気持ちをなくしては、
よい調理人にはなれません。
ただ、「あぁ、野暮だなぁ‥‥」、
と勿体無く思うお客様はいらっしゃる。
野暮な人は損をしてらっしゃると思うのですよね‥‥、と。

さて、どんな人を彼は「野暮」といったのでしょう。
また来週といたしましょう。



2013-01-24-THU



© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN