確かに人というもの。
何かの目的に向かって歩いているときは、
人の視線に対して無防備になってしまうモノなのですね。
目的に到着したとき。
あるいは、途中でなにかの拍子に立ち止まったとき
ショーウィンドウに写った自分の姿をみて、
はじめて人の視線を意識したりする。
レストランという空間。
そこは人と人とが見合う空間、見られあう空間でもある。
しげしげと他の人が食べてるところを観察することは
無礼で、慎むべき行為。
けれど、人に見られているかもしれないなぁ‥‥、
と思って背筋を伸ばして食事をする気持ち。
あぁ、あの人たちって
本当にたのしそうに食事をしてる‥‥、
とステキなテーブルからシアワセのオスソワケを頂戴する。
それがレストランという空間を
たのしむというコトでもあって、
だからどこかで「無防備で無意識」な自分を捨てて、
「見られてもオッケー」な自分に
ならなきゃいけないのです。
さぁ、どこで。
それが実はエントランスホールという場所。
ドアを開けます。
とても高級な、それこそ一生に一度の経験で
思い切って行かなきゃいけないようなお店。
その入り口にはドアを開けてくれる人がいたりして、
ドアを開ける前にすでに自分のコトを意識させられる。
まぁ、そんなお店は数少なくて、
だからほとんどの場合、
自分でドアを開けて中へとはいってく。
いらっしゃいませ‥‥、とお店の人がでむかえます。
予約のお客様がいらっしゃる時間が近づいてくると、
案内係や支配人のようなお客様を出迎える
仕事をする人たちはそわそわ、
入り口に方に気持ちをやります。
ドアがカチッとあく気配。
それを感じてすかさずドアに近づいて、
開きかけた扉に手を添え、やさしく開くのを手伝いながら、
「いらっしゃいませ」。
ここで「見られる自分」の準備ができる。
しかもその後、コートを預け、
帽子を預け、手荷物を預けと、
「街を歩く人」から「レストランで食事する人」へ
変化を遂げる。
そのひとつひとつの作業の中で、
やはり「見られる自分」ができるのです。
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