どんなに帽子を脱ぐようにお願いしても、脱げぬ方。
俗に「有名人」とおっしゃる方々。
周りの人に自分の存在がわかってしまうのが怖いから。
プライバシーを保つために、
帽子を脱ぐわけにいかないんです‥‥、と大抵おっしゃる。
とあるお店の支配人いわく──。
「うちのお店に限らず、飲食店には大抵、
他のお客様から死角になってしまう席があります。
お客様から見えないということは、
わたくしどもサービススタッフからも見通しづらいので、
サービスが行き届かない恐れのあるテーブルでもあって、
あまりおすすめしない場所なのです。
あちらであれば、帽子をお召しのままでも
よろしゅうございますが‥‥、
と案内してもそこで帽子をかぶっておられますね。
そういうお客様は大体にして、
個室にお連れしても帽子を召してらっしゃるので、
おそらく髪の毛と帽子が一体化しちゃってるに
違いないと思うことにしているんですよ」
‥‥、だそうな。
そもそも帽子は身分を隠すためのものなのか?
たしかに、ニュース画像で報道される
事件の犯人たちは大抵帽子をかぶってる。
そのほとんどが頭をすっぽり覆い隠す
目なし帽と呼ばれるものか、深々とかぶる野球帽。
正体特定されづらいものを選んでかぶる。
それは洋の東西問わぬならわし。
日本は平和な国ですから、
レストランの入り口に野球帽を目深にかぶった人が
のっそり立っていても、
「あぁ、帽子をかぶった人がいる」
とぐらいにしか思われないけれど、
アメリカのような物騒な国ではそれはすなわち
「警戒しなくちゃいけない人が立っている」
ってコトになる。
飲食店の人たちと、アメリカで生活しよう‥‥、
という催しを定期的にしていたコトがあります。
「生活しよう」がテーマですから
あちらに行って
レストランでコミュニケーションをとるのも
すべて自分で行うわけです。
いきなりテーブルサービスは複雑すぎて大変ですから、
ファストフードで注文する、というのを
最初の課題にするのですが、
ある時、警察を呼ぶ、呼ばないの
大騒ぎが起こってしまいました。
その人は野球帽をかぶっていました。
英語でコミュニケーションができるかどうか、
不安で仕方ないからおどおどしてしまう。
しかも下向きに視線を落とし、
目線を合わせぬ姿がまるで
これから強盗でもしようかという気弱な人に見えてしまう。
マネージャーが出てきて、
さて、どう対処しようか迷って当然なのでした。
レストランをたのしむのは
お店の人とのコミュニケーションをたのしむこと。
コミュニケーションのはじまりは、顔を見せること。
そしてその顔が、ステキな笑顔である、
ということなんですよね‥‥、と、
そういう勉強をしたことがあるのです。
帽子は「身分を隠すためのモノ」ではなく、
そこに何か特別の「意思を持った人がいる」と
周りの人たちに知らしめる道具。
少なくともレストランのような場所では
そういうモノであろうと思う。
その特別な意思にはふたつ。
ひとつは、「正体を見破られたくない」という意思で、
もう一つは「私はココにいるから見てネ!」という
自己顕示の意思。
英国王室の結婚式では、
驚くほどに奇抜な帽子をかぶった王室の人たちが
式中一切帽子を脱がず、
テレビカメラの格好の被写体になっていました。
あれだけ大勢の人の中で、
帽子と人がタグ付けされているから
「あぁ、今、花嫁の妹さんがあそこにいる」
とひと目でわかる。
挨拶をしなくては失礼にあたる立場の人。
あるいは、あの人にあって挨拶したんだよと
自慢したい人たちのために、帽子を被る。
つまり帽子は「挨拶を促すきっかけ」。
上流階級の人たちが集まる由緒正しい競馬場で、
田舎訛りを矯正したオードリー・ヘップバーンも
あの瀟洒な帽子をかぶっていなければ、
努力の発揮のしがいがなかった。
‥‥かもしれないと思うと、
帽子の役割は自ずと分かります。
逆に帽子をかぶっている人が何者でもなかったときの、
周りの人たちの落胆は相当なモノ。
だから帽子をかぶり続けるということは、
かなりの覚悟のいる行為。
それでもまだ、レストランで帽子をかぶり続けることを
やめないのであれば、何も申し上げずにおきましょう。
一方、帽子を脱がぬのではなく
「脱げない」お客様もいらっしゃる。
件の支配人。
つばのないクシュッと縮れた
ニット帽をかぶった女性のお客様をあるとき発見。
お友達らしき女性と三人連れでお店に入ってこられて
そのまま、帽子をずっとかぶってた。
近づき、「お客様、お帽子を‥‥」と注意しようと
一言かけると、女性はちょっと帽子をずらす。
おそらく投薬治療の副作用でらっしゃいましょうか。
髪の毛がさみしい状態の頭がちょっと見て取れて、
あぁ、これは申し訳ない事をした‥‥、と声が止まった。
すると彼女が「お店に入るときに、
お知らせすればよかったですね」と助け舟。
救われた‥‥、っておっしゃった。
そのときは、どのように対処されるのですかと聞いたら、
「この方の帽子は私共が認めた帽子。
他のお客様も安心めされよ」
と伝わるように、事あるごとに声をかけ、
二倍、三倍のサービスをするよう心がけます。
それがまた五月蝿いといわれると、
もう謝るしかございません‥‥、と。
帽子の他にも注意しなくちゃいけない
装いはあるんでしょうか。また来週。
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