おいしい店とのつきあい方。

年末年始番外編。 その2今年もよろしくお願いします。

フェイスブックボクのブログを見てらっしゃる方と、
実際お目にかかる機会が少なからずあります。

初対面の方は大抵、
「もっと大きな方かと想像しておりました」
とビックリされる。

身長168センチ。
体重は90キロ弱ですから十分、大きな体です。
吊るしの服は体に馴染まず、
基本、誂え服でなくてはおさまりきらない、
いわゆる肥満体です。
にもかかわらずもっと大きな体に違いないと、
ほとんどの人はイメージを持つ。
それだけたくさん食べているように見えるのでしょう。

昔は本当にたくさん食べてた。
アメリカンスタイルのビストロにいって、
ただでさえアメリカンポーションの料理が続くコースを
ふた通り一度に食べてもまだお腹が空いた。
エアロビクスがたのしくてしょうがなく、
体を動かせばお腹が空いて食べられる。
カロリー消費をしっかりすれば、
いくら食べても大丈夫‥‥、
なんて勝手な安心を得られるからと、
体を動かし、また食べる。
30代半ばのコトです。
新陳代謝はまだ旺盛。
とは言え、カロリー摂取量と
消費量のバランスはどうしたって崩れます。
結果、太ります。

若かったからでしょう‥‥、
人間ドックの数値自体は悪くはなかった。
だからお医者様に
「こんな体でも健康体。まだまだ大丈夫ですね」
と言ったら、呆れ顔して
「サカキさん、太っていることそのものが、
もう病気と同じですからネ」と、
痩せるように厳しいご指導。

「あれを食べちゃだめ、
これじゃなきゃダメって言っても
どうせサカキさんは食べたいものを食べるでしょう。
だから何を食べてもよしとしましょう。
ただ、時間をかけて食べること。
食べるものを口の中に入れたら
箸やフォークを一旦置いて、
口の中が完全になくなるまで
手を両膝の上に置いて味わう。
満腹を感じる前に必要以上の料理を
お腹に放り込んでしまうことを防ぐことができる食べ方。
できますか?」

できますか? という不敵な挑戦。
受けてみましょう‥‥、とやってみました。
口の中に料理を入れる。
手を置きしばし、料理をたのしむ。
舌で味わうだけじゃなく、
奥歯を叩く感じであるとか歯茎を撫でるなめらかさ。
口いっぱいに広がっていく温度感や、
耳の奥から聞こえてくる料理が壊れて崩れる音。
あぁ、この料理はどうやって作られたんだろう‥‥。
このソースは何でできているんだろう‥‥。
この次に口の中に入れるとしたら、
このお皿の上の何が適切なんだろう‥‥。
‥‥、とか、考えながら食べていると
口の中の料理がなくなってしまうのなんてあっという間。
しかもなやましいコトに、
今、口の中にある料理以外の食べたいものが
次々頭の中に浮かんでくる。

そのときわかったのが、
空いていたのは「お腹」じゃなくて
「好奇心」の方だったというコト。

食に対する好奇心。
不思議と「もっとおいしい料理があるんじゃないか」
という方向に向かっていかぬ好奇心。

これは何でできているのかなあ‥‥。
どうやって作っているんだろう‥‥。
どう工夫したらもっとおいしく
食べることができるんだろう‥‥。
もし自分で作るとしたらどうやったらいいだろう‥‥。
というようなさまざまな好奇心。

趣味は何ですか? って質問されたら
迷わず「食べること」と答えるでしょう。
正確に言えば「たのしく食べること」。
思い出してみれば、小さな頃からずっと
食べることが大好きで、
食べること以外の趣味はみんな長続きしないのに、
「食べるという趣味」だけは今に至るまで
ずっと飽きずに続いてる。

そういえば小学校の高学年の頃、学校の先生から
「食べるために生きるような人生を送っちゃダメだ」
となにかの授業で言われたときには、
なんでそんな哀しいことを先生は言うんだろう‥‥、
と母に相談したことがある。

母は言います。

「いろんな食べ物、
いろんな食べ方があるのでしょう。
生きるために食べる食べ物は体の栄養。
私があなたに作ってあげたいのは、
体だけじゃなく『心の栄養』になるようなお料理。
もしそういう料理を食べたいと思って生きることは
決して恥ずべきことではないと思う。
大人になったときに、その先生に
『ボクは食べるために生きて、なおしあわせでした』
と胸をはって言える食べ方を
一緒に考えればいいんじゃないかしら‥‥」

と。

母とふたりで手に入れた
「『食べるために生きる』にふさわしい食べ方、
そして食べ物」の話をしばらくいたしましょう。
今、思いつくだけで20ほど。
書くうちに増えていくかもしれず
しばらくお付き合い頂きたいと存じます。

2018-01-04-THU