「なぜ、目玉焼きの焼き加減となると
いつもワガママにふるまうの?」
そう父に聞いたことがありました。
なにしろ父と一緒に朝食をとると、
目玉焼きにつける注文がいつも厳しい。
アメリカに行っても、台湾であっても、
どこでも同じく注文つける。
絵が上手な人でした。
だから言葉が通じないところに行くと、
手帳を出して目玉焼きの絵を描きながら
知る限りの英語を使って説明をする。
代わりに説明しようかと言っても、
いや、これだけは自己責任だからと一生懸命。
その執着心が不思議でしょうがなくって、
冒頭の質問をしたワケです。
父の答えがふるってました。
「せっかくプロに料理を作ってもらうんだ。
しかもそれに対して金を払って‥‥。
だったら自分が食べたいものを作ってもらいたいと
誰でも思うじゃないか。
私が昔、飲食店をやってたときも
自分が食べたいものを食べたいように食べられるよう、
調理人を必死で教育したものだ。
でもな。
プロにはプロの流儀がある。
例えば寿司屋に行くだろう。
自分の食べたい寿司を
プロに握ってもらうことはむつかしい。
せいぜい自分の好みの寿司を握ってくれる店を探して、
そこの馴染みになるほかない。
他人に気を使うことが苦手で下手な私が
唯一、一生懸命気を使う場所が寿司屋のカウンター。
くやしいだろぉ‥‥」
父は続けました。
「ステーキ屋に行く。
サーロインの脂の少ないところを
ミディアムに焼いてもらうのが好きなんだ。
芯の部分だけが肉色で、周りはこんがり。
脂は焦げてカリッとしていて、
芯の赤いところも決してひんやりレアの状態じゃない。
そういう焼き加減で食べたいのだけど、
なかなかこれも難しい。
自分だって上手に焼けないんだから、
どのように焼いてくれとは説明できず、
だから今まで食べたステーキの中で、
これは完璧な焼き加減と感じたことは2回くらい。
それ以外は、あぁ、残念と思う仕上がり。
でもな。
ステーキの焼き加減が『ほとんどいい』のに
『ちょっと残念』だからといって、
それを指摘してもしょうがない。
お店の人は『焼き直しましょうか?』とは
決して言わない。
ワガママな私だって『焼き直せ』とは
言えないもんなぁ‥‥、お店の人に迷惑がかかる。
原価だって大変なもんだしな‥‥」
そこで目玉焼きだ、と父は言うのです。
「ワガママを言っていい条件が
これほど揃った料理は他にないんだよ。
まず、下ごしらえをほとんど必要としない。
誰にでも作れる。
しかも作り方が無数にある。
作り方を説明しやすく、
作ってもらいたい状態を説明するのも容易い。
あとは、仕上がり状態を正しくイメージしながら
作る努力をするかどうかが、出来上がりを決める料理だ。
作り直しをお願いしても、お店の懐が痛むことは少なく、
やり直し分のお代をちょうだいできますか‥‥、
と言われたって大丈夫なんだ」
なるほどかなりの説得力です。
「ただ、この前、私の好みじゃない目玉焼きを
食べる羽目になったんだ‥‥」
と、不思議なほどにうれしそうな顔をしながら
父は話を続けます。
ボクの父は妹の子供のじぃじでもあり、
妹の家に先日泊まった時の話です。
朝、起きたら「じぃじ、玉子は何個食べる?」と孫が言う。
いつも2個だよ‥‥、って言って
着替えてダイニングルームに行ったら
目玉焼きがもう焼けている。
片面焼き。
白身の縁がしっかり焼けて焦げ色がついていて、
黄身の表面もカチッと焼けていました。
「あぁ、焼きすぎだなぁ‥‥、
と言おうと思ったんだけど、
孫がニコニコしながら
『私が焼いたの‥‥、私が好きなように焼いたのよ』
って言うから、そりゃ食べなくちゃいけないじゃないか。
食べたら、これが案外旨い。
黄身の表面は固まってるんだけど、
芯の部分がトロトロで味が凝縮されてて、
これはこれで旨いなぁ‥‥、って。
今まで自分の好きな目玉焼きが
一番旨いと思っていたけど、
違った旨さのある目玉焼きが
他にもあるんだと気づいたんだよ」
‥‥、と。
自分が好きなものを食べるのは当然シアワセなこと。
けれど、自分が大切に思う人が
おいしいと思うものを食べること。
それもシアワセ。
その話を聞いてから、ボクもときおり、
こんなふうに目玉焼きの注文をするようになった。
「あなたが一番おいしいと思う目玉焼きを
作っていただけませんか?
白身が生っぽいのだけは苦手ですけど」
おいしい世界が広がりました。
2018-04-12-THU