さて先週の宿題。
世界で一番、破壊を伴わず食べることができる
料理はなんだろう‥‥。
答えは日本にあります。
それは寿司。
江戸前の握り寿司がその答え。
寿司1貫。
それは小さい。
口の中にそのまま収まり、舌の上にのるサイズ。
だから食すにあたって切りわける必要がありません。
ちぎることもなく、噛み切るような煩わしさもない。
つまり「いわゆる壊す作業」を一切必要とせず、
「このままどうぞ」と静かにつぶやく、
やさしいというのか、
この上もなく無抵抗と評すればいいのか‥‥。
それはなんとも潔い。
英国のお行儀の良いサンドイッチ。
小ぶりの食パンに最小限の具材をはさみ、
耳を丁寧に削ぎ落とす。
そこに十字にナイフを入れて、
4分の1に切り分けたお茶のお供のサンドイッチも
ひとくちサイズ。
手でつまみあげ唇をよごさず、
前歯を使うこともなく舌の上にそっとのっかり、
奥歯がそれを壊すのみ。
寿司によく似た料理だけれど、
提供された料理の姿に破壊の気配があるか無しかで
判断をすれば、
寿司に比べてサンドイッチには破壊を感じる。
調理段階での破壊です。
サンドイッチの几帳面な形。
そしてそのうつくしい断面は
鋭いナイフの刃で切りつけられた証。
破壊の名残です。
それに比べて手のひらと指で形作られた寿司の姿には、
壊された‥‥、という気配がほぼない。
当然、寿司はシャリとそれを覆うネタで構成されていて、
ネタは包丁で切り分けられている。
ただその切り分けられたネタの姿は
あまりに自然でうつくしく、
例えばシャリの上にあるマグロの赤身。
それはそのかたちのままに
海を泳いでいたのかも知れない‥‥、と思えてしまうほど。
寿司屋のカウンターに座って、
職人さんの手元をみると手わざにウットリさせられます。
切り分けやすいように形を整えられた魚の切り身。
そこに包丁の刃をそっとあて、撫でるようにやさしく引く。
刃はゆっくりと切り身の中に沈んでいって、
たちまち1枚の寿司のネタになる。
そのなめらかにして自然なさまに、
もしかしたらあの魚の切り身は
自分が今、切られていることを知らずに
すんでいるんじゃないかと思ってしまうほど。
そこからはすべてが手の上でできあがっていく。
特別な調理道具も調理器も必要とすることなく
手だけが仕上げていく料理。
刷毛で煮切を塗ってしまえば、
食べ手が調味料を使うことすら必要とせず
そのまま口に運べばよい。
どのように食べれば一番おいしいか‥‥、と
想像力を発揮する余地すらない完成している料理。
それが、寿司。
そこにはなんの謎もない。
そのままどうぞ召し上がれという、
強烈な命令形の料理でありつつ、
その姿はなんとやさしくつややかなこと。
そう言えば中国料理の点心も、
下ごしらえさえすませれば
あとは手で包み込んで仕上げるだけ。
寿司によく似た料理です。
小さなものはそのまま舌にのせて一口で味わえる。
中には箸で切らなくてはならないものもありますが、
その切り分けも破壊行為というにはやさしい。
ただここに至るまで、
食材たちは大変な目にあったんだろうなぁ‥‥、
と思ってしまう。
例えば小籠包の生地の中に包まれたこのミンチ。
切り刻まれてすり潰されて、
痛かったろうなぁ‥‥、ってしみじみ思う。
そういう気持ちと無縁の寿司。
平和を愛する日本人の感性が作り出した
稀有な料理と感じます。
2020-09-24-THU