第1回 あれから8年。

2000年9月、東京・白金5丁目に、
一軒のそば屋が開店しました。
屋号は「三合菴」(さんごうあん)。
33歳の加藤裕之さんが、奥さんの真巨(まみ)さんと
ふたりではじめた、20席の、ちいさなお店でした。

開店して3か月ほどしてから、
その店に行った糸井重里は、
「ダーリンコラム」にこんな文章を書いています。
ちょっと長いですけれど、お読みください。

いい店をつくる

店は、店主と店員がつくるものだけれど、
実は、お客もそこには参加している。

だるいなぁとか思いながら、せっかくの土曜日なので、
前々から行きたかったそば屋に行った。
ぼくには、ここの若いご主人のつくるそばが
東京一うまいと思える。
もともと新宿の一等地に、彼のそば屋はあった。
このご主人の腕に惚れたお金持ちのそば好きおじさんが、
彼を雇い入れるかたちで店を出させていたらしい。
しかし、その店はたぶん経営の事情でなくなってしまい、
「あの人のそば」が食べられなくなっていた。

ところが、いい腕にはいいサポーターがつくもので、
最近、あらたに自分の経営で店を出せたという話を聞き、
どうしても行きたくなって、いまだとばかりに
土曜日にでかけた。

地元の人たちにふつうに親しまれるような大きさの、
小さな店で、内装やらに大きなコストはかけていない。
従業員といえば、ご本人と、新婚の若奥さんらしい人と、
ご主人に顔のよく似た初老の婦人と、
33歳のご主人よりだいぶん年下に見える青年。
ぜんぶで4人が働いていた。

ぼくはカグチさんと行ったのだけれど、
まず、時期限定らしい「しめさば」を頼んで、
季節のおひたし、そばがき、
そしてせいろを一枚ずつ。
せいろは、あとで追加するかもしれないという気持で、
とにかく一枚ずつにしたのだが、
そばがきを食べている時に、そばゆがあんまりうまいので
すっかり飲んでしまって、追加はできなかった。
新宿にあったときの高級店な感じでなくなっていて、
せいろのそばの量も少し多めになっていたし、
値段もせいろ一枚が700円だったと思う。

うまいうまいと、カグチさんとぼくは、
まるで互いを誉め合っているかのように言い続けた。
特に、言い忘れそうだけれど忘れちゃいけないのは
「そばゆ」のおいしさで、
つゆを混ぜないでそのまま飲んでもうまい。
おいしいお米で炊いた重湯のような甘みと香りがあって、
からだの欠けの部分にうるおいを与えてくれるような、
頭なでなでされているようなおいしさである。
これだけで料金をとってもいいくらいのおいしさだ。
そばゆは「そばをゆでた釜の湯」のはずだけれど、
どうやら、ここの店では、
それをそのまま出すのではなく、
「そばゆも作ってお出ししてるんです」
ということらしい。
なんてこった、だからあのとろみ、あのうまみなのか。

ぼくたちふたりの他に、もうひとテーブル客がいたが、
そこのふたりが帰ったら、ぼくらだけになってしまった。
『土曜の二時とはいえ、経営は大丈夫なんだろうか』
ぼくは、よく自分が言われているようなことを、
この店に対して思ってしまった。

近所の人たちにとっては、ここのそばは、
ちょっと高いと思われるだろう。
量も、まだ少ないと感じられるかもしれない。
献立をだいぶ増やしたとはいえ、丼ものもないし、
派手なてんこ盛りのそば類は置いてない。

むろん、これだけのおいしいそばを出している限りは、
いつか繁盛するだろうし
経営ベースにも乗るにちがいない。
しかし、途中は苦しいだろうと思うのだ。
丼ものをだせば、
もう数人の地元客が呼べるかもしれない。
ほんの少し手間や材料のコストを下げて、
値段を下げる方が
一時的にいい店と思われるかもしれない。
そろばんを持ち出したときの心配は、
ずいぶん軽減されることだろう。
だけれど、経営的に心配がなくなることが、
もともとの目的ではなかったはずだ。
経営の成り立っている店なんて、いくらでもある。
しかし、このご主人のつくるそばは、
いくらでもあるものではないわけだ。

経営の厳しい状況、それを我慢しつづけれらなければ、
「こころざし」が風化してしまうことになる。

この時、この店に対して、客の側にできることがある。
そういうふうに、ぼくは思うのだ。
できるかぎり、この店で食べる。
なるべく、店の利益がでるようにそばを食べる。
自分以外に、この店に行く客をつくりだす。
こういうことは、客がやれるのだ。
これはこれで、限界があるのはわかっているが、
ここからスタートすることが、
ぼくにとっての「行きたいそば屋」を守る方策だ。

ほんとうは、これからの時代には、
「賛助会員」のように毎月食べに行こうが行くまいが、
決まった会費を支払って店のサポートをする方法もある。
これで、特にいい食材を手に入れることもできるし、
「背に腹は代えられぬ」という悩みから
店の主人や彼の技能を救うことができるだろう。
この方法は、特に、これからますますいい素材が
手に入りにくくなる鮨屋などにはもっと向いてると思う。
しかし、これはこれできちんと店の主人の方針があって、
それに賛同する贔屓の客がいなくてはいけない。
すぐにできるしくみではないような気がする。

思えば、「ほぼ日刊イトイ新聞」にしても、
まず、具体的に原稿を寄せてくれる人たちがいる。
さらにいくつかの企業のサポートがあって、
スタッフや手伝いをしてくれる人々のサポートがあって、
ひとりひとりの読者のサポートがあって、
(おっと、糸井重里個人という、
 狂気じみたサポーターも忘れちゃいけねぇ)
やっと成り立って(いないとも言えるけどさ)るわけだ。
こういう方法は、あらゆる仕事に当てはめて
考えられるのではないだろうか。

欲しくもないような大量生産の品や情報を、
お仕着せで買わされて「値引き」サービスされるよりも、
ほんとうにあって欲しいものを、
コストを支払ってでも手に入れるということが、
これからの時代に、いろんな角度から
試されていくのではないかと、ぼくは思っている。

じゃ、そのそば屋のことを伝えるね。
遠くに住んでいる人、もうしわけないけど、
東京に来たら寄ってください、ってことで。
「イトイさんに教えてもらいました」とか言うと、
ちょっとなんかしらサービスされるかもしれないよ。
(スマイルだけかもしれないけどさ)

『三合菴』

港区白金5-10-10 白金510-1F
3444-3570

毎週水曜日、第3木曜日 定休
営業時間(昼)11:30〜14:30・(夜)17:30〜21:30

広尾にある北里病院の並び、
外苑西通り側にある交番の、
路地を挟んで隣って感じの場所です。

あんなにいい店が、当然のように繁盛しますように。

(2000-11-27-MONの「ダーリンコラム」より)

あれから8年。
「ほぼ日」が2度の引っ越しをするあいだに、
「三合菴」はたくさんのお客さんの信頼をあつめ、
店を大きくしてきました。
きちんとした食材を仕入れること、
毎日、じぶんでおいしい蕎麦を打つこと、
ていねいな季節の料理を出すこと、
丼ものはメニューにのせないこと、
接客に心をくだくこと、
清潔であること、など、
「こころざし」をかえることなく、
いまも、営業をつづけています。

糸井重里が毎日更新している「今日のダーリン」にも、
「三合菴」はこんなふうに何度か登場しています。

半年ぶりくらいに「三合庵」にそばを食べに行った。
いまじゃ、評判の店で、店内はもちろん満席だ。
(2001年8月11日の「今日のダーリン」より)

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『三合庵』、いまは大繁盛してます。
予約がないと入れない日も多いくらいです。
やっぱり、いい仕事してれば、伝わるものだよねぇ。
(2002年8月5日の「今日のダーリン」より)

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いつからか予約をとることさえ難しくなってしまった
白金のそば屋『三合庵』に行きました。
「ほぼ日」の創刊と、けっこう同じような時期に
決して一等地と言えない場所に開いた店でした。
誠実でおいしい料理をだしていたら、
必ずうまくいくとは言うものの、
現実にお店がいっぱいになるまでの間は、
不安もあったと思うのです。
でーもねー、そんな不安はすぐに吹っ飛んだですね。
ずっと満員だもの。もう、そば好きの間では
誰でも知ってる有名な店になっているものね。
仕入れの原価も、サービスも落とすことなく、
どんなにお客の来ないときでも、
最高のものをつくって出していた、
ということが、
かならず成功に結びつきますね。
ぼくの好きな店って、
みんなそういう道のりだったみたい。
(2004年2月8日の「今日の今日のダーリン」より)

2008年のいま、「三合菴」は
同じ場所で(隣を借りて拡張して)
28席をゆったりと使うお店になっています。
あいかわらず「予約がとりづらい」繁盛ぶりですが、
スタッフは、創業の年と同じ人数。
「ご主人に顔のよく似た初老の婦人」にかわって、
26歳の青年が、ホールと厨房を
いそがしく往復しています。
「33歳のご主人よりだいぶん年下に見える青年」は、
ことし30歳になり、
厨房で重要な役割を任されるまでになりました。
33歳だったご主人は、41歳に。
「新婚の若奥さんらしい人」は、
おかみさんとして、毎日とても元気に
お店を切り盛りしています。
みんなが年をかさね、店を拡げながら、
「三合菴」は、いつ行っても
「最高のそば」が食べられる店でありつづけています。

そんな「三合菴」で、ご主人の加藤さんに
お話をききました。
毎日、どんなふうに仕事をしているんですか?
おいしさのひみつは、なんですか?
これまで、どんなでしたか?
これから、どうしたいですか?
‥‥というようなことを。

(次回から、糸井重里による
 三合菴のご主人へのインタビューがはじまります。
 どうぞ、おたのしみに)

< 2008-07-14-MON>
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