店は、店主と店員がつくるものだけれど、
実は、お客もそこには参加している。
だるいなぁとか思いながら、せっかくの土曜日なので、
前々から行きたかったそば屋に行った。
ぼくには、ここの若いご主人のつくるそばが
東京一うまいと思える。
もともと新宿の一等地に、彼のそば屋はあった。
このご主人の腕に惚れたお金持ちのそば好きおじさんが、
彼を雇い入れるかたちで店を出させていたらしい。
しかし、その店はたぶん経営の事情でなくなってしまい、
「あの人のそば」が食べられなくなっていた。
ところが、いい腕にはいいサポーターがつくもので、
最近、あらたに自分の経営で店を出せたという話を聞き、
どうしても行きたくなって、いまだとばかりに
土曜日にでかけた。
地元の人たちにふつうに親しまれるような大きさの、
小さな店で、内装やらに大きなコストはかけていない。
従業員といえば、ご本人と、新婚の若奥さんらしい人と、
ご主人に顔のよく似た初老の婦人と、
33歳のご主人よりだいぶん年下に見える青年。
ぜんぶで4人が働いていた。
ぼくはカグチさんと行ったのだけれど、
まず、時期限定らしい「しめさば」を頼んで、
季節のおひたし、そばがき、
そしてせいろを一枚ずつ。
せいろは、あとで追加するかもしれないという気持で、
とにかく一枚ずつにしたのだが、
そばがきを食べている時に、そばゆがあんまりうまいので
すっかり飲んでしまって、追加はできなかった。
新宿にあったときの高級店な感じでなくなっていて、
せいろのそばの量も少し多めになっていたし、
値段もせいろ一枚が700円だったと思う。
うまいうまいと、カグチさんとぼくは、
まるで互いを誉め合っているかのように言い続けた。
特に、言い忘れそうだけれど忘れちゃいけないのは
「そばゆ」のおいしさで、
つゆを混ぜないでそのまま飲んでもうまい。
おいしいお米で炊いた重湯のような甘みと香りがあって、
からだの欠けの部分にうるおいを与えてくれるような、
頭なでなでされているようなおいしさである。
これだけで料金をとってもいいくらいのおいしさだ。
そばゆは「そばをゆでた釜の湯」のはずだけれど、
どうやら、ここの店では、
それをそのまま出すのではなく、
「そばゆも作ってお出ししてるんです」
ということらしい。
なんてこった、だからあのとろみ、あのうまみなのか。
ぼくたちふたりの他に、もうひとテーブル客がいたが、
そこのふたりが帰ったら、ぼくらだけになってしまった。
『土曜の二時とはいえ、経営は大丈夫なんだろうか』
ぼくは、よく自分が言われているようなことを、
この店に対して思ってしまった。
近所の人たちにとっては、ここのそばは、
ちょっと高いと思われるだろう。
量も、まだ少ないと感じられるかもしれない。
献立をだいぶ増やしたとはいえ、丼ものもないし、
派手なてんこ盛りのそば類は置いてない。
むろん、これだけのおいしいそばを出している限りは、
いつか繁盛するだろうし
経営ベースにも乗るにちがいない。
しかし、途中は苦しいだろうと思うのだ。
丼ものをだせば、
もう数人の地元客が呼べるかもしれない。
ほんの少し手間や材料のコストを下げて、
値段を下げる方が
一時的にいい店と思われるかもしれない。
そろばんを持ち出したときの心配は、
ずいぶん軽減されることだろう。
だけれど、経営的に心配がなくなることが、
もともとの目的ではなかったはずだ。
経営の成り立っている店なんて、いくらでもある。
しかし、このご主人のつくるそばは、
いくらでもあるものではないわけだ。
経営の厳しい状況、それを我慢しつづけれらなければ、
「こころざし」が風化してしまうことになる。
この時、この店に対して、客の側にできることがある。
そういうふうに、ぼくは思うのだ。
できるかぎり、この店で食べる。
なるべく、店の利益がでるようにそばを食べる。
自分以外に、この店に行く客をつくりだす。
こういうことは、客がやれるのだ。
これはこれで、限界があるのはわかっているが、
ここからスタートすることが、
ぼくにとっての「行きたいそば屋」を守る方策だ。
ほんとうは、これからの時代には、
「賛助会員」のように毎月食べに行こうが行くまいが、
決まった会費を支払って店のサポートをする方法もある。
これで、特にいい食材を手に入れることもできるし、
「背に腹は代えられぬ」という悩みから
店の主人や彼の技能を救うことができるだろう。
この方法は、特に、これからますますいい素材が
手に入りにくくなる鮨屋などにはもっと向いてると思う。
しかし、これはこれできちんと店の主人の方針があって、
それに賛同する贔屓の客がいなくてはいけない。
すぐにできるしくみではないような気がする。
思えば、「ほぼ日刊イトイ新聞」にしても、
まず、具体的に原稿を寄せてくれる人たちがいる。
さらにいくつかの企業のサポートがあって、
スタッフや手伝いをしてくれる人々のサポートがあって、
ひとりひとりの読者のサポートがあって、
(おっと、糸井重里個人という、
狂気じみたサポーターも忘れちゃいけねぇ)
やっと成り立って(いないとも言えるけどさ)るわけだ。
こういう方法は、あらゆる仕事に当てはめて
考えられるのではないだろうか。
欲しくもないような大量生産の品や情報を、
お仕着せで買わされて「値引き」サービスされるよりも、
ほんとうにあって欲しいものを、
コストを支払ってでも手に入れるということが、
これからの時代に、いろんな角度から
試されていくのではないかと、ぼくは思っている。
じゃ、そのそば屋のことを伝えるね。
遠くに住んでいる人、もうしわけないけど、
東京に来たら寄ってください、ってことで。
「イトイさんに教えてもらいました」とか言うと、
ちょっとなんかしらサービスされるかもしれないよ。
(スマイルだけかもしれないけどさ)
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