第4回 居心地のいい店を作る飲み屋のママのような立場で
重松 糸井さんがおすすめしたこの
「いま生きているという冒険」は
石川直樹さんという、いわゆる冒険者ですよね。
糸井 はい。
これは中学生くらいの年代の人が
読めばいいなと思って作っている
「よりみちパン!セ」というシリーズです。
重松 僕も書かせてもらってます。
糸井 この石川さんという人は、
まだ30歳くらいなんですが、
高校生のときに初めてインド旅行をして、
それ以来、北極点から南極点の旅など
あらゆる場所を旅しています。
エベレスト、チョモランマも登っていますし、
各大陸の一番高い山は全部登っています。
それと同時にカメラマンでもあるんです。

石川君から冒険の話を聞いていて
「そのときどうだったの?」と言っても、
「そのときはこうでしたね」というのが
きれいなんですよ。
さぁ、おれのおもしろい話を聞いてください
という感じがひとつもないんですね。
あぁ、この人は表現の核の部分を
しっかりとつかんでいるんだと思いました。
この人にいろんなことを教わりたくなって、
一緒に上野公園に写真を撮りにいったりしたんです。
重松 僕たちみたいにものを作っている人間にとって
いちばんかっこういいのって
ひょうひょうとしていて、かつ淡々としている
そういうスタンスなんじゃないでしょうか。
じつは僕、昔、ある本の批評で糸井さんという方は
話の聞き手として日本一であるという書評を
書いたことがあるんです。
石川さんのそういう部分を引き出すことができるのは、
糸井さんだからなんじゃないですか?
糸井 うーん、僕は聞き手として
優れているとは思わないですね。
どちらかというと対話というよりは、
その場所を作ることを優先して考えています。
重松 聞き手というよりは‥‥席亭?
糸井 うん、席亭ですね。
図々しいことに僕はインタビュアーのくせに
自分の話を平気でしますし、
その場にいるということばかり考えているんです。
そうしないと相手との高さを
同じにできないんですよ。
たとえばイチローみたいな人は
インタビューを山ほど受けてきているんです。
ああいう人と話すときって、
方法論なんかありっこない。
だから僕はインタビュアーじゃなく、
ふたりが話せる場を作る人に徹するんです。
重松 それって飲み屋のママさんみたいな立場ですよね。
居心地のいいお店を作る立場。
糸井 うん、ママさんですね。
重松 さっき僕が書評した本っていうのが
糸井さんの「経験を盗め」なんです。
糸井さんの聞き手としての仕事って、
イチローみたいな取材慣れしていらっしゃる人から
いろんな話を引き出すのもあるんだけど、
職人さんとか、いわゆる話すことのプロではない人、
あるいは言葉できちんと説明できないようなことを
やっている人から引き出すのがお得意だし、
お好きですよね。
糸井 あぁ、ものすごい好きですね。
これはでも、みんながおれになってほしいと思う
唯一の部分ですね。
言葉の達者な人間ってやっぱり権力なんですよ。
為政者が人々をやり込めるのもそうだし、
論客という人がほかの論客をやり込めるのもそうだし、
結局のところはコロシアムで
強い者同士が戦っているのと同じことで、
言葉を持っていない人は
従うしかないのかよというところがある。
だけど、実際にたくさんの人に会ってみると、
うまくしゃべれない子供が
自分よりもすぐれていると思うというシーンは
いくらでもあるはずなんです。
重松さんだってたくさん取材をなさっていますけど、
うまく言えない人たちに
心を打たれて帰ってくることあるでしょ?
重松 ありますあります。
糸井 人と人として、あるいは生き物と生き物として、
どっちがすごいとかすごくないとかを超えて、
どっちもいいぞと言える場所を作りたいんですね。
重松 糸井さんがインタビュアーになった仕事や
「ほぼ日」を見ていたら絶対わかると思うんだけど、
相手の人が少し舌足らずに言った言葉を
するっとね、これってこういうことですよねと
言い換えてくれているんですよ。
糸井 うん、相手をもし言葉というもので
手助けできるんだったら、
それができたらいいなという気持ちでいますからね。
重松 それってすごく重要なことで、
会話って自分を主張するように
ハキハキ話す機会なんかめったにないんです。
むしろ多いのは相づちなんですよ。
互いの言えなかった言葉をさっと補ったり、
「うん、わかるよ」と言って
受けとめてあげたりするほうが大事だと思うんです。
だから何で小学生とか中学生の学校の評価として
自分の意見をハキハキ言うというのが
そんなに重視されるのかほんとうによくわからないし、
もっと言っちゃえばハキハキ言う必要はないと思う。
皆さんもおわかりかもしれないんですけれども、
僕はずっとガキのころから吃音で
ほんとしゃべれなかったんですよ。
人の目を見て胸張ってしゃべれと言われたら
できなかったんですよね。
でも、そうじゃないしゃべりかただって
あっていいはずだと思うんですよ。

そこで、僕が推薦する本は糸井さんの
『小さいことばをうたう場所』です。
僕、小さい言葉でいいと思うのね。
現実の社会だと声の大きな人間が勝ったりするんです。
理屈を超えて。
でも、インターネットってそこの差がないんですよね。
糸井 それはすごいですよね。
受け取り手がちゃんと愛情を持っていれば、
ほんとうに思っている何かは伝わるんです。
そのつながりかたというのは
インターネットのおかげで
ものすごく楽になりましたよね。
重松 僕は「ほぼ日」を見ていると、
糸井さんって
やっぱり言葉の人なんだなぁって思うんです。
「ほぼ日」のコンテンツは言葉というものが
大事な部分を占めていますよね。
糸井 言葉ってね、ただなんですよ。
万葉の時代から万葉集があったり
日本の農家の人たち、それこそふつうのおばちゃんが
俳句をやっていたりしたわけです。
そのただな感じがすごくいいなと思ってます。
自分のボディと言葉と思想、
そういうものは全部ただなんです。
ただのもので遊ぶということを
僕は場を作る人間としていつも思っています。
で、ただに近くなってきたものを
だんだんと取り入れていけばいいんです。
いまだと写真でも遊んでいますけど、
それは言葉はただなんだよね、
ということに匹敵するくらい写真も
撮るようになったからなんですよ。

(つづきます)
2008-07-24-THU