重松 |
糸井さんがおすすめしたこの
「いま生きているという冒険」は
石川直樹さんという、いわゆる冒険者ですよね。 |
糸井 |
はい。
これは中学生くらいの年代の人が
読めばいいなと思って作っている
「よりみちパン!セ」というシリーズです。 |
重松 |
僕も書かせてもらってます。 |
糸井 |
この石川さんという人は、
まだ30歳くらいなんですが、
高校生のときに初めてインド旅行をして、
それ以来、北極点から南極点の旅など
あらゆる場所を旅しています。
エベレスト、チョモランマも登っていますし、
各大陸の一番高い山は全部登っています。
それと同時にカメラマンでもあるんです。
石川君から冒険の話を聞いていて
「そのときどうだったの?」と言っても、
「そのときはこうでしたね」というのが
きれいなんですよ。
さぁ、おれのおもしろい話を聞いてください
という感じがひとつもないんですね。
あぁ、この人は表現の核の部分を
しっかりとつかんでいるんだと思いました。
この人にいろんなことを教わりたくなって、
一緒に上野公園に写真を撮りにいったりしたんです。 |
重松 |
僕たちみたいにものを作っている人間にとって
いちばんかっこういいのって
ひょうひょうとしていて、かつ淡々としている
そういうスタンスなんじゃないでしょうか。
じつは僕、昔、ある本の批評で糸井さんという方は
話の聞き手として日本一であるという書評を
書いたことがあるんです。
石川さんのそういう部分を引き出すことができるのは、
糸井さんだからなんじゃないですか? |
糸井 |
うーん、僕は聞き手として
優れているとは思わないですね。
どちらかというと対話というよりは、
その場所を作ることを優先して考えています。 |
重松 |
聞き手というよりは‥‥席亭? |
糸井 |
うん、席亭ですね。
図々しいことに僕はインタビュアーのくせに
自分の話を平気でしますし、
その場にいるということばかり考えているんです。
そうしないと相手との高さを
同じにできないんですよ。
たとえばイチローみたいな人は
インタビューを山ほど受けてきているんです。
ああいう人と話すときって、
方法論なんかありっこない。
だから僕はインタビュアーじゃなく、
ふたりが話せる場を作る人に徹するんです。 |
重松 |
それって飲み屋のママさんみたいな立場ですよね。
居心地のいいお店を作る立場。 |
糸井 |
うん、ママさんですね。 |
重松 |
さっき僕が書評した本っていうのが
糸井さんの「経験を盗め」なんです。
糸井さんの聞き手としての仕事って、
イチローみたいな取材慣れしていらっしゃる人から
いろんな話を引き出すのもあるんだけど、
職人さんとか、いわゆる話すことのプロではない人、
あるいは言葉できちんと説明できないようなことを
やっている人から引き出すのがお得意だし、
お好きですよね。 |
糸井 |
あぁ、ものすごい好きですね。
これはでも、みんながおれになってほしいと思う
唯一の部分ですね。
言葉の達者な人間ってやっぱり権力なんですよ。
為政者が人々をやり込めるのもそうだし、
論客という人がほかの論客をやり込めるのもそうだし、
結局のところはコロシアムで
強い者同士が戦っているのと同じことで、
言葉を持っていない人は
従うしかないのかよというところがある。
だけど、実際にたくさんの人に会ってみると、
うまくしゃべれない子供が
自分よりもすぐれていると思うというシーンは
いくらでもあるはずなんです。
重松さんだってたくさん取材をなさっていますけど、
うまく言えない人たちに
心を打たれて帰ってくることあるでしょ? |
重松 |
ありますあります。 |
糸井 |
人と人として、あるいは生き物と生き物として、
どっちがすごいとかすごくないとかを超えて、
どっちもいいぞと言える場所を作りたいんですね。 |
重松 |
糸井さんがインタビュアーになった仕事や
「ほぼ日」を見ていたら絶対わかると思うんだけど、
相手の人が少し舌足らずに言った言葉を
するっとね、これってこういうことですよねと
言い換えてくれているんですよ。 |
糸井 |
うん、相手をもし言葉というもので
手助けできるんだったら、
それができたらいいなという気持ちでいますからね。 |
重松 |
それってすごく重要なことで、
会話って自分を主張するように
ハキハキ話す機会なんかめったにないんです。
むしろ多いのは相づちなんですよ。
互いの言えなかった言葉をさっと補ったり、
「うん、わかるよ」と言って
受けとめてあげたりするほうが大事だと思うんです。
だから何で小学生とか中学生の学校の評価として
自分の意見をハキハキ言うというのが
そんなに重視されるのかほんとうによくわからないし、
もっと言っちゃえばハキハキ言う必要はないと思う。
皆さんもおわかりかもしれないんですけれども、
僕はずっとガキのころから吃音で
ほんとしゃべれなかったんですよ。
人の目を見て胸張ってしゃべれと言われたら
できなかったんですよね。
でも、そうじゃないしゃべりかただって
あっていいはずだと思うんですよ。
そこで、僕が推薦する本は糸井さんの
『小さいことばをうたう場所』です。
僕、小さい言葉でいいと思うのね。
現実の社会だと声の大きな人間が勝ったりするんです。
理屈を超えて。
でも、インターネットってそこの差がないんですよね。 |
糸井 |
それはすごいですよね。
受け取り手がちゃんと愛情を持っていれば、
ほんとうに思っている何かは伝わるんです。
そのつながりかたというのは
インターネットのおかげで
ものすごく楽になりましたよね。 |
重松 |
僕は「ほぼ日」を見ていると、
糸井さんって
やっぱり言葉の人なんだなぁって思うんです。
「ほぼ日」のコンテンツは言葉というものが
大事な部分を占めていますよね。 |
糸井 |
言葉ってね、ただなんですよ。
万葉の時代から万葉集があったり
日本の農家の人たち、それこそふつうのおばちゃんが
俳句をやっていたりしたわけです。
そのただな感じがすごくいいなと思ってます。
自分のボディと言葉と思想、
そういうものは全部ただなんです。
ただのもので遊ぶということを
僕は場を作る人間としていつも思っています。
で、ただに近くなってきたものを
だんだんと取り入れていけばいいんです。
いまだと写真でも遊んでいますけど、
それは言葉はただなんだよね、
ということに匹敵するくらい写真も
撮るようになったからなんですよ。 |