重松 |
小説を書くときに作り込み過ぎ、書き過ぎとかって
よく言われるんですよ。
ちょっとスキを残すくらいがちょうどいい、とか。
でも、それを真に受けてスカスカに書いたら
手抜きと思われるわけです。
このバランスが案外難しいんですよね。 |
糸井 |
小説家という職業、商品としての小説が
あるわけですからね、それはしょうがないですよ。 |
重松 |
そうなんですよ。
で、行間を読むという言葉がありますが、
やっぱり行間の読みかたってあるんです。
学生時代や編集者時代に行間をどう読むか、
あるいはどう読ませるかをずっと考えてました。
なんで糸井さんのコピーに
僕が関心を惹かれるかというと
コピーって行間ないじゃないですか。 |
糸井 |
うん、ないですね。 |
重松 |
コピーって基本的に文章じゃないんです。
言葉の断片から物語や力を放ってくる。
スタジオジブリの仕事で糸井さんが
「生きろ。」とコピーをつけました。
僕もけっこうそのことをテーマにして
作品を書いているんですけど、
たくさんの枚数書いて
それを表しているのに、糸井さんは
たった3文字で表すわけです。
でも、それしか言えないわけですよ。 |
糸井 |
「生きろ。」は苦戦しましたからね。
あれは言葉が書いていない面積のほうが
大きいわけです。
つまり、コピーって全部そうなんですけど
文字が書いていないところに
僕の視線なんかが入っているんです。
「生きろ。」の前後左右の書いてないところに
なにかがものすごくこめられている。
みんなはそこをキチンと見てるんですね。
いろいろなところでよく言ってるんですが、
テングザルのおもしろさのポイントは
どこだと思います?
それは目なんです。
テングザルは鼻がおもしろいわけじゃなくて
そんな鼻をしながらこっちを見ている
真剣な目がおもしろいんですよ。 |
重松 |
なるほどね。 |
糸井 |
食事をするときに鼻を持ち上げて
おもしろい格好で食べるんですが、
そんなのはおまけなんです。
鼻がものすごくおもしろいという、
人間にとっての交換価値を持っているわけです。
だから、重松さんが「生きろ。」のコピーを見たとき、
「生きろ。」はテングザルの鼻なんですよ。 |
重松 |
うんうん。
むしろ大事なのは余白部分なんですね。 |
糸井 |
そう。ほんとうにおもしろいのは、
「生きろ。」と書いていない
テングザルの目の部分なんです。
それが最近わかって、また吉本隆明さんに
「吉本さん、何なんでしょう。
人が権力を持ったり、人を虐げたりするのは
全部言葉ですよね。
僕はもう言葉は大嫌いです」というくらいのことを
僕は言いたかったんです。
そしたら、
「僕もそれは昔考えたことがあるんだけど、
言葉を考えるときにいちばん重要なのは
沈黙だとわかったんです」とおっしゃった。
この沈黙というキーワードをもらったら、
急にテングザルの本質は目だとわかったんです。
余白といわれる部分は余白じゃなく、
じつはメインだったと。 |
重松 |
小説だったら行間を読む、
つまり物語に沿ってだったり、
文章の流れに沿って読んでいくんです。
さきほど言った、コピーに行間はいらないというのは、
「生きろ。」というシンプルな言葉の中に
受け手にとってそれぞれの「生きろ。」という
メッセージがあるからだと思うんですよ。
母親に言われたとか、
自分がいま赤ん坊に対して思っているとか。
こう、主語のあいまいさとでも言うんでしょうか。
そこを何か直にわしづかみにしてくるところって
たぶんあるんじゃないかな。 |
糸井 |
そのとおりで「生きろ。」なんていうのは、
主語を相手に渡してるんですよ。
自分の想像するだれかが
しゃべっている言葉にしているわけです。
こういった具合に、
広告の世界にはとんでもない主語のあいまいさがある。
それはわりと若いときに気づいたんです。
だからあえて僕は「私たち」とか
「僕は」という言葉をコピーの中に入れた。
主語にいちばんこだわった
コピーライターだと思うんです。
こだわりは少ないほうなんですが、
それだけはやりまくった覚えがあります。 |
重松 |
主語の話が出たので、これを紹介させてください。
「いつも見ていた広島」という本なんですけど、
吉田拓郎さんの青春時代を描いた小説です。
拓郎さんはデビュー前にバンドを組んでいたんです。
仲間たちと音楽をやっていて、
それがだんだんフォークという、
ひとりで歌うという方向に変わっていくわけです。
これは吉田拓郎という
著名人の伝記というだけじゃなくて、
ひとつの青春時代、
仲間たちとの出会いと別れも含んだ、
つまり「俺たち」から「俺」に成長していく。
若いころって俺は俺だとか、ひとりになりたいという
まさに単数形の私というものに強烈にこだわりながら、
そのいっぽうで、仲間と一緒にいる俺たちというのに
ものすごく引かれていってしまうんです。
僕はこれは文学だと思っています。
青春文学とは名乗っていない青春文学って
ほんとうはたくさんあるんです。
たまたま見たものがそうだったり。
僕自身もそうやって、たくさんのいい言葉と
出会ってきたので、人が決めたレッテルに
惑わされないでほしいなと思います。 |