第3回 コピーの主語と小説の主語
重松 小説を書くときに作り込み過ぎ、書き過ぎとかって
よく言われるんですよ。
ちょっとスキを残すくらいがちょうどいい、とか。
でも、それを真に受けてスカスカに書いたら
手抜きと思われるわけです。
このバランスが案外難しいんですよね。
糸井 小説家という職業、商品としての小説が
あるわけですからね、それはしょうがないですよ。
重松 そうなんですよ。
で、行間を読むという言葉がありますが、
やっぱり行間の読みかたってあるんです。
学生時代や編集者時代に行間をどう読むか、
あるいはどう読ませるかをずっと考えてました。
なんで糸井さんのコピーに
僕が関心を惹かれるかというと
コピーって行間ないじゃないですか。
糸井 うん、ないですね。
重松 コピーって基本的に文章じゃないんです。
言葉の断片から物語や力を放ってくる。
スタジオジブリの仕事で糸井さんが
「生きろ。」とコピーをつけました。
僕もけっこうそのことをテーマにして
作品を書いているんですけど、
たくさんの枚数書いて
それを表しているのに、糸井さんは
たった3文字で表すわけです。
でも、それしか言えないわけですよ。
糸井 「生きろ。」は苦戦しましたからね。
あれは言葉が書いていない面積のほうが
大きいわけです。
つまり、コピーって全部そうなんですけど
文字が書いていないところに
僕の視線なんかが入っているんです。
「生きろ。」の前後左右の書いてないところに
なにかがものすごくこめられている。
みんなはそこをキチンと見てるんですね。

いろいろなところでよく言ってるんですが、
テングザルのおもしろさのポイントは
どこだと思います?
それは目なんです。
テングザルは鼻がおもしろいわけじゃなくて
そんな鼻をしながらこっちを見ている
真剣な目がおもしろいんですよ。
重松 なるほどね。
糸井 食事をするときに鼻を持ち上げて
おもしろい格好で食べるんですが、
そんなのはおまけなんです。
鼻がものすごくおもしろいという、
人間にとっての交換価値を持っているわけです。
だから、重松さんが「生きろ。」のコピーを見たとき、
「生きろ。」はテングザルの鼻なんですよ。
重松 うんうん。
むしろ大事なのは余白部分なんですね。
糸井 そう。ほんとうにおもしろいのは、
「生きろ。」と書いていない
テングザルの目の部分なんです。
それが最近わかって、また吉本隆明さんに
「吉本さん、何なんでしょう。
 人が権力を持ったり、人を虐げたりするのは
 全部言葉ですよね。
 僕はもう言葉は大嫌いです」というくらいのことを
僕は言いたかったんです。
そしたら、
「僕もそれは昔考えたことがあるんだけど、
 言葉を考えるときにいちばん重要なのは
 沈黙だとわかったんです」とおっしゃった。
この沈黙というキーワードをもらったら、
急にテングザルの本質は目だとわかったんです。
余白といわれる部分は余白じゃなく、
じつはメインだったと。
重松 小説だったら行間を読む、
つまり物語に沿ってだったり、
文章の流れに沿って読んでいくんです。
さきほど言った、コピーに行間はいらないというのは、
「生きろ。」というシンプルな言葉の中に
受け手にとってそれぞれの「生きろ。」という
メッセージがあるからだと思うんですよ。
母親に言われたとか、
自分がいま赤ん坊に対して思っているとか。
こう、主語のあいまいさとでも言うんでしょうか。
そこを何か直にわしづかみにしてくるところって
たぶんあるんじゃないかな。
糸井 そのとおりで「生きろ。」なんていうのは、
主語を相手に渡してるんですよ。
自分の想像するだれかが
しゃべっている言葉にしているわけです。
こういった具合に、
広告の世界にはとんでもない主語のあいまいさがある。
それはわりと若いときに気づいたんです。
だからあえて僕は「私たち」とか
「僕は」という言葉をコピーの中に入れた。
主語にいちばんこだわった
コピーライターだと思うんです。
こだわりは少ないほうなんですが、
それだけはやりまくった覚えがあります。
重松 主語の話が出たので、これを紹介させてください。
「いつも見ていた広島」という本なんですけど、
吉田拓郎さんの青春時代を描いた小説です。
拓郎さんはデビュー前にバンドを組んでいたんです。
仲間たちと音楽をやっていて、
それがだんだんフォークという、
ひとりで歌うという方向に変わっていくわけです。
これは吉田拓郎という
著名人の伝記というだけじゃなくて、
ひとつの青春時代、
仲間たちとの出会いと別れも含んだ、
つまり「俺たち」から「俺」に成長していく。

若いころって俺は俺だとか、ひとりになりたいという
まさに単数形の私というものに強烈にこだわりながら、
そのいっぽうで、仲間と一緒にいる俺たちというのに
ものすごく引かれていってしまうんです。

僕はこれは文学だと思っています。
青春文学とは名乗っていない青春文学って
ほんとうはたくさんあるんです。
たまたま見たものがそうだったり。
僕自身もそうやって、たくさんのいい言葉と
出会ってきたので、人が決めたレッテルに
惑わされないでほしいなと思います。

(つづきます)
2008-07-22-TUE