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糸井 |
自分の子供のときの喘息の経験でいうとね、
たとえば鬼ごっこなんかをしてて、
冬だと、息が苦しくなって、
ぜぇぜぇ言いはじめて、咳き込んで、
自分ひとりがうずくまってて‥‥。 |
清水 |
ああ、わかります。 |
糸井 |
みんなが遊んでて、
ぼくは、うずくまって咳き込んでいて、
「気にしないでくれ」という感じでね。
で、治まると、またいっしょに遊ぶ。
清水さんにもそういう経験はあります? |
清水 |
ものすごくありました。 |
糸井 |
あのときの気持ちって思い出せます? |
清水 |
すごく思い出せます。
やはり、まわりにはわからない、
伝えられないという苦しさであったりとか。
「なんで、そんなに苦しいの」
という疑問を抱かれたりとか。
兄弟の中でも、ぼくだけが喘息だったので、
兄弟にも「なんで?」って不思議がられて。
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糸井 |
つらくなかったですか。 |
清水 |
つらかったですね。
みんなについて行けないつらさであったりとか
ものすごくありますね。
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糸井 |
そのときに、心配されるということが
ありがたいことのはずなんだけど、
「頼むから心配しないでくれ」
という気持ちもあって。
その気持ちって、ぼくのその後の人生に
影響を与えてると思うんですよ。 |
清水 |
ああ。 |
糸井 |
つまり、心配されるのが、ほんとにつらいんです。 |
清水 |
「ほっといてくれ」っていうのはありますよね。
あまりにも、苦しすぎて
「そっとしておいてくれ」っていう。 |
糸井 |
2種類いると思うんですけどね。
だとえばどこかに足をガーンってぶつけたときに、
「大丈夫?」って言われたい人と、
「あっちに行ってくれ」って言いたい人と。
ぼくは、喘息のときの経験で、
「誰もオレのことを考えてない」
ということが、一種のいいことに思えたんですね。
ぼくが咳き込んでたりすると、家族が、
なんかちょこちょことしゃべり出すんですよ。
それを聞くのがいやでねー。
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清水 |
心配してコソコソしゃべってることが? |
糸井 |
そう。
「悪い咳をしてる」だとか、
「明日はどうなるだろう」とか、
ああすればいいんじゃないか、
こうすればいいんじゃないかと言ってるのが、
ほんとにつらかった。 |
清水 |
喘息の咳って、
特有の音が出ますよね。 |
糸井 |
そうそう。
聞かないでくれって思うよね。 |
清水 |
はい(笑)。
聞かれたくない、と思うんですけど、
やっぱり出てしまう。 |
糸井 |
で、止めようとすると、ますます苦しい。
だから、気配を消しながら咳をして。
子どもながら、
人に心配されないように生きてるという感じで。
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清水 |
ぼくもまったく同じ心境でしたね。 |
糸井 |
ああ、そうですか。 |
清水 |
はい。
それがいま聞いてて不思議ですね。
喘息患者はみんなそうなのかなって。 |
糸井 |
ああ。
ぼくはね、喘息の人と友達になりやすいんですよ。 |
清水 |
ああー。 |
糸井 |
たぶん性格に表れるんだと思うんですよね。
「無視される」ということの気持ちよさとか。 |
清水 |
はいはい。 |
糸井 |
もちろん、注目されるのが
うれしい場面もあるんですけど、
基本的には無視されてた方がいいというか。 |
清水 |
ああー、わかります。 |
糸井 |
わかります? |
清水 |
はい。
ぼくも日常的にそうなんですよね。
割と、競技をやってるうえで、
メディアに注目されるのは、
ほんとは好きじゃないんです。
競技のとき以外は、目立ちたくないというか、
そっとされたいタイプで。 |
糸井 |
うん。そういう性格みたいなものが、
喘息の人どうしは近くなるんでしょうね。
発作を起こしたときの経験から、
みんなに特別扱いされることがつらいというか。 |
清水 |
はい。 |
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(続きます) |
2007-10-26-FRI |
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