糸井 | いまは「ほぼ日」があるおかげで、 考えかけのこととか、書きかけのことも、 そのままぜんぶ出せちゃうんですよ。 ですから、小説のときに感じた、 「思いついたときがいちばんたのしいんだよな」 っていうジレンマはもう感じなくてすむというか。 それを思いついたいちばんたのしいときに、 「思いついただけなんだけどさ」って そのたのしい部分を書けちゃいますからね。 |
白岩 | そうか、そういう感じなんですね。 ぼくの場合は、思いついてから書くんじゃなく、 書きながら書くことが出てくるので、 「思いついたことを作業として書いていく」 っていう感覚はあんまりないんですよね。 |
糸井 | 手書きですか? タイピング? |
白岩 | 手書きじゃないです。パソコンです、はい。 |
糸井 | つまり、タイピングする手が、 その筋肉がつぎの動きを要請するんでしょうね。 |
白岩 | そうなんですかね。 あの、文章って、出てきたあと、 いちばん最初の読者が 自分になるわけじゃないですか。 |
糸井 | そうですね。 |
白岩 | だから、その書いてる自分は いったい誰なんや? っていうと よくわかんなくなっちゃうんですよね。 |
糸井 | ああ、わかんないですよね。 |
白岩 | 実際に書き出したら、 書いてる主体がいなくなって、 出てきたものに対して自分がどう考えるかとか、 それをどう追っていくかっていうことの くり返しになるので、ぼくはあんまりそれを めんどくさいと思ったことはないんですよね。 |
糸井 | なるほどね。あの、作家の方って 「主人公が動き出したら もうこっちのもんだ」とか、 「キャラクターがわかったら、 後は勝手にやってくれるから」って、 よくおっしゃいますよね。 あれはかなりほんとうだってことですね。 |
白岩 | そうですね、けっこうほんとうです。 7割くらいは、ほんとうですね。 |
糸井 | 7割か(笑)。 |
白岩 | はい、7割くらいだと思います。うん。 |
糸井 | で、3割はこう、道をつけてあげるというか。 |
白岩 | はい。その3割も絶対必要だと思います。 |
糸井 | そうですよね。で、7割は勝手に動いていく。 今度の『空に唄う』に出てくる おじいさんも、基本的には どんどん勝手に動いていった感じですか。 |
白岩 | ああ、どうだろう。あの人って、 そもそもぼくのなかにあるのかどうかが よくわからないキャラクターなんですよね。 いまのぼくとは年齢もかなり違いますし、 お坊さんという仕事もぼくは知らないので。 だから、あのおじいさんの内面は、 たぶんぼくには書けない。 |
糸井 | そうですね、ええ。 |
白岩 | そもそも、ぼくのなかで、 小説に出てくる登場人物って、 半分想像で、半分未知なんですね。 |
糸井 | ああ。 |
白岩 | だから、完全にわかってる部分は、 ひとつもないような気がしていて。 |
糸井 | なるほどね。 でも、わかってる部分がないからこそ、 まるで見てきたかのように それを書くのがたのしいわけでしょ? 読んだ人が「見たの?」っていうような。 |
白岩 | あー、そうですね。うん。 そう思わせることができたら いいなと思いますけどね。 |
糸井 | やっぱそういうとこって たのしそうだなあって思うんですよ。 で、その、知らないおじいさんのことを 見て来たように書けるときって、 最初の読者の自分が気持ちいいんだろうなあと。 |
白岩 | ああ、なるほど。 |
糸井 | それをきっとたのしんでて、 だからこの人は 書くのが好きなんだろうなぁと思ったり。 |
白岩 | 書くの、好きなんですかね。 わかんないですけどね、自分では。 糸井さんは書くの好きですか? |
糸井 | ぼく、大っ嫌いです。 |
白岩 | 大嫌いですか(笑)。 |
糸井 | 断言しますね。 |
白岩 | 大嫌いだけど毎日書けるんですか? |
糸井 | 書けるというよりは 書かなきゃなんないからしてるだけで、 遊んでていいって言われたら 書かないでしょうね。 |
白岩 | そうですか。でも、量でいうと、 すごく書かれてるなって いつもホームページを 毎日拝見しながら思うんですけども、 |
糸井 | それは自分でも驚きます。 |
白岩 | とんでもない量ですよね。 |
糸井 | ただ、なんていうんでしょう、 わかってることしか書いてないですからね。 わかってないことは、ぼくは書けないんで。 |
白岩 | ああ、なるほど。 |
糸井 | わかりかけのことだったら、 わかりかけのことなんだよって 正直に言わないと書けないんです。 だから、「書いてる量」というよりは 「思ってる時間」が多いんじゃないかな。 |
白岩 | 「思ってる時間」? |
糸井 | うん。それは広告のときでも同じですね。 だから、方法論としては すごく隣り合わせかもしれない。 |
白岩 | あ、そうか、そうか。 でも、方法論は同じでも、 表現されるものは同じじゃないですよね。 昔の、広告のころに書いていたものと いま書いているものとで、 ことばの変遷みたいなものってありますか? |
糸井 | あります。 わかりやすいところでいうと、 広告やってるときはお金をもらうんで、 「お前にしか書けない」って 言ってもらわないと困るんですよ。 |
白岩 | ああー。 |
糸井 | 「誰にでも書けるように見えて お前しか書けない」 っていうところに着地するのが、 ギャラとしてはいちばん高いんですよ。 |
白岩 | 作家性みたいなところですね。 |
糸井 | そうですね。 そういう要素を入れないと、 つぎにまた頼んでもらえないわけですから。 |
白岩 | その要素と企業側の思惑っていうのは ぶつからないもんなんですか? |
糸井 | ぶつからないんです。 |
白岩 | ぶつからないんだ。 |
糸井 | うん。 |
白岩 | すげぇ。そうなんだ。 |
糸井 | それはもう、合わせていくんです。 話し合ったり、探り合ったり、教え合ったり。 |
白岩 | そうか、そうか。 |
糸井 | 企業がなにをしたいのか。 それはどういう方向のことなのか。 どういう表現ならうまくいくのか。 どっちかが、やりたいことを 100パーセントやるってことはありえないんです。 たとえば、強欲な会社があって、 とにかくお客が買うだけでいいんだよ って言われても、そんなの書けないんです。 |
白岩 | うん。 |
糸井 | やっぱり、買手としての自分がいるから。 「わかんないことは書けない」 っていうのと同じで、 まず、自分を説得しなきゃなんないんですよ。 |
白岩 | ああ。 |
糸井 | そこがぼくのいちばん重要な方法論で、 いまも変わってないんじゃないかな。 |
白岩 | なるほど。 |
(続きます) | |
2009-07-23-THU |