メンズショップ イシカワ 店主・石川顕インタビュー
店主 石川顕インタビュー 
パンクな何でも屋が
モノづくりに至る道は。
4月29日より開催される「生活のたのしみ展2023」で
デビューする「メンズショップ イシカワ」。

その店主、兼バイヤー、兼プロデューサー、
一人三役を務めるスタイリストの石川顕さんについて、
このコンテンツでは、これまで、モデルのKIKIさん
編集者の岡本仁さん
インテリアデザイナーの片山正通さん
「石川顕さんってどんな人?」という
インタビューをしてきました。

けれども、なぜか、聞けば聞くほど、
謎が深まったような‥‥。
そこでふだん滅多に語りたがらない
石川さんご本人に取材をしました。
石川さんって、いったいナニモノなんですか?!
話は旭川での少年時代から、
東京遊学(?)時代のこと、
いつのまにかスタイリストになっていった頃のこと、
そして「モノづくり」について、
3回にわけて、おとどけします。
その1
旭川の少年時代は。
写真
──
石川さんのことをインターネットで検索しても、
プロフィールがほとんど出てこないんですよ。
石川
そうでしょ?
──
ご自身のInstagramには
相談役。スタイリスト 現役(笑)
とだけ。
HOUYHNHNM(フイナム)で書かれているblogには
最近、スタイリストといったらなぜか
「ぷっ」と笑われますが、スタイリストですから。
パリコレというよりツール ド フランスですし、
ラガーフェルドよりローラン・フィニョンです。
とだけ。
すこし詳しいのはビームスのサイトで
1960年北海道生まれ。
雑誌『BRUTUS』の初期から活躍している
現役スタイリスト。
自らが手がけるブランド〈ULTRA HEAVY〉など、
唯一無二のスタイリングを提案し続けている。
でした。
謎めいています。
石川
今後「パリコレというよりツール ド フランスです」に
プロフィールは統一しようかと。
カール・ラガーフェルドより、
ローラン・フィニョンっていう
自転車の選手のほうが好きで、
そっちがぼくのアイドルなんです。
でもそれだと毎回編集者に怒られる。
顔写真も基本、拒否するし。
──
きょうはそんな石川さんがどういうかたなのかを
つまびらかにさせてもらえたらと。
石川
えーっ。やだなあ。
──
「ほぼ日」読者のほとんどは、
「石川顕というスタイリスト」を知らないと思うんです。
とくに女性の読者にはなじみが薄いのではないかと‥‥。
今回、お店を出していただく「生活のたのしみ展」も
女性が親しみやすい商品が多いんですが、
過去数度の開催で思ったのが、
パートナーの方が一緒に来られたときに、
ちょっと手持ち無沙汰になっているということ。
だから石川さんに手伝っていただいて、
男性諸氏がたのしめる場所があったらいいなと。
でも「ほぼ日」からはダイレクトに
そういう男性達にアプローチがしづらいので、
「こういう人がお店をつくるんだって!」と
女性から男性に伝えてもらえるような
コンテンツをつくらなくちゃ、と。
石川
そうなんですよね、それはよく分かります。
だってぼくの周りが、
「えっ? アキラさんがほぼ日と一緒に?」
って、もう、ざわついてますから。
一同
(笑)
──
石川さんの周りの人には、
「ほぼ日」ってどういうイメージなんでしょう。
「ほんわか」? 
石川
多分、そっちでしょうね。
ぼくはパンクですからね。口ばっかりだけど。
だから「正反対じゃないの?」っていうふうに思ってる。
そして「大丈夫なの?」と、
うちの奥さんに一番最初に言われました。
──
でも石川さんってパンクじゃないですよね。
石川
うん。「パンク」とか「ロック」とか
いろんなこと言うけど、
ぼくはその格好をしたためしがないんですよ。
大好きな「モッズ」も、その格好はしない。
ただパンクの考え方は大好きで、
その言葉をぼくはよく使っているんです。
写真
──
なるほど。
これまで、モデルのKIKIさん
編集者の岡本仁さん
インテリアデザイナーの片山正通さん
「石川顕さんってどんな人?」という
インタビューをしてきたんですが。
聞けば聞くほど、謎が深まり‥‥。
今日は「北海道出身ですよね」というところから
お話を聞かせてください。
石川
北海道から! 長いなぁ!
えっと、イシカワアキラ、旭川出身です。
──
ロック、パンク、モッズというキーワードは、
旭川時代、つまり思春期に触れたことかなと
想像しているんですけれど。
石川
旭川で、というよりも、
雑誌『POPEYE』を見てたわけです。
ぼくは高校生でした。
──
『POPEYE』創刊の1976年、
石川さんは16歳ですね。
じゃぁ創刊号から見て、
本屋でびっくり、みたいな?
石川
そう! 
「CONVERSEって何?」みたいなことですね。
でもその前の1975年に
『Made in U.S.A Catalog』っていう、
1970年代のアメリカの若者文化を集めたような
カタログ雑誌が出ているんです。
それをつくったのが、ぼくが師匠だと思っている
『MEN'S CLUB』出身の編集者、
寺﨑央(てらさき・ひさし:1943-2012)さん。
そこから『POPEYE』
そして『BRUTUS』『Tarzan』に
つながっていくんです。
──
『POPEYE』を高校生のときに見てびっくりして、
CONVERSEを知らなかった旭川の石川少年は、
どんなおしゃれをしていたんですか。
石川
アイビースタイルは中学校ぐらいで、
もう終わりだなってやめて、
新しいのを探してる時期でしたね。
旭川にもいいお店があったんですよ。
ぼくより5つ年上で北海道出身の
スタイリストの大久保篤志さんも、
そこで買っていたというお店が。
──
1970年代の旭川には、
そんな都会の空気が入ってきていたんですね。
石川
そうですね。意外と服がありました。
──
それで『POPEYE』と出会った石川少年は‥‥。
石川
ぐっとアメリカ寄りに。
とはいえアイビーも、アメリカ文化でしたからね。
『ジェネラルリサーチ』のデザイナー、
小林節正くんともよく言うんだけれど、
ぼくら、完全にトラッド少年だよね、と。
だから今つくっている服も、よく見るとトラッドなんです。
ずっとトラッドを踏襲している感じなんです。
写真
──
でも高校生になって「アイビーはやめる」と。
石川
小学校でベルボトム、
中学校でアイビーだったけど、
高校からはどうしよう、と。
それで菊池武夫先生のほうに。
──
デザイナーズブランド系ですね。
石川
『MEN'S CLUB』のヨーロッパロケで、
菊池先生のコーディネートを展開していた記事があって、
今考えても、すんごいショックだったんです。
「何これ!」っていう感じで。
そのへんからかな、デザイナーのつくる服に
興味が出たのは。
──
当時はデザイナーと編集者がタッグを組んで、
一緒に面白いことをしていたんでしょうね。
石川
カッコよかったんですよ。
スタジオでいかにもな決めポーズ、の写真ではなく、
ヨーロッパの街で、ミニクーパーの前で、
不思議な服を着た人が面白いポーズで登場して。
──
『an・an』の創刊の頃も
そういう衝撃があったとききます。
立木義浩さん、秋川リサさんの時代、
ヨーロッパで「ヤッホー!」みたいな
写真を撮ってるんですよね。
今見ても、すごくかっこいいんです。
石川
そうなんですよ。
そのへんの人たち、
おんなじなんじゃないですかね、仲間が。
──
平凡出版(のちのマガジンハウス)の人たち?
石川
と、パリやロンドンにいた仲間たちが。
──
つながってるんですね。
石川
そう。寺﨑さんも『平凡パンチ』で
ロンドンの取材をしていますから。
──
「ほぼ日の學校」で大橋歩さんにインタビューをしたとき
そのあたりのことを紐解きながら、
当時の平凡出版の人たちは
なんて面白いことをしてたんだろうと。
石川
すごいですよね!
──
それで、旭川にいた高校生の石川少年は、
菊池さんのMEN'S BIGIを着ていたんですか。
石川
いや、当時の北海道ではデザイナーズブランドを
そんなに売ってなかったんです。
それにそもそも、お小遣いがなかったですね。
──
古着屋も?
石川
全然なかった。
ただ、さっき話した、
完全に街を牛耳っているというか、
ぼくらの仲間に影響を与えている店があって。
今でもそうですよね、
地元ですごく影響力のあるセレクトショップ。
福岡なら福岡で、周りの流行を全て司るような
セレクトショップが、
当時の旭川に2軒あったんです。
でもぼくは‥‥ちょっと話が外れるかもしれないけど、
小林節正くんと、エンジニアドガーメンツの鈴木大器と
この話をして全く同じことを言ったんだけど、
友達の誰かが最初にスタンスミスを
買うとするじゃないですか。
そうするともうその時点で、ぼくらの中では、
そのスタンスミスはおしまいなんです。
写真
──
友達が買ったものは、もう、買わない?
石川
うん、なぜならそれはもう
「一番カッコいいもの」ではないから。
絶対にマネをしないんだよ。
──
それ、信頼してる仲間でもダメなんですか?
石川
ダメです。
それこそ一番ダメなの。
──
えぇ~。
石川
「あいつよりいいものを探す!」って。
──
‥‥そのときから発想がスタイリスト?
石川
んー、まぁ、たしかに、そうか。
でも、いざスタイリストになってみると、
そんなにスタイリストでもないんですけどね。
そこが複雑なとこなんです。
ややこしいんです。
──
それで、高校生活は
『POPEYE』とともに過ごす。
石川
全部ではないけどね。
というのは、分からなかったところがあって。
音楽のCITY POPと『POPEYE』は、
田舎の人に分からない部分があるんです。
──
ユーミンが言ってました、
CITY POPは東京の
中高一貫の私立高校男子の音楽だと。
石川
そう! それに、もうすでに誰かが
「カッコいい」って言ってるわけなので、
さっきの流儀で行くと、ぼくはついていかないわけ。
だから音楽もCITY POPじゃなく、
クイーンやエアロスミス、
レッド・ツェッペリンを聞いてました。
ちなみにビートルズもポール派で、
ジョン派ではなかったです。
まわりのみんなが「ジョン・レノンが好きだ」って
言い始めるのが中学の頃でね。
カッコいいじゃない、
「ジョン・レノン」って言ったほうが。
でもぼくはポールですよ、絶対に。
あとウィーン少年合唱団も聴いてたな。
──
混乱してきました。
石川
つまり、もうめちゃくちゃにミックスしてたんだなぁ。
ぼく、スタイリングでもそうなんですけど、
「なになにルック」が嫌いなわけですよ。
たとえば「ストリート系」も、
アメリカのストリートの人の格好を真似する
スタイルじゃないですか。
いやいや、スケボーやってないのに
ストリート系っておかしいぞと。
ちなみにぼくはテニスをしてたんで、
テニスシューズしか買わなかったです。
そういう勝手なこだわりがあるんだね。
──
でもスタンスミスは「あいつ」が履いてるから‥‥。
石川
履かないの。ぼくはイリ・ナスターゼっていう
アディダスの靴を履いてました。
「こっちのほうがカッコいいよ」
っていうプレゼンテーションをしてたんです。
写真
2023-04-14-FRI
(つづきます)