ほぼ日手帳のことを「LIFEのBOOK」と
言えるようになってから、
ほぼ日手帳そのものが、
純粋なたのしさを持ったものになれた気がします。
文房具や道具としての機能を競うんじゃなくて、
ほぼ日手帳を使ってくれる人からも、
違うことを望まれるようになったんじゃないかな。
たとえばクルマに乗る人だって、
エンジン排気量や馬力を競うような話よりも、
ドライブのたのしさについて話したいんだと思うんです。
どこへピクニックに行ったんだよとか、
あの子を隣に乗せたら喜んでくれたよとか、
そういうことがうれしい。
ほぼ日手帳も同じだと思うんです。
手帳の機能は、だいぶいい形で収まってきて、
やっと、たのしさについて、
ちゃんと話せるようになってきた気がします。
ほぼ日手帳は、1年が終わってはじめて完成するもので、
主役はやっぱり、使っている人なんですよね。
そうやって強く思えるようになったのも、
たくさんの手帳を見せてもらったからなんです。
みんな、ほんとうに自由な使い方をしていて、
ぼくらの想像を、軽々と超えてくれています。
日にちをまたいで書いたり、
自分で決めたルールもどんどん変えちゃったり。
人間の数だけ、作品があるんだと思います。
ほぼ日手帳が主役なのではなく、
「わたしが主人公です」ということを、
わかってもらえるようになって、
作っているぼくたちもうれしいです。
今はデジタルの時代ですよって言われるなかでも、
手帳には手で書くリアルがあって、
自分のしたことだけが残るんですよね。
デジタルのものって何もしなくても残るけれど、
そういうリアルの面白さを、人はほんとうは
失いたくなかったんだなって思います。
スマートフォンで撮った写真を手帳に貼ったり、
手帳の写真を撮ってSNSにアップしたりもするわけで。
そういうアナログとデジタルの関係だって、
ほぼ日手帳を作ったときには
まったく想像もできませんでしたから。
最近だと、手帳をひとりで使うだけじゃなくて、
家族のコミュニケーションに使う人もいますよね。
SNSで手帳を見せ合ったりしているのも、
なんだか、外に広がっている感じがします。
世界に目をやると、ほぼ日手帳を使って、
よその国の人どうしがつながったりもしていますし。
今はたくさんの国で使ってくれる人が増えたし、
日本でもいろんな人が、
いろんな使い方をしてくれるのを見ていると、
なんだか洋々と開けた海を行くような気がしてきます。
船が湾を出た感じ、と言ったらいいかな。
ほぼ日手帳が機能にとらわれていたような頃には、
ぼくらはまだ、湾内にいたんですよね。
桟橋を離れたばかりで慌てていて、
航海をたのしむ余裕もありませんでした。
ほぼ日手帳は、これからがほんとうの航海です。
海原に出たほぼ日手帳が、
いろんな使い方でたのしまれてほしいですね。