糸井 | これは、何度も訊かれたでしょうけれども、 周防さんは、どうしてこの映画を 作ろうと思ったんですか? この11年ですか、 11年のあいだには、 これやろう、あれやろうって さんざん取っ掛かりがあったと思うんです、 人のことですけど。 |
周防 | はははは。 |
糸井 | いっぱいあったなかで、 で、なくてあれ(笑)、 どうしてあの題材を選んだのかを ずっと訊きたかったんです。 |
周防 | それは、シンプルに‥‥ ほんとうにシンプルなんです。 当事者の方にいっぱい会ったこともあると 思うんですけど、 なんでこんなことで 人が苦しまなきゃいけないんだという、 ただそれだけの思いです。 冤罪ってものがある、 それはいったい誰の責任なんだろう? 僕はそれまで、 人が人を裁くむずかしさが生む、 人間ではどうすることもできない、 そういうレベルでの出来事なんだと 思っていました。 ギリギリのところで審理を尽くしたのに、 人が人であるがゆえに どうしようもない間違いが どこかで起きてしまって、 しかたなく冤罪が生まれてしまうんだと 勝手に思ってたんです。 |
糸井 | 俺も無意識にそう思ってます。 |
周防 | 冤罪というものの存在がわかっていても、 どこかで人が人を裁くことへの諦めがあった。 でも、実際に取材をはじめてみると、 ほんとうにつまらないミスで起きているんです。 例えば捜査官の初動捜査のミスとか 取調官の思い込みとかね、 「どうしようもない」問題じゃないんです。 間違いに気づいた瞬間に、 それを即座にやり直すことができたり、 間違いを発見しやすいようなシステムさえあれば、 冤罪で苦しむ人は減る。 たとえば調書ですが、 1対1で質疑応答しているものが、 どうして一人称独白体で ペラペラペラペラとしゃべったようになるのか。 痴漢だと、「ついムラムラとして」なんていうふうに 自分で言ってることになる調書ができる。 何だよ、その「ついムラムラとして」っていうのは。 それは明らかに取調官がそう書くわけです。 |
糸井 | そういう仕事上の用語があるんでしょうね。 |
周防 | あるんです。 そういう調書にしないと、 「それはまさしく真犯人でなければ 語ることができない迫真性に満ちたもの」 ではない、という判断になっちゃう。 だから、当事者でなければ言えないようなことが 書かれている調書を作んなきゃいけないんです。 |
糸井 | その言語や体系が、 できあがっちゃってるんだ。 |
周防 | 無味乾燥な、一問一答を起こしたような調書は 「下手な調書」なんです。 それを修習生の時代から教わるわけです。 |
糸井 | なるほどねぇ。 ‥‥おかしい。 |
周防 | おかしいんですよ。 ひとつひとつ取材をしていくと、 冤罪ってこんなにいっぱい起きなくても いいじゃないか、と思うんです。 そういった間違いがあるということが 社会的に公になっていて、 みんながそのことを承知しているんならまだしも、 僕は知らなかった。 だって刑事ドラマを見れば、 逮捕したいんだけど証拠がないんです、と 悩む刑事がいっぱいいるわけですから。 |
糸井 | そうですね。 |
周防 | 現実には、捕まえてきちゃうんですよ。 そこから自白を取ろうとして責める。 自白させといてから、 その自白の裏付けの証拠を探そうとする。 いまだに「自白が証拠の王様です」なんていうふうに 検察官は言い切るわけですから。 |
糸井 | 自白が証拠の王様? |
周防 | 「ここに殺人を犯したってナイフがあって、 確かに指紋がついている。 で、死んだ人の血痕もある。 そりゃ、そのナイフがその殺人に 使われたってことはわかりますよ。 で、その指紋から彼がやったのかもしれないって わかりますよ。でもね、 どういう気持ちでどう刺したかなんて、 本人じゃなきゃわからないでしょ? だから聞くんですよ。 科学的にどうつったって、 真相は解明されません。 本人、犯人に聞くのがいちばんだ」 というような発想があるので、 少なくとも犯人だと思って捕まえた人ですから、 そうすると犯人なんだから、 ほんとうのこと言えるだろうと、責めるんですよ。 でも、その人が犯人じゃないとすれば、 わかんないじゃないですか、そんなこと。 |
糸井 | 結局、物語が成立するかしないかの 問題なんですね。 |
周防 | そのとおりです。 冒頭陳述や調書は、すべて物語作り。 (対談は明日へつづきます。 つづいておたよりのご紹介をお読みください) |
先日、地裁主催の裁判員裁判模擬裁判に 裁判員として参加しました。 そもそも「証拠」とされるものに 「言葉」が重用されすぎていること自体が 問題だと思うのです。 模擬裁判も結局証拠は被害者の証言、 被告人質問、供述調書、そんなものばっかりで、 物証はほとんどありませんでした。 それじゃあわからんよ、と思うのです。 意図的じゃなくても、 「言い方は人それぞれ、同じ人でもその時々で違う」 からです。 結局「どの言い分が論理的か。矛盾がないか」 で判断せざるを得ません。 となると「頭がいい人が勝つ」ということに なってしまいます。 (まる) |
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『それボク』を広告で知ったとき、 |
2007-02-21-WED |