8 なぜ「裁判」を撮ったのか。


糸井 これは、何度も訊かれたでしょうけれども、
周防さんは、どうしてこの映画を
作ろうと思ったんですか?
この11年ですか、
11年のあいだには、
これやろう、あれやろうって
さんざん取っ掛かりがあったと思うんです、
人のことですけど。
周防 はははは。

糸井 いっぱいあったなかで、
で、なくてあれ(笑)、
どうしてあの題材を選んだのかを
ずっと訊きたかったんです。
周防 それは、シンプルに‥‥
ほんとうにシンプルなんです。
当事者の方にいっぱい会ったこともあると
思うんですけど、
なんでこんなことで
人が苦しまなきゃいけないんだという、
ただそれだけの思いです。

冤罪ってものがある、
それはいったい誰の責任なんだろう?
僕はそれまで、
人が人を裁くむずかしさが生む、
人間ではどうすることもできない、
そういうレベルでの出来事なんだと
思っていました。
ギリギリのところで審理を尽くしたのに、
人が人であるがゆえに
どうしようもない間違いが
どこかで起きてしまって、
しかたなく冤罪が生まれてしまうんだと
勝手に思ってたんです。
糸井 俺も無意識にそう思ってます。
周防 冤罪というものの存在がわかっていても、
どこかで人が人を裁くことへの諦めがあった。
でも、実際に取材をはじめてみると、
ほんとうにつまらないミスで起きているんです。
例えば捜査官の初動捜査のミスとか
取調官の思い込みとかね、
「どうしようもない」問題じゃないんです。
間違いに気づいた瞬間に、
それを即座にやり直すことができたり、
間違いを発見しやすいようなシステムさえあれば、
冤罪で苦しむ人は減る。

たとえば調書ですが、
1対1で質疑応答しているものが、
どうして一人称独白体で
ペラペラペラペラとしゃべったようになるのか。
痴漢だと、「ついムラムラとして」なんていうふうに
自分で言ってることになる調書ができる。
何だよ、その「ついムラムラとして」っていうのは。
それは明らかに取調官がそう書くわけです。
糸井 そういう仕事上の用語があるんでしょうね。
周防 あるんです。
そういう調書にしないと、
「それはまさしく真犯人でなければ
 語ることができない迫真性に満ちたもの」
ではない、という判断になっちゃう。
だから、当事者でなければ言えないようなことが
書かれている調書を作んなきゃいけないんです。
糸井 その言語や体系が、
できあがっちゃってるんだ。
周防 無味乾燥な、一問一答を起こしたような調書は
「下手な調書」なんです。
それを修習生の時代から教わるわけです。
糸井 なるほどねぇ。
‥‥おかしい。
周防 おかしいんですよ。
ひとつひとつ取材をしていくと、
冤罪ってこんなにいっぱい起きなくても
いいじゃないか、と思うんです。
そういった間違いがあるということが
社会的に公になっていて、
みんながそのことを承知しているんならまだしも、
僕は知らなかった。
だって刑事ドラマを見れば、
逮捕したいんだけど証拠がないんです、と
悩む刑事がいっぱいいるわけですから。
糸井 そうですね。
周防 現実には、捕まえてきちゃうんですよ。
そこから自白を取ろうとして責める。
自白させといてから、
その自白の裏付けの証拠を探そうとする。
いまだに「自白が証拠の王様です」なんていうふうに
検察官は言い切るわけですから。
糸井 自白が証拠の王様?
周防 「ここに殺人を犯したってナイフがあって、
 確かに指紋がついている。
 で、死んだ人の血痕もある。
 そりゃ、そのナイフがその殺人に
 使われたってことはわかりますよ。
 で、その指紋から彼がやったのかもしれないって
 わかりますよ。でもね、
 どういう気持ちでどう刺したかなんて、
 本人じゃなきゃわからないでしょ?
 だから聞くんですよ。
 科学的にどうつったって、
 真相は解明されません。
 本人、犯人に聞くのがいちばんだ」
というような発想があるので、
少なくとも犯人だと思って捕まえた人ですから、
そうすると犯人なんだから、
ほんとうのこと言えるだろうと、責めるんですよ。
でも、その人が犯人じゃないとすれば、
わかんないじゃないですか、そんなこと。
糸井 結局、物語が成立するかしないかの
問題なんですね。
周防 そのとおりです。
冒頭陳述や調書は、すべて物語作り。

(対談は明日へつづきます。
 つづいておたよりのご紹介をお読みください)


先日、地裁主催の裁判員裁判模擬裁判に
裁判員として参加しました。

そもそも「証拠」とされるものに
「言葉」が重用されすぎていること自体が
問題だと思うのです。
模擬裁判も結局証拠は被害者の証言、
被告人質問、供述調書、そんなものばっかりで、
物証はほとんどありませんでした。
それじゃあわからんよ、と思うのです。
意図的じゃなくても、
「言い方は人それぞれ、同じ人でもその時々で違う」
からです。

結局「どの言い分が論理的か。矛盾がないか」
で判断せざるを得ません。
となると「頭がいい人が勝つ」ということに
なってしまいます。
(まる)

『それボク』を広告で知ったとき、
あ、これは自分は見ないなと思ったのです。
職場の日常はセクハラに満ちていますが、
女性が声を挙げたら、
加害者の男性の多くはセクハラ冤罪を
主張しそうなかんじがします。
被害妄想の女性を笑う映画かな、
冤罪男性をかばう映画かな、と考えたので、
見ないなと思ったのです。
でも周防さんがそんなアホなものを
つくるかなとも思ったので
(加瀬亮を見たい、もありまして)、見たところ、
周防さんに感心、感動、感謝です。
主人公に不利な証言をする被害者である女性にも、
監督さんが共感しているとわかります。
(ヒロ)


2007-02-21-WED


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