糸井 | 動機だけがわからないって、 刑事ドラマでもいろんな人が さんざん悩んでますね。 地下鉄サリン事件のときも、 無差別に人を殺すことへの 限りない恐怖がありました。 あそこで動機さえ明かされたら、 「俺はとにかく大勢殺したかった」でも何でも 言ってくれたら、 物語が完結したんです。 |
周防 | そう、完結、そうです。 動機なき殺人と言われるものが これだけ増えてくると、 今までのマニュアルでは どうしようもないです。 |
糸井 | 動機中心ですからね。 |
周防 | 最近、裁判傍聴が流行ってるようですが、 もしかするとそれは、1人の人生の物語を 法廷で聞けるからかもしれません。 法廷っていまだに、 そういう物語を作り続けてる場所なんです。 |
糸井 | それは‥‥たとえは違うかもしれないけど、 急にサッカーが日本で流行るよ、 と、言われ出したときって、 スポーツ紙にサッカー経験者が あまりいなかったんです。 それまでは、スポーツ=野球でしたから。 そこで、野球担当の人が しぶしぶ引き剥がされてサッカー担当になった。 彼らは当初、野球のロジックで サッカーを語ったから、 サッカージャーナリズムは しばらく育たなかったんです。 仮面ライダーや月光仮面も、おなじです。 広く乱闘できる場所を作って、 敵が周りを取り囲んで、というような 時代劇の方法を取っています。 で、あとは「トウ」とかね、剣道の掛け声かな? そんなふうに物語の軸の部分は 急には変わらずに、次に伝播していくものです。 いつの間にかどこかから 違うものが来て変わっていく、 ということなのかもしれないな、と思います。 |
周防 | そういえば、映画を撮ったあとに、 木谷明さんという、元裁判官で 今法政大学で先生をしてらっしゃる方と一緒に 本を作ったんです。 僕が映画を撮影しながら疑問に思ったことを 木谷先生にたずねる本なんですが、 その中で僕は、 どうして取調官は、 ほぼ一問一答で取り調べているのに、 わざわざ一人称独白体にして調書を作り、 事件を物語化していくのかをたずねてみたんです。 そしたら、 「これはね、1000年の歴史があって、 そう簡単に直るものじゃないんです」 と言われましてね。 |
糸井 | なるほど。 |
周防 | 日本の裁判の歴史は、 江戸時代までは、ほとんど訴追側だけで、 つまり警察が捕まえて自分たちで裁いていたんです。 そうすると、そのときのいちばんの重要な、 この人が下手人(げしゅにん)である ということの証明は、 本人のしゃべったことを書いたものなわけです。 本人が自分がやりましたとしゃべっているから こいつが殺人犯で間違いない、と。 だからこそ「私は正直に申し上げます」と言って、 一人称独白体でずっと書かれてきたわけです。 それが1000年の歴史を持っています。 明治からはドイツ、 第二次世界大戦後は英米法の影響を受けて、 そのたびにそういった調書の書式が 消えかかった時期があるそうです。 だけど、復活してるんですよ。 そう簡単に伝統は変わらない。 |
糸井 | 物語が好きなんだね。 |
周防 | 物語じゃないとしっくり来ないんでしょう、 きっと、調べる側は(笑)。 |
糸井 | 「しっくり来る」って言葉、鍵ですね(笑)。 見事ですね。 |
周防 | はい(笑)。だから僕も、今の調書の取り方の どこに合理的な理由があるのか まったくわかんないんだけど、 結局は、辻褄を合わせて物語を作っていくわけです。 |
糸井 | はぁああ、そうか。 そういうことを知れば知るほど、 裁判の、どこをどう描くかというのは、 映画監督としてえらい大変だったでしょうね。 |
周防 | もうライフワークです。 この1本で終わんないですよ、これ(笑)。 |
糸井 | いや、お話伺っていると、 そんな予感がします(笑)。 (対談は明日へつづきます。 つづいておたよりのご紹介をお読みください) |
毎日の通勤電車が混雑しているような方たちには、 じっとりとした身に迫る恐怖があると思います。 この映画をわたしは 手に汗握りながら鑑賞しました。 長い鑑賞時間の中で、しかし一時たりとも 意識を萎えさせられることなく。 これほどまでに隙のない映画は無い、 そしてとても面白い映画だとそう感じました。 ハリウッド映画なんて目じゃない、 緊張感、恐怖、昂揚、の連続。 しかしこの映画には空想や夢や希望、 そんな力技ばかりが溢れているわけではなくて、 ただひたすらに 生々しい現実がストイックに、 それも誰にでも明日起こり得る悲劇が 描かれているのですから。 こんな映画を待っていたんだと、 沢山の鑑賞者が感じているのではないでしょうか。 (o0oishirieo0o) |
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アメリカに住んでから |
2007-02-22-THU |