糸井 | 周防さんは、あんな映画を 撮る人じゃなかったですよね? |
周防 | いや(笑)、 興味を持った対象によってこうなったのであって、 僕自身は変わってないんですよ。 もっと早い時期に 「日本の刑事裁判」に気がついていたら、 こういう映画を作っただろうという 思いがあります。 むしろ、高校生ぐらいのときの僕に 近いような映画です。 青臭い正義感の、 「世の中のおとななんか汚い!」 というところから(笑)、 あの映画はスタートしてる感じですよ。 |
糸井 | でもね、 「言えた義理じゃない」ということについての 謙虚さが、 まず周防監督にあることを感じますよ。 |
周防 | それはあります。でもやっぱりね、 高校生ぐらいのときの あの傲慢さっていうんですかね、 自分のことを差し置けるところを 大人になってすべて消し去っちゃうと、 まずいだろうと思います。 逆に言うと、大人になって 若者が叫ぶことをガキだなと笑えない部分が 僕の中にすごくあります。 |
糸井 | うん、ありますね。 |
周防 | それは、大事なことでね。 傲慢なまま大人になれということでは 決してありませんが、 若者の持ってる傲慢さを 僕らはバカにしちゃいけない。 僕もかつて傲慢だったことを よく覚えているから。 この映画は、恥ずかしげなく、 愚直さだけでできてる映画です。 それは、大事にしなきゃ いけないんじゃないのかな。 |
糸井 | でも周防さんは、 ものすごく、ていねいに 小骨を抜いてますよ。 |
周防 | はい。‥‥それは、そうです。 要するに、これまで僕が言ったことは、 創作の原動力のことです。 作品にするときには今度は逆に、 愚直なまでに客観的であろうとしていることは 確かだと思います。 |
糸井 | うん、そうなんですよ。 |
周防 | それぞれの立場というものを考え抜こうという 注意深さはあるんです。 |
糸井 | 映画の中の小日向さん(裁判官役)を 悪人に決まってる人にしちゃう、 という撮り方はいくらでもできる。 |
周防 | できますね。 |
糸井 | とくに、疑わしい人が罰せられてはいけない というテーマを最初に掲げてる以上は、 「あんた、罰したね」 という、怒りのメッセージにもできるのに、 周防さんは小日向さんを能面にしたんです。 その知性がほしいんだよって(笑)、 映画を観てて思った。 僕はものすごくあれをね‥‥ 実は、映画館で観てて、 あそこで泣いたんです。 いちばんいやな場面なんだけど(笑)。 何に泣いたかというと、 監督の思いに泣いたんですよ。 そこは、だから、 監督がそうおっしゃるのはわかるんですけど、 実際やってることは ものすごくていねいにやってるんで(笑)。 |
周防 | そりゃあやっぱりね、 簡単に拳を突き上げちゃいけないんだ、 シュプレヒコールの中で みんなでまとまって何かをやっちゃいけないんだ、 というのは、ありますよ。 |
糸井 | 結局のところ、 正義の味方の拳のほうが 人を引きつける魅力はあるので。 |
周防 | 怖いですよ。 |
糸井 | 僕らは世代的に、 言わば一度やっちゃった悪い人たちです。 悪いとまでは言わないけど、 「正義がこんなに効果あるんだ」とか、 涙の訴えが 人にどのくらい効き目があるかを知ってます。 だから、あの小日向さんの役の、能面の描き方を 責任を持ってやんなきゃいけないんだなと 思いましたね。 |
周防 | 僕は中学生の頃に、 荒れてる高校を見てました。 僕らの上の世代がグシャグシャにしたのを ずっと下から見てたので、 ゴールデン街とか酒飲みながら、 喧嘩しながら正論ぶちあうっていうのは 照れがあるというか、 ちょっと距離を置いちゃうんですよね。 |
糸井 | 僕もいやです(笑)。 |
周防 | その距離の取り方は、 僕らの世代のものだというふうに思うんです。 飲み屋で、 「俺も昔は、ゲバ棒持ってさ」って、 懐かしく語る人たちが嫌いだったから。 人前でそんなこと言えないと 思ってる人たちのほうが 僕には好感度高いんです。 (対談は明日へつづきます。 つづいておたよりのご紹介をお読みください) |
「痴漢」と聞いただけで先入観があって 態度も違ってくる、記憶もぬりかえられてしまう。 人やものごとに対して 公平、まっさらでいることは難しいと思いました。 裁判員制度が始まって、自分が裁判員に選ばれたら 被告や事件に冷静な視点を 持っていられるだろうかと考えました。 (まつぼっくり) |
2007-02-24-SAT |