11 ていねいにやってるから泣いたんだ。


糸井 周防さんは、あんな映画を
撮る人じゃなかったですよね?
周防 いや(笑)、
興味を持った対象によってこうなったのであって、
僕自身は変わってないんですよ。
もっと早い時期に
「日本の刑事裁判」に気がついていたら、
こういう映画を作っただろうという
思いがあります。
むしろ、高校生ぐらいのときの僕に
近いような映画です。
青臭い正義感の、
「世の中のおとななんか汚い!」
というところから(笑)、
あの映画はスタートしてる感じですよ。

糸井 でもね、
「言えた義理じゃない」ということについての
謙虚さが、
まず周防監督にあることを感じますよ。
周防 それはあります。でもやっぱりね、
高校生ぐらいのときの
あの傲慢さっていうんですかね、
自分のことを差し置けるところを
大人になってすべて消し去っちゃうと、
まずいだろうと思います。
逆に言うと、大人になって
若者が叫ぶことをガキだなと笑えない部分が
僕の中にすごくあります。
糸井 うん、ありますね。
周防 それは、大事なことでね。
傲慢なまま大人になれということでは
決してありませんが、
若者の持ってる傲慢さを
僕らはバカにしちゃいけない。
僕もかつて傲慢だったことを
よく覚えているから。
この映画は、恥ずかしげなく、
愚直さだけでできてる映画です。
それは、大事にしなきゃ
いけないんじゃないのかな。
糸井 でも周防さんは、
ものすごく、ていねいに
小骨を抜いてますよ。
周防 はい。‥‥それは、そうです。
要するに、これまで僕が言ったことは、
創作の原動力のことです。
作品にするときには今度は逆に、
愚直なまでに客観的であろうとしていることは
確かだと思います。
糸井 うん、そうなんですよ。
周防 それぞれの立場というものを考え抜こうという
注意深さはあるんです。
糸井 映画の中の小日向さん(裁判官役)を
悪人に決まってる人にしちゃう、
という撮り方はいくらでもできる。
周防 できますね。
糸井 とくに、疑わしい人が罰せられてはいけない
というテーマを最初に掲げてる以上は、
「あんた、罰したね」
という、怒りのメッセージにもできるのに、
周防さんは小日向さんを能面にしたんです。
その知性がほしいんだよって(笑)、
映画を観てて思った。
僕はものすごくあれをね‥‥
実は、映画館で観てて、
あそこで泣いたんです。
いちばんいやな場面なんだけど(笑)。
何に泣いたかというと、
監督の思いに泣いたんですよ。
そこは、だから、
監督がそうおっしゃるのはわかるんですけど、
実際やってることは
ものすごくていねいにやってるんで(笑)。
周防 そりゃあやっぱりね、
簡単に拳を突き上げちゃいけないんだ、
シュプレヒコールの中で
みんなでまとまって何かをやっちゃいけないんだ、
というのは、ありますよ。
糸井 結局のところ、
正義の味方の拳のほうが
人を引きつける魅力はあるので。
周防 怖いですよ。
糸井 僕らは世代的に、
言わば一度やっちゃった悪い人たちです。
悪いとまでは言わないけど、
「正義がこんなに効果あるんだ」とか、
涙の訴えが
人にどのくらい効き目があるかを知ってます。
だから、あの小日向さんの役の、能面の描き方を
責任を持ってやんなきゃいけないんだなと
思いましたね。

周防 僕は中学生の頃に、
荒れてる高校を見てました。
僕らの上の世代がグシャグシャにしたのを
ずっと下から見てたので、
ゴールデン街とか酒飲みながら、
喧嘩しながら正論ぶちあうっていうのは
照れがあるというか、
ちょっと距離を置いちゃうんですよね。
糸井 僕もいやです(笑)。
周防 その距離の取り方は、
僕らの世代のものだというふうに思うんです。
飲み屋で、
「俺も昔は、ゲバ棒持ってさ」って、
懐かしく語る人たちが嫌いだったから。
人前でそんなこと言えないと
思ってる人たちのほうが
僕には好感度高いんです。

(対談は明日へつづきます。
 つづいておたよりのご紹介をお読みください)


「痴漢」と聞いただけで先入観があって
態度も違ってくる、記憶もぬりかえられてしまう。
人やものごとに対して
公平、まっさらでいることは難しいと思いました。
裁判員制度が始まって、自分が裁判員に選ばれたら
被告や事件に冷静な視点を
持っていられるだろうかと考えました。
(まつぼっくり)

2007-02-24-SAT


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