糸井 | 今、ぼくがいろんなものごとを考えるとき、 あたまに思い浮かべるのは、 吉本隆明さんの「芸術言語論」なんですよ。 |
武田 | 芸術‥‥言語論。 |
糸井 | そう、そのなかで吉本さんは 「言葉の幹と根は沈黙である」と言ってる。 |
武田 | それはつまり 反コミュニケーションということ? |
糸井 | そうですね‥‥言葉の枝葉をたどっていくと、 「言葉の幹と根」にぶつかって、 それは「沈黙」である‥‥って話なんです。 |
武田 | すごい、ぼく、まさにそういうことを‥‥。 ようするに、 「コミュニケーションのかたちをとらない コミュニケーションの在りかた」を ずーっと、考え続けてきた気がする、今まで。 うわぁ、その言葉、すげぇなぁ‥‥。 |
糸井 | ですから、さっきの話でいうと、 「人間くさい」書で書かれた大河ドラマの題字は 直接的なコミュニケーションの手前で いろんなことを、語っているわけですよね。 |
武田 | そうか、そうですね。 |
糸井 | 吉本さんによれば、心のなかで思っていたり、 口のなかでモゴモゴいってるような 「言語化される以前の、 自分のなかだけで発している言葉」が、 言葉の幹であり根であり、 そして、それは「沈黙」なのである、と。 で、よけいな飾りのついてないその部分こそ、 「その人そのものである」と。 |
武田 | うわー‥‥。 |
糸井 | それに、コミュニケーション以前の「沈黙」が 認められない世界では、 どうやったって、 西欧的なコミュニケーション理論にかなわない。 つまり、アメリカ流の 「言葉にしなきゃ、わからない」というロジックに いつまでたっても、勝てないんですよ。 |
武田 | いや、すごくよくわかるなぁ‥‥。 言葉は強烈なちからを持ってるんだけど、 その幹と根は「沈黙」なんだ。 で、その部分こそが、その人そのもの。 なるほどなぁ‥‥あの、糸井さんの場合、 たとえば「キャッチコピーをつける」という お仕事があったとしますよね。 |
糸井 | いまじゃほとんどやってませんが。 |
武田 | ご自身とは価値観のちがう世代も含めて、 「日本語のわかる人たち」に向けて ひとつのキャッチコピーを考えるときって‥‥ 何に頼ってるんですか? 言葉ですか? 言葉以外の何か、ですか? それこそ、沈黙の部分? |
糸井 | うーん、説明しづらいですね。 |
武田 | だろうとは思うんですけど。 |
糸井 | 「みんな、わかるに決まってる」ということが、 オレにわかるときが、ある。 ‥‥というかね。 |
武田 | そういう、ご自身の感覚がよりどころ? |
糸井 | たとえば、洗濯ができるだけじゃなく、 さらに「干して、たたんでくれる洗濯機」が 「理想の洗濯機」じゃないですか。 まぁ、そんなのは、 いまのところ実現不可能だとは思うけど。 |
武田 | ええ、ええ。 |
糸井 | でも、実現することができなくたって、 コピーを書くことはできるんですよ。 ただ、すなおに 「干して、たたんでくれる洗濯機、発売」と 書けばいいだけだから。 |
武田 | なるほど。 |
糸井 | そのコピーは 商品の魅力を正確に伝えていると同時に、 なんのウソも誇張もない。 ですから、できるんだったら、 そういう商品をつくってしまうのが、理想なんです。 |
武田 | つまり‥‥。 |
糸井 | 「干して、たたんでくれる洗濯機」みたいに、 それ自体、コピーを発してるような商品をつくること。 これが、重要なことだと思うんです。 |
武田 | はぁー‥‥そうか、そうか。 コピーから商品をつくる、みたいな。 すごいな‥‥それは。 |
糸井 | 広告もそうですけど、 表現によって何かを伝えることができたら、 少なからず、 よろこんでくれるお客さんがいるわけです。 だとしたら、 自分で「よくない」と思ってるものを 「これはいい!」って 言っちゃうわけにはいかないんですよ。 |
武田 | はい。 |
糸井 | できるだけ、その商品の「いいところ」を探して きちんと伝えたいとは思うんだけど‥‥ それだけやってても、おもしろくなくなってきた。 |
武田 | そうですか。 |
糸井 | だから、いまは 「広告しなくてもいい商品」をつくることを 自分の仕事の大部分にしてます。 |
武田 | 広告しなくていい商品。 |
糸井 | つまり、さっきの 「干して、たたんでくれる洗濯機」みたいなこと。 最近では、 「商品に広告を練り込む」という表現をしてます。 |
武田 | なるほどー‥‥。 |
糸井 | 商品じたいが広告になってる。 |
武田 | そういう考えにたどりついたのって、 「言葉の否定」とは ぜんぜん、また、ちがうんですよね? |
糸井 | うん、言葉の否定じゃないですね。 それこそ、吉本さんのいう沈黙じゃないけど、 「言葉のもとになる部分」を つかみだすような作業‥‥といったらいいか。 |
武田 | 言葉のもと、ですか。 |
糸井 | 頼ってるかどうかはわからないけれど、 肝心なものがあるとすれば、そこかなぁ。 |
武田 | それは「思考のルール」みたいなもの? |
糸井 | 考えるときの枠組みというかね。 |
武田 | さっきの芸術言語論の「沈黙」とも、 関わり合ってくるんでしょうか。 |
糸井 | かもしれませんね。どこかで。 <つづきます> |