第15回 マネージャーでした
川崎徹さんが
タモリさんのことを
早稲田のジャズ研の時代から有名だった、
と言っていましたよ。
「森田さんは、スゴかった」って。
いや、スゴくない、スゴくない。
ふりをしていただけ。

川崎のことは、ぼくも知っていましたよ。

軽音楽のクラブの中で
川崎は、ハワイアンのマネージャーをしてて‥‥
ものすごくはたらくヤツだった。
でしょうねぇ。
ただ、
幹事長とかは選挙で選ばれるんですけど、
マネージャーだけは、
前のマネージャーが指名するんですよ。
マネージャーになりたいヤツでも、
指名されないかぎりは、ならない。

川崎は、歌とか演奏よりも
マネージャーになりたくて
ほんとによくはたらいたんです。
軽音楽のクラブをやってるヤツらが
みんな、感心するぐらいに。
川崎さんも、有名だったんだ。
うん。

だけど、前のマネージャーに意地悪されて、
マネージャーにはなれなくて‥‥。

そのとき、軽音楽のクラブのみんなで、
川崎を、なぐさめたんですよ。
当時、マネージャーは
興行師みたいなものだったんですか。
まぁ、そうですね。
夏は2か月、冬は1か月、
全国を興行してまわるんですよ。
けっこう、お客さんがはいった。
福岡なら、九電体育館でやっていたからね。

大都市のホールや、地方の市民会館の
仕事をとってスケジュールをいれていくのが
マネージャーのやることなんです。

早稲田の軽音楽のクラブは
5バンドあったんですけど、
5バンドぜんぶをやるところは、
大都会しかないんです。
東京、福岡、名古屋、大阪、仙台……
ぐらいまでだったかなぁ。
あとは、せいぜい3バンド、
もっと地方のほうにいくと2バンドで、
どのバンドがハズれるのか……
すぐハズれるのが、タンゴのバンドなんですよ。
(笑)
そりゃ、ハズれますわね……地味だもん。

地方でもかならず呼ばれるのが、
フルバンドのオーケストラのバンド。
これはかならずですね。
それから、その対極にある
川崎のいたハワイアンのバンド。
このふたつは、はいるのが、確実なんです。

3バンドが呼ばれた
あとひとつの席に、われわれのモダンジャズと、
ニューオリンズジャズと、
タンゴがひしめきあう……
まぁ、事実上、タンゴはハズれていますから。
(笑)
そこでジャズバンドふたつが競いあうという、
これはマネージャーの腕の見せどころなんです。
タモリさんは、
そういうなかでマネージャーをやっていたんだ。
うん。
各地の興行は
稲門会(早稲田大学の卒業生の団体)が
しきるんです。
だから、春ごろから全国各地の稲門会に
連絡をいれて「どうですか」なんて言いながら
あらわれて顔つなぎして、何回かでかけたら
「ちょっと、飲みませんか」
なんてやるのが、われわれマネージャーでした。
接待費、ありましたから。
仕事をとってきたら稼げるんですもんね。
うん。
次回に、続きます
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2007-01-12-FRI

(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN