第16回 司会をやりはじめる
マネージャーは、羽振り、よかったですか?
当時、大学の初任給は2万円ぐらいでしたが、
ぼくが、ジャズ研で使えた接待費は
8万円から10万円ぐらいで
マネージャー手当ても出ましたから。
夏は、1か月に、30万円から
40万円ぐらいの収入がありました。
今で言えば、起業家のようだったんだ。

マネージャーは
どれぐらいつづけられるんですか?
一年なんです。
実際にはたらくのは
サブマネージャーの1年間で
自分がマネージャーになると
下にまかせて自分は何もやらないんですが。

それで川崎は、サブマネージャーの1年で
ほんとによくやったんです。

これだけやったら
当然、なれるだろうと思っていたら
上が、川崎に意地悪したんですね。

それで、ぼくはやめます、と‥‥。
川崎は、さわやかだったですよ。

「おまえ、いいのか?」

と、オレたちは、言ったんですけどね。
川崎さんらしいなぁ。
川崎が、
あそこまで地道にやっていて
マネージャーになれなかったんだから‥‥と、
フルバンドのマネージャーとオレで、そのあと、
ハワイアンバンドにものすごく意地悪したんです。

これは、今だから話せることだけど。

ものすごいスケジュールをいれて、
札幌のつぎは愛媛だとかで、赤字になるように‥‥。
(笑)

マネージャーのときは
たのしく優雅に暮らしてたんですか。
1回のステージで
5000円もらえるんですが、
夏なんて数十か所もまわるでしょう?
カネはありました。

まったく収入がなくなったのは
それが終わってからですよ。
それまで贅沢三昧で暮らしていたものだから。
タモリさんは
バンドでは司会をしていたんですか?
トランペットをしていたけど、
クビになったんですよね。

「おまえ、誰が好きなんだ?」
「マイルスです」
「マイルスのトランペットは泣いてんだ‥‥。
 おまえのは、笑ってんだ」

それで、ちょっとしたら
「マイルス、スマイル」
というレコードが出て……。

「先輩、コレどうなんですか?
 ねぇねぇ、どうなんですか?」

「タイトルだよ‥‥タイトル!」

それで司会をやりはじめたんですが、
ぜんぜん、うまくいかない。
「おまえ、松倉のところで習ってこい」
と、あとでフジテレビのアナウンサーになる
松倉悦郎のところに、教えてもらいにいった。
タモリさんがアナウンサーに教えてもらったんだ?
はい。
あの人はアナウンス研究会みたいなところにいて
バンドで旅まわりをしているときは
毎朝、ニュース調で新聞を読んでました。
「‥‥テレビのニュースかなぁ」
と思ったら松倉で、
えんえんと、毎日、やっているんですよ。
ジャズ研は、
ふつうの会社員にならないタイプの人が
集まっていた場所だったんでしょうね。
そうですね。
明日に、続きます
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2007-01-15-MON

(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN