黄昏 た そ が れ  日光・東北編       南伸坊さんと、糸井重里。昔なじみのふたりが、始終しゃべりながら小旅行。前回は鎌倉の名所をめぐりましたが、今回は日光、松島、花巻あたりを回ります。ゆっくと変わる風景と、めくるめく無駄話。いったいいつまで続くのかな‥‥? そしてこの不思議な企画は、なんとすべてをまとめて本になるのです。いえ、ほんとの話です。
第40回 雨粒の話を台なしにする話。
糸井 赤瀬川さんの子ども時代の話だけどね。
線だった雨が、ジャンプした瞬間、
ひとつひとつの雨粒に見えたっていう。
うん。
糸井 そもそものところでいうと、
雨を線のようにとらえている
っていうほうが間違ってるんだよね。
うん?
糸井 雨が線で見えてるっていうのは、
錯覚なんですよね。
雨はもともと雨粒なんだよ。
きちんと見れば、というか、
ちゃんと目で追えば。
だから、線がウソというか、思い込みというか、
絵を描くときの都合みたいなもので。
ああ、うん、うん。
糸井 きっと、赤瀬川さんは絵を描く人だから、
「見る」ってことについての発達があって、
雨を線で表現するっていう
描き手の都合みたいなものを、
目が許せなかったんじゃないかな。
うーん。
糸井 まぁ、くどくど言うようなことじゃ
ないんだけどね(笑)。
でもさ。
糸井 うん。
でもさっていうのも、あれだけど、
雨が線じゃないっていう話でいうと、
あれだね、しょんべんは線じゃないんだよね。
糸井 お、おう。
絵の都合だよね、しょんべんも。
糸井 うん。線じゃないと思うよ。しょんべんも。
だけど、線でしょ。しょんべんは。
一同 (笑)
糸井 はははははは。
それでね、たしかに、線じゃなくて、
粒なんだけどさ、しょんべんは。
糸井 雨が雨粒であるように。
雨が雨粒であるように(笑)。
糸井 雨が雨粒であるように、
しょんべんも粒である。
だとするとね、たとえば、
高圧電流が流れているところにね、
しょんべんするとしたらさ。
糸井 うん、うん、うん。
どうも感電しそうな気がするけど、どうか。
糸井 はははははは。うん。
だけど、あれは、こう、
写真に撮ったりするとわかるんだけど、
ポツンポツンポツンと粒になってるんだよ。
だから「高圧電流にしょんべんしても大丈夫だ」
ということになるんだけれども、
‥‥ほんとにできるか?
一同 (笑)
ほんとにするのはヤだよな。
高圧電流が、こう、粒と粒のあいだを、
渡ってくるかもしれない(笑)。
糸井 それでいうとね、オレが昔から考えるのは、
振り子の法則のことでね。
うん。
糸井 振り子っていうのは、力を加えない限り、
ある一定の振れ幅が広くなることはない。
そうだね。
糸井 けどね。
うん(笑)。
糸井 振り子に、
鋭利な刃物をくっつけておいてだな、
その、ギロチン的なでっかい刃物をさ。
それがこっちに迫ってくるような
位置に自分が立つとして。
はい、はい(笑)。
糸井 ここからこっちには振り子はこないよ、
というギリギリの場所に‥‥平気で立てるか?
立ちたくないねぇ(笑)。
糸井 そういうことだよね。
なんか、そういうことを、誰か、
昔のえらい科学の人とかが、
やったんじゃなかったっけ?
で、どうなったんだっけ?
いや、知らないよ。
(なにがなんだか。つづきます)

2009-11-15-SUN

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