ゼロから立ち上がる会社に学ぶ 東北の仕事論。 気仙沼 続・丸光食品 篇
第2回 お嬢さま、8億の借金を返す。
── おふたりを見ていると
ものすごく、前向きだなと思うんです。

とりわけ、敬子さんが‥‥。
敬子さん 落ち込んでることも多いんですけどね、
こう見えて。
── はい、ぼくたちのいないところでは
当然そうだと思うんですが、
でも「絶対にあきらめない感じ」がすると
いいますか。
敬子さん 「願いは叶う」と思って、やっています。
茂さん これも、いろいろ苦労してきたんですよ。
── そうでしたか。
茂さん まだ、わたしといっしょになるまえ、
若くして会社を起業して‥‥
実家の大きな借金を返済していたりしてね。
── へぇー‥‥何の会社を?
敬子さん 紙製品の内職業の元請け。
── 紙製品。
敬子さん レターセットとか、お誕生日カードとか、
クリスマスカードとか。
── つまり、キャラクター商品的な?
敬子さん そうです。

オジサンばっかりの同業者に混じって
24歳の小娘が
メーカーからお仕事をいただいてきて、
70名ぐらいの
年齢もぜんぜん年上の内職さんたちに、
お仕事を割り振って‥‥。
── そういう会社を、24歳で起業されたと。
敬子さん いろいろ条件も厳しかったんですけどね。
納期もタイトでしたし、
不良品を出しちゃったら弁償は売値だし。
── はー‥‥。
敬子さん でも、がむしゃらにやったんで、
当時、けっこう儲かったんですよ(笑)。
── そうなんですか。
敬子さん なんか「向いてた」みたいで。
── ちなみに、
お聞きしていいかどうかアレなんですが、
その会社をやって、
ご実家の大きな借金を返された‥‥と?
敬子さん うちの家、旅行代理店だったんです。

祖父と両親が旅行代理店の資格を持ってたから、
ちっちゃいころから
日本全国、あちこち旅行して育ったんです。
── へぇー‥‥。
茂さん 事業が順調だったころは
東京都内に家4軒と、伊豆に別荘があって、
日本舞踊とか
いろんな習いごとを、やってたんだって。
敬子さん おもちゃも、最新型ばっかりだった。
── ‥‥「超お嬢さま」じゃないですか。
茂さん そうなんですよ、こう見えて。
── おどろきました。
茂さん しかも、お義父さんは、日本人ではじめて
オーストリアスキーのプロ資格をとった人でね。

旅行代理店業のかたわら。
── ‥‥日本人初?
敬子さん 三浦雄一郎さんと同期なの。
── 三浦さんて、あの、かの有名な、あの?
敬子さん だからわたしも、よちよち歩きのころから
雪の上に転がされてたんです。

もう、3歳くらいになったら
「俺のあと、ついてこいよー」とか言って
置いてかれちゃったりしてね。
── 英才教育、と言っていいのか。
敬子さん こっちはもう、必死よね。
── 「3歳」ですものね‥‥。
敬子さん ひっくり返ろうが、何しようが、
泣きながら
お父さんのあとをくっついて行ったんです。

おかげで、わたしも
スキーのインストラクターの資格を
持ってるんですけど、
そんなことより
あのときの経験で「度胸が据わった」んです。

恐いものが、あんまりなくなったの。
── な、なるほど。
茂さん すさまじいお義父さんでね、ほんと‥‥(笑)。
敬子さん いずれは、どこそこの息子と結婚して‥‥
みたいなレールが、なんとなく敷かれていて、
でも
専門学校くらいは出といたほういいからって
入学案内書が家に届いて。
── なるほど、お嬢さまコースを順調に。
敬子さん それがイヤで家出したんです。15のとき。
── は?
敬子さん 2階の窓から飛び降りて。
── 家出?
敬子さん このまま行きたくもない専門学校へ行って、
好きでもない
どっかの誰かの息子さんと結婚するなんて、
すっごくイヤだったんです。
── ドラマみたい。
敬子さん ただ、家出をしたまではよかったんだけど、
はたらかないと、お金ないんですよ。
── ですよね。でも「15歳」じゃ‥‥。
敬子さん ふと、とある喫茶店のママさんと知り合って、
その人、理由も聞かないで
身元引受人になってくれたんです、わたしの。

だから、住むところとはたらくところ、
なんとかなったんです。
── お嬢さま時代から、ものすごい展開。
敬子さん その人も「絶対この子、ワケありよ」って
思ってたにちがいないんです。

年齢だって嘘がバレてたと思うし。

でも、他に行って危ない目に遭うくらいなら
ここに置いてあげたほうが‥‥
みたいに、思ってくれたんですよね、きっと。
── 恩人、なんですね。
敬子さん 本当に。
── で、その後、おうちには?
敬子さん ちゃんと、戻りましたよ。

でも、帰ったら実家の会社が倒産してて、
しかも
母親が連帯保証人になっていた他人の会社が
潰れちゃって、
「8億」の借金が回ってきてたの。
── は‥‥ちおくえん?
敬子さん 都内の家と伊豆の別荘、すべて売り払って、
それでも、大きな借金が残りました。
── は、はい。
敬子さん それを、15年くらいかけて、
親戚みんなで力をあわせて払ったんです。
── じゃあ、敬子さんは、
さっきの自分の会社で稼いだお金を?
敬子さん 借金つくったのは、わたしじゃないけど、
返さなきゃならないお金ですから。
── でも「8億円、返したことがある」って、
ものすごいことですね‥‥。
敬子さん まぁ、たいへんでしたけど。
── 「お嬢さま」から「借金8億」というのは、
なんというか、激動です。
茂さん そのうえ、今回の震災でしょ。
── ‥‥激動すぎます。
敬子さん だから「お金」には、
いろいろ、よくしてもらった思い出もあれば
苦労させられた記憶もあって(笑)。
── なるほど‥‥。

ちなみに、敬子さんの携帯にお電話をかけると
呼び出し音で
浜田省吾さんの曲がかかりますよね。
敬子さん ええ、浜省ファンなんで。
── あの曲って、たしか‥‥。
敬子さん ああ‥‥「MONEY」ですね(笑)。
<つづきます>
2012-03-22-THU
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