糸井 |
千田さんは、震災のあとすぐに
みんなで使ってくださいと
自動車を100台、差し出したんですよね。
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千田 |
ええ。
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糸井 |
あれは「仕事」だったんでしょうか。
それとも、「寄付」ですか?
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千田 |
そうですね‥‥自分のことを言うのも
何なんですが、
少年時代の体験や思いがあったんです。
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糸井 |
‥‥ほう。
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千田 |
わたし、小学校が終わった次の週に
家庭の事情で、
気仙沼の端っこの、まったく他人のところへ
小僧に出たんですね。
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糸井 |
奉公に。
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千田 |
親父は病気で寝てましたし、
わたしを先頭に男の子の5人兄弟でしたからね。
上のふたりをどこかへ預けようと。
で、ご縁あって、わたしは気仙沼の端の唐桑へ。
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糸井 |
ええ、ええ。
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千田 |
3年間、中学へ通わせてもらう代わりに
卒業したら3年間、船に乗る。
その間の船の収入は
そこのうちにぜんぶ入れる‥‥という条件で。
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糸井 |
なるほど。
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千田 |
船というのは、賃金体系がおもしろいんです。
たとえば「水揚げ」って言いますけれど、
売上が1億円ありますってとき、
大雑把に言うと、
船を持っている人が7割、乗組員が3割。
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糸井 |
へぇー‥‥。
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千田 |
もちろん、船主の7割には
船を運航する一切合切が含まれますけどね。
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糸井 |
ええ、ええ。
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千田 |
乗組員の3割のほうはというと、
船頭さんという船のリーダーが2人分もらう。
その次に偉い人が1.5人分、
最後に残った人たちで、1人分ずつ分けます。
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糸井 |
はい、はい。
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千田 |
ここが、船独特の賃金体系なんですけれど
もう40年、船に乗ってる人も、
昨日、学校を出たばっかりの若い人も、
1人分の金額は、ほぼ同じ。
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糸井 |
そうなんですか。
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千田 |
若い人には、経験がないけど、体力がある。
年寄には、経験はあるけど、体力がない。
だから「ならしてみたら、だいたい同じ」
という考えかたなんです。
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糸井 |
ある意味、合理的な。
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千田 |
ようするに、若い人にしてみたら
中学を出てすぐに
1人分の収入を稼げる、というわけです。
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糸井 |
なるほど、船に乗れば。
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千田 |
そう、だから3年間、養育して学校を出し、
その後、
3年間船に乗せたら採算が合うんです。
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糸井 |
一般的な会社勤めの人と比べると、
収入的には、どれくらいちがうんですか?
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千田 |
いまは、どんどん差がなくなってきてますけど、
当時は「10倍」くらいですかね。
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糸井 |
10倍。
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千田 |
その代わり、危険の多い仕事です。
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糸井 |
そうか、命がけですもんね。
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千田 |
わたし、中学3年の夏休みに「体験」として
船に乗せられたんですね。
ところが、乗った瞬間に船酔いしてしまって。
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糸井 |
あら。
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千田 |
1週間やっても、ぜんぜん慣れないんです。
もともと弱かったんです、船に。
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糸井 |
それは、つらいですね。
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千田 |
船に乗って2年が過ぎたときに、もうダメだと。
残りは陸の仕事でお返しするから
勘弁してくれと拝み倒して、
船に乗ることを、やめさせてもらったんです。
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糸井 |
じゃあ、それから自動車の道へ?
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千田 |
そう、それからずっと自動車一筋で来ました。
でも、船を降りたころの思いが
こころのなかに、ぐーっと詰まってるんです。
自分が商売するにしても、
ただ単に「儲けたい」というだけじゃなくて
あのときの「申しわけないような思い」を
何かで表したい、
何かで残したいという気持ちが強いんです。
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糸井 |
なるほど‥‥。
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千田 |
だからいま、70歳を過ぎても
いろんなことにチャレンジしてるんだなと
思います。
時間は限られてますけどね。
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糸井 |
その気持ちが「自動車100台」の元にあった。
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千田 |
若いころ、やりそこねてしまったまま‥‥
というのは、くやしくてね。
だから、
うんと勢いつけて、もう少しがんばろうと。
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糸井 |
‥‥すごいです。
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千田 |
いえいえ、まだまだ。
いまは、復興会議で出てきた意見を
この絵に
落としこんでいく作業をはじめたところで。
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糸井 |
地図は、今後も改良されていくわけですね。
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千田 |
ただ、これは「自分の思い」ですから‥‥
きらいなものは、
絵のなかに入れないことにしてまして。
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糸井 |
それって、たとえば?
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千田 |
防波堤とか、入れないことにした(笑)。
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糸井 |
ああ‥‥みんなおっしゃいますね。
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千田 |
行政としては、いったん決めたことを
覆すのであれば、
それ以外のさまざまなことも
考え直さざるを得ないということなんだと
思うんですが、
でも、わたしが今つくっている絵には
防波堤は、ない。
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糸井 |
そこはもう、絶対なんですね。
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千田 |
気仙沼から大島にも橋をかけてたんですが、
やっぱり消したんです。
なぜかというと、橋1本ですら難しいのに、
2本も描いたら、
かえって集中力がなくなって、ダメになる。
こんな絵でもね、
自分なりに描いては消し、描いては消しで。
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糸井 |
できないことは、ダメですか。
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千田 |
ダメです。
どうせあれは夢だよ‥‥なんて言われては。
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糸井 |
なるほど、だからこそのリアリティですね。
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千田 |
実現可能性の高い要素を
スピード感を持って絵に落としていきたい。
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糸井 |
この絵は、
千田さんの会社の「自社広告」という
形をとって
気仙沼の各家庭に配られる新聞に
折り込まれたわけですが‥‥。
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千田 |
ええ。
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糸井 |
「一市民の善意」とか
「名物社長のわがままな道楽」なんかじゃない。
れっきとした
「仕事」になってますよね。
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千田 |
そう言っていただけると。
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糸井 |
今、いろんな支援活動がありますが、
重要なのは
「仕事」という形をとれるかどうかだと
思うんです、ぼくは。
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千田 |
わかります。
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糸井 |
日本中で、いろんな企業が
寄付や支援などの活動をしていますけど、
「ビジネスとしての筋道」が
立っていないと、
やはり、長く続けられないと思っていて。
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千田 |
まさしく、そうですね。
<つづきます> |