糸井 |
千田さんが、長く事業をされてきて
学ばれたことって
いろいろとあると思うんですが‥‥。
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千田 |
はい、あります。
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糸井 |
いくつか、教えていただけませんか?
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千田 |
これは、賛同してくれる人、そうでない人、
それぞれいると思うんですが、
まず、ぼくは
会社って「共同でやるべきものでない」と
思っているんです。
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糸井 |
‥‥ほう。
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千田 |
そのことを、肝に銘じてやってきました。
ですから、わたしの会社は
誰からも
資本金を出してもらってないんです。
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糸井 |
そうなんですか。
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千田 |
わたしと女房、ふたりの会社にしてます。
なぜそうしているかというと、
誰の意見にも左右されずに、
自分の考えで「決断」するためなんです。
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糸井 |
なるほど‥‥。
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千田 |
そのかわり、本気で悩みます。
これでいいのかな、悪いのかな‥‥って。
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糸井 |
ええ、ええ。
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千田 |
悩みますけど、いったんこうと決まれば、
誰に遠慮することなく、やれる。
もともとが何にもない「素っ裸」ですから
誰に気兼ねすることもないんです。
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糸井 |
そっか。
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千田 |
そうやって商売をしてきたんですけれど、
ひとつ、大事なことがあるとすれば、
これ、中学のときに
他人の家で生活していた経験から
学んだことなんですが‥‥。
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糸井 |
はい。
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千田 |
「人にやられてイヤだったことは
人にもやっちゃダメ」
だし、
「人にやられてうれしかったことは
積極的に
人にやっていくべきだ」と。
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糸井 |
はー‥‥。
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千田 |
その教えが、73歳になったいまでも
いちばんの財産。
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糸井 |
削ぎ落して削ぎ落して残った結論、
という感じですね。
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千田 |
わたしは「共同事業」は、しません。
ただ、何人かでこういうふうにやりたいから
協力してくれというのは、やります。
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糸井 |
むしろ、ずいぶんおやりになってますよね。
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千田 |
お金を出した瞬間に、
自分の金ではないと思ってやっています。
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糸井 |
口は出すんですか?
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千田 |
自分の思ったことは言わせてもらいます。
だって、それやらなかったら、
こころにずっと引っかかりますもんね。
ただ、このとおり、
表現がうまくないもんだから(笑)。
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糸井 |
いえいえ、おっしゃること、よくわかります。
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千田 |
ありがとうございます。
それじゃあ、忘れないうちに
お話しておきたいんですが‥‥。
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糸井 |
ええ。
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千田 |
これからの気仙沼、いったい何が問題か。
それは「人口減少をどう食い止められるか」に
尽きると思うんです。
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糸井 |
なるほど。
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千田 |
津波が来る前、
気仙沼の人口は「7万4000人」でした。
いま、市に届けを出して離れている人は、
「4000人」くらい。
亡くなられた人と行方不明の人の合計が
「1500人」ですから、
市を離れた人と合わせると
「5500人」くらいに、なりますね。
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糸井 |
はい。
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千田 |
つまり差し引きすると、気仙沼の人口は
「6万人台」に落ちているわけです。
正確な人数はわかっていませんが、
籍を動かさないで
市外の息子や親類の家に世話になってる人もいる。
こちらは、
また戻って来る可能性もありますけれど。
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糸井 |
とにかく、けっこう減ったぞと。
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千田 |
毎月毎月、多くの人が気仙沼を離れています。
これ以上、減らさないようにするのは
並大抵の努力ではきかない。
だから、町づくりも、埋め立ても、産業復興も、
突き詰めれば、
「人口流出をどう食い止めるか」に行き着く。
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糸井 |
そこを逆算して、考えていくと。
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千田 |
まず「人口を減らさない」ことを軸として
いろんな計画を立てることが、
いま、ものすごく大事なことだと思います。
ですから、たとえばですけど
何メートルもの防波堤で
町をぐるりと囲んでしまうというのは‥‥。
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糸井 |
なるほど、そういうことか。
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千田 |
町をぜんぶ、塀で囲まれたら。
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糸井 |
人はいなくなりますね。
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千田 |
仮に、もういちど津波が来ました、と。
そのとき
「気仙沼には人がいませんでした」では、
何のための防波堤か。
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糸井 |
はい。
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千田 |
いまは気仙沼がこういう状況ですから、
事業者も、みんなで力を合わせて
がんばって経営を再建していこうとしてますが、
どんなにがんばったって、
人のいないところでは商売が成り立たない。
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糸井 |
ええ、ええ。
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千田 |
経済というのは「人の数」です。
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糸井 |
それは、本当にそう思います。
自分たちに
何かお手伝いができるかと考えたときに
ぼくも、そのことを思いました。
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千田 |
そうですか。
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糸井 |
気仙沼に支社を置くとしたら、
気仙沼以外の土地をマーケットとして捉えた
仕事をやっていく必要がある。
漁業のかたちも
おそらく変わっていくだろうし、
やがて来る建築ラッシュを
あてにしてやるような仕事では
長く続けられない。
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千田 |
ええ。
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糸井 |
ならば、ぼくらは何をしたらいいんだろう。
ひとつには、
「千田さんの絵をいろんな場所に貼る」というのに
似てるかもしれないけど、
「気仙沼には、何かあるらしいぞ」と
言い続けることなのかなぁと。
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千田 |
わたしも、糸井さんと同じ考えです。
よそでしっかり稼いできて、好きなものを、
好きなように、
残りの時間を使ってこの町へ注ぎ込みたい。
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糸井 |
そうですか。
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千田 |
「よそから稼がせてもらう」っていうのも
言いかたが良くないんですけど‥‥。
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糸井 |
いや、でも、わかります。
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千田 |
わたしたちは「自由な者」として、
みんなで、町づくりに取り組んでいきたい。
そんなふうに思っています。
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糸井 |
自由な者。
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千田 |
ええ。
いま、ここでなければ解決できない問題が
たくさんあります。
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糸井 |
そうですよね。
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千田 |
それらをひとつひとつ、
具体的に、解決していきたいと思います。
<つづきます> |