糸井 |
河野さんが震災の直後におっしゃった
「八木澤商店は、
まず、タレからはじめます」という一言に、
当時、すごく感心したんです。
「現実に経営をやっている人の言葉だ」って。
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河野 |
そうですか。
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糸井 |
それまで、ずっと積み上げてきたものが
何にもなくなったとき、
「ちいさくても、まず」って、
言えないと思うんですよね、なかなか。
でも、斉吉さんと八木澤さんは言えた。
「ひと釜から、はじめます」
「ひと鍋から、はじめます」って。
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河野 |
斉吉商店さんも、そうでしたね。
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糸井 |
この場所からは動けませんって言ってたら
動けないだけじゃなく、
さんまを煮はじることだってできなかった。
八木澤さんが一関に工場をつくったとき、
「社員にイヤがられました」って
河野さん、以前おっしゃってましたよね。
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河野 |
陸前高田から離れるということは
私たちにとって、
やっぱり、とても大きい決断でしたから。
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糸井 |
いまって、あのころからしたら、
みんなの理解が
ふつうに得られるようになったんじゃない?
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河野 |
そうですね。
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糸井 |
当時は「逃げるのか」って‥‥。
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河野 |
ええ、社員にそう言われました。
そういう時期に
「なつかしい未来創造」を立ち上げたり、
しかも
そこの専務になっちゃったりしたので
「うちの社長は、何を考えてるんだよ!」
‥‥ってのもわかるんですけど、
その後、箱根山テラスができたり、
何にもなくなった町に
40人の起業家が生まれたりってことが
目の前で現実になっていくと、
だんだん、耳を傾けてくれるようになって。
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糸井 |
やったことで、納得してもらえたんだ。
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河野 |
もう、最初は
「しゃあねえな。
止めても止まんねえんだから」と‥‥。
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糸井 |
「ああいう人だからね」って(笑)。
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河野 |
勝手にやらせとけみたいなところから、
いまは「一緒にやりたい」って
言ってもらえるようになってきました。
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糸井 |
ちなみに、河野さんがよくお話に出す
中小企業同友会って、すごくいい場ですよね。
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河野 |
おもしろいし、学びが多いです。
どうやって再建させるんだという会社を
立ち直らせてきた実績が、
震災前にも、けっこうあるんです。
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糸井 |
そうですか。
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河野 |
仲間の会社が再建していくのを見てると、
どんな状態からでも
諦めなければ、何とかなるもんだなと。
助けたり助けられたりの繰り返しだし
助けの要る会社が出てきたら、
どうにかしなきゃって、思うんですよ。
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糸井 |
ご自分のところだって、震災後は‥‥。
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河野 |
ええ、債務超過でした(笑)。
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糸井 |
しかも、何にも「あて」がなかった。
もしも、自分が河野さんの立場だったら
何ができただろうかと思うから、
ぼくは、いまでも
東北と関わっているんだと思うんです。
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河野 |
同友会では
「お宅じゃなくても、いいんじゃない?」
ということが、つねに問われていて。
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糸井 |
おお。
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河野 |
「おとなりの醤油屋でもいいんじゃないの」
「なんでお宅の醤油じゃなきゃいけないの」
ということを
つねに問いかけてくる勉強会なんです。
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糸井 |
いやあ、すばらしいです。
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河野 |
刺激を受けるし、発奮します。
ときどき、ヒゲのオヤジも怒ります(笑)。
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糸井 |
田村さんね(笑)。
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河野 |
これから先、
われわれのような中小企業・零細企業は、
「倒産」より
「廃業」の問題が出てくると思うんです。
つまり、たとえ利益を出していたとしても
将来を考えると後を継ぎたくない。
どんどん、苦しくなるのがわかってるから
存続すること自体が危ない‥‥というか。
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糸井 |
ええ。
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河野 |
たとえば、町の電気屋さんが
コンセントが壊れただけでも見に来てくれて
修理してくれるような関係性が、
日本中で、失われていくと思うんです。
そんなときに「決算の内容」まで
共有できるくらいの信頼関係ができていたら
いいかたちのM&A、
ちいさなM&Aも、あり得ると思っていて。
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糸井 |
いわば「マイクロM&A」ですね。
いやあ、あると思います。
次々と「捨てて」いくんじゃなく、
「ほしい人」と「出来る人」が出会う場所。
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河野 |
みんなが安心して
しあわせにはたらけるモデルをつくれたら、
新しいビジネスになると思う。
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糸井 |
大量生産大量消費の時代って
それまで「1000個売れていた商品」を
「100万個売ろう」と、
がんばってきたわけじゃないですか。
でも、1000人だけがほしがる商品を、
1000品だけ、ていねいにつくる。
これはこれで、仕事になるんですよね。
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河野 |
そうですね。
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糸井 |
そこの「めんどくささ」を引き受けるのが、
「これからの時代の商品」だと思う。
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河野 |
先日、オレゴン州のコミュニティリーダーの
70代のおじいさんが陸前高田に来て
いろいろ話をしてくださったんですけど、
「行政サービスなんて
俺たちの村にはとっくの昔にねえぞ」って。
「受益者がみんなでコストまで考えて、
自分たちで仕事をつくっていく。
だから、70代の俺なんかも必要とされて、
世界中から引っ張りだこで、
ここで、いろんな話をしてるんだ」って。
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糸井 |
愉快ですねえ(笑)。
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河野 |
そんなふうに考えることができたら
何にも恐れる必要はないなと思えました。
だから、もっともっと学びたいと思って、
社員が許せば、ちょっと‥‥。
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糸井 |
オレゴン?
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河野 |
ええ、勉強してこようかなと思ってます。
岩手とオレゴンって、
なんとなく、似てるところがあるんです。
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糸井 |
いいじゃないですか。
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河野 |
田舎で、山ばっかりで。
でも、オレゴンは住民自治が進んでる。
陸前高田のモデルを、
そのあたりから学べたらと思ってます。
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糸井 |
ぜひ、行ってきてほしいですね。
いやあ、今日もおもしろかった。
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河野 |
こちらこそ、おもしろかったです。
ありがとうございました。
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糸井 |
また、会いましょう。
<終わります> |
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