糸井 |
恋愛を考えればわかりやすいんですが、
人間の持っている思いはほとんど
片思いなんじゃないだろうか、ということを
最近ぼくは考えるようになりまして。
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吉本 |
ああ、そのとおりだと思います。
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糸井 |
そのことを、ちょっと
恋愛を軸に話したいんですが。
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吉本 |
ええ、だいたい、男女の気持ちは
ちょうど均衡してるのがいいんでしょうけど、
それには条件がいるような気がします。
女の人が、親からいじめられてどうした、
というようなことがなく、
生活で不自由したこともなく、
男もそうだ、というんだったら
かなりありうると思いますが、
そうじゃないと、どうしても、
どこかで片思い的になりますよね。
特に、文学者は、
どう生まれたか、どういう育ち方をして
どう可愛がられたか、疎まれたかが
そうとうはっきりします。
小説でもなんでも、
ああいったものを書いたりするためには、
とくべつ面倒なことを
長い間やんないといけないに決まってる。
だから、こういうことがあらわになって
よくわかるんですけどね。
森鴎外なんか、
軍医総監みたいになった人ですから
世間から、
あれは軍人さんとしてもお医者としても偉い人だ、
と言われるようになります。
ご本人の好き嫌いじゃなくて
親のほうが、
あれと自分の娘さんを結婚させれば、
幸せになると思いちがえる──たいていは
思いちがいだけど(笑)、
そういうわけだったと思います。
文学者なんて、たいがい
どこかに癖や変な性格があります。
それが出てくると、
無事で豊かに育った女の人は、
ダメなんですよね。合わなくなる。
鴎外は、お医者さんでしかも軍人で、って
おさえどころを両方うまくくぐりぬけた
人だったんですけどね。
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糸井 |
親や世間が見ている鴎外と、
別の鴎外と暮らすことになるわけですよね。
ちがってた‥‥と。
こういうことは文学者だから、
極端だったりもするんでしょうけど、
それは一般的にも言えることでしょうね。
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吉本 |
そうなんです。
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糸井 |
育ちがまるまるいい、なんて人は
いないですから。
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吉本 |
ええ。全部、危なっかしいってことになりますね。
ある時期になると
そのまちがいが、露骨に表面にあらわれてきます。
そのままそれを、
通り抜けることもあるんでしょうけど、
入り組んだ問題になってくることがあります。
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糸井 |
他人の家の中がどうなってるかは、
外からは見えませんよね。
なんでもないんだよ、とお互いに
言い合っていれば
なんでもないんですけど‥‥ |
吉本 |
誰が見ても偉い人にちがいない、文句なしだ、
ということをあんまり誤解すると、
──つまり、幸福になるにちがいないと
誤解すると、
あとあと悩むことになってしまいます。
特に、親がそういうところへ行かせることは、
認識不足だと思います。
それは、親の片思いでしょうね。
そんなとこに行って、
娘さんが幸福になるはずがない。
いわゆる、無事平穏にいくはずがないですよ。
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糸井 |
そして、自分が持っている
世間への片思いも関係してきますね。
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吉本 |
そうなんですよね。
いろんなずれが生まれてくるでしょう。
ぬくぬくすくすくと
育った人同士じゃないわけだから、
家の中にも隙間風が吹きます。
たいてい男のほうがわがままですから、
浮気をしたり、気持ちをほかに移したりしながら
なんとか一生を過ごすことになります。
いまはそうじゃなくなったとはいえ、
女の人は、やっぱり男ほど
自由じゃないですからね。
男、親、世の中、
いろんな片思いの被害者になると思います。
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糸井 |
女の人がはたらきに出るようになったのも、
家の中の寒さを外の寒さと交換しに
行ってるのかもしれないですね。
外に行ったら、称賛もされますし、
つらいこともあります。
じっとしているよりは
循環させることにしたのかもしれない。
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吉本 |
ゲーテのね、
『若きウェルテルの悩み』ってあるでしょ。
あれは、すごい小説で
すごいと思わなければ、思わないんだけど、
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糸井 |
思わなければ(笑)。
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吉本 |
小説の主人公は、ウェルテルという男の子です。
ある女の子のことを、子どものときから
好きになるんですが、
その女の子が結婚することになっても
ウェルテルは、あきらめないわけですよ。
公然と好きだと言うんです。
女のほうは、さかんにウェルテルをなだめます。
わたしは結婚することになってるんだから
好きだと言ってもどうなるもんでもないし、
あきらめなさいと言うんだけど、
ウェルテルはあきらめない。
ただストーカーみたいに思えるけど、
あきらめないのには理由があるんです。
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糸井 |
はい。
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吉本 |
つまり、
自分があなたを好きだということは、
あなたがどう思うとか、
どういうふうに結婚するとかしないとか、
そういうこととは関係ない、
って、がんばるわけですよ。
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糸井 |
すごい片思いですね。
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吉本 |
それでずっと通すわけです。
ぼくらがふつうに考えるように
「結婚しちゃったんだから、
好きだけどあきらめるわ」
というふうに、我慢しちゃわないし、
好きじゃなくなるってこともしないんです。
ねばりにねばって、
いつまでたってもあきらめないということ、
それが「ウェルテルの悩み」なんですよ。
ゲーテという人は、
男女の好き嫌いについて
徹底的に追求したんだと思います。
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糸井 |
そこまで考えたんですね。
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吉本 |
あの人は、80歳を過ぎて
晩年になってから、
若い10代の女の子に恋したと言われています。
ゲーテの「ウェルテル」は自伝的要素があって、
実際に、本人もほんとうにあきらめないんですよ。
その晩年の恋も、
まともに恋したと言われています。
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糸井 |
簡単にあきらめたり
ばかにしたりしてないですね。
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吉本 |
そうなんです。
もしぼくらがそういう場面に到達すると
どうしても、ごっちゃになっちゃうんですよ。
ちょろちょろっとほのめかしてみたり、
そういうことやめられないなら、
ひどくするとストーカーになっていくわけです。
ストーカーっていうのは、
かわいそうだなぁと思うけど、
もう少し、がんばれば‥‥
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糸井 |
いまゲーテがいれば、
そう言うかもしれませんね。
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吉本 |
ええ。ゲーテに言わせれば、
もう少しがんばれ、というところなんでしょうね。
もう少しがんばって
相手にしてくれないことはどうでもいい、
自分は好きだということは、あの人とは関係ない、
そこまで好きだ、というのでなきゃいけない、
ゲーテはそう言いたいんだと思います。
80歳になったときのゲーテの恋は、
実際には何もできないわけです。
ただ、会って、顔を見て話す、
それくらいのことしかできない。
性的機能としては
もう、女の人を好きだということが
なくなっちゃったというのに、
やっぱり、好きは好きなんだ、やめないんです。
伝説として残るくらい明瞭に、
誰もがそうだと知ってるくらいに
そうしちゃってました。
それは、とことんまで考えて
そうしていたという以外の解釈はできません。
これは、徹底していて、しかも
機能的であるというより
科学的だというふうに言えると思います。 |
糸井
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うーん。片思いは、片思いとして
完成されるってことですね。
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吉本
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すごいことですね。
人を好きになったり
嫌いになったりするのは、勝手だよ、
と言えば、勝手であると言えます。
だけど、それが少しでも本気で、
相手が困らないように貫くことは
ぼくらには、とうていできない。
ゲーテはそういうところで、
自分を決定しちゃったんでしょう。
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糸井
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ふつうは、ファンタジーでしか描けないですね。
誰かが誰かを思ってるということは、
ある種の呪いに近いですから、
それはどうしても影響を与えちゃいます。
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吉本
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そうですね。
ちょっとあいつおかしいぞ、というふうな
振る舞いとしてしかできないし、
黙ってたってそうなっちゃうでしょうね。
その人を愛するあまりに寛容であったら、
それはいいんですけどね。
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(次回につづきます) |