吉本隆明 「ほんとうの考え」
006 片恋 (糸井重里のまえがき)

吉本さんが恋愛にまつわる話をするときは、
ほんとうにおもしろいんです。
高いこと低いこと、うねって飛んで‥‥。
そこに行くのかぁ、という場合もいっぱいあります。
もともと、文学のほんとうに多くの領域は
恋愛で占められていますからね、
文藝批評家の吉本さんが、恋愛のことを
情熱的に語るのも、当然かもしれません。

まず、ぼくは前々から聞きたかった、
「片思い」というテーマを、ひょいっと置きました。

さぁ、手に懐中電灯を持ってね、
吉本さんが先に歩いていく迷路を、
追いかけて行きましょう。

『若きウェルテルの悩み』って、
読んだことなかったので、びっくりしちゃったぜ。
糸井重里
糸井 恋愛を考えればわかりやすいんですが、
人間の持っている思いはほとんど
片思いなんじゃないだろうか、ということを
最近ぼくは考えるようになりまして。
吉本 ああ、そのとおりだと思います。
糸井 そのことを、ちょっと
恋愛を軸に話したいんですが。
吉本 ええ、だいたい、男女の気持ちは
ちょうど均衡してるのがいいんでしょうけど、
それには条件がいるような気がします。

女の人が、親からいじめられてどうした、
というようなことがなく、
生活で不自由したこともなく、
男もそうだ、というんだったら
かなりありうると思いますが、
そうじゃないと、どうしても、
どこかで片思い的になりますよね。

特に、文学者は、
どう生まれたか、どういう育ち方をして
どう可愛がられたか、疎まれたかが
そうとうはっきりします。
小説でもなんでも、
ああいったものを書いたりするためには、
とくべつ面倒なことを
長い間やんないといけないに決まってる。
だから、こういうことがあらわになって
よくわかるんですけどね。

森鴎外なんか、
軍医総監みたいになった人ですから
世間から、
あれは軍人さんとしてもお医者としても偉い人だ、
と言われるようになります。
ご本人の好き嫌いじゃなくて
親のほうが、
あれと自分の娘さんを結婚させれば、
幸せになると思いちがえる──たいていは
思いちがいだけど(笑)、
そういうわけだったと思います。

文学者なんて、たいがい
どこかに癖や変な性格があります。
それが出てくると、
無事で豊かに育った女の人は、
ダメなんですよね。合わなくなる。
鴎外は、お医者さんでしかも軍人で、って
おさえどころを両方うまくくぐりぬけた
人だったんですけどね。
糸井 親や世間が見ている鴎外と、
別の鴎外と暮らすことになるわけですよね。
ちがってた‥‥と。
こういうことは文学者だから、
極端だったりもするんでしょうけど、
それは一般的にも言えることでしょうね。
吉本 そうなんです。
糸井 育ちがまるまるいい、なんて人は
いないですから。
吉本 ええ。全部、危なっかしいってことになりますね。
ある時期になると
そのまちがいが、露骨に表面にあらわれてきます。
そのままそれを、
通り抜けることもあるんでしょうけど、
入り組んだ問題になってくることがあります。
糸井 他人の家の中がどうなってるかは、
外からは見えませんよね。
なんでもないんだよ、とお互いに
言い合っていれば
なんでもないんですけど‥‥
吉本 誰が見ても偉い人にちがいない、文句なしだ、
ということをあんまり誤解すると、
──つまり、幸福になるにちがいないと
誤解すると、
あとあと悩むことになってしまいます。

特に、親がそういうところへ行かせることは、
認識不足だと思います。
それは、親の片思いでしょうね。
そんなとこに行って、
娘さんが幸福になるはずがない。
いわゆる、無事平穏にいくはずがないですよ。
糸井 そして、自分が持っている
世間への片思いも関係してきますね。
吉本 そうなんですよね。
いろんなずれが生まれてくるでしょう。
ぬくぬくすくすくと
育った人同士じゃないわけだから、
家の中にも隙間風が吹きます。
たいてい男のほうがわがままですから、
浮気をしたり、気持ちをほかに移したりしながら
なんとか一生を過ごすことになります。
いまはそうじゃなくなったとはいえ、
女の人は、やっぱり男ほど
自由じゃないですからね。
男、親、世の中、
いろんな片思いの被害者になると思います。
糸井 女の人がはたらきに出るようになったのも、
家の中の寒さを外の寒さと交換しに
行ってるのかもしれないですね。
外に行ったら、称賛もされますし、
つらいこともあります。
じっとしているよりは
循環させることにしたのかもしれない。
吉本 ゲーテのね、
『若きウェルテルの悩み』ってあるでしょ。
あれは、すごい小説で
すごいと思わなければ、思わないんだけど、
糸井 思わなければ(笑)。
吉本 小説の主人公は、ウェルテルという男の子です。
ある女の子のことを、子どものときから
好きになるんですが、
その女の子が結婚することになっても
ウェルテルは、あきらめないわけですよ。
公然と好きだと言うんです。
女のほうは、さかんにウェルテルをなだめます。
わたしは結婚することになってるんだから
好きだと言ってもどうなるもんでもないし、
あきらめなさいと言うんだけど、
ウェルテルはあきらめない。
ただストーカーみたいに思えるけど、
あきらめないのには理由があるんです。
糸井 はい。
吉本 つまり、
自分があなたを好きだということは、
あなたがどう思うとか、
どういうふうに結婚するとかしないとか、
そういうこととは関係ない、
って、がんばるわけですよ。
糸井 すごい片思いですね。
吉本 それでずっと通すわけです。
ぼくらがふつうに考えるように
「結婚しちゃったんだから、
 好きだけどあきらめるわ」
というふうに、我慢しちゃわないし、
好きじゃなくなるってこともしないんです。
ねばりにねばって、
いつまでたってもあきらめないということ、
それが「ウェルテルの悩み」なんですよ。
ゲーテという人は、
男女の好き嫌いについて
徹底的に追求したんだと思います。
糸井 そこまで考えたんですね。
吉本 あの人は、80歳を過ぎて
晩年になってから、
若い10代の女の子に恋したと言われています。
ゲーテの「ウェルテル」は自伝的要素があって、
実際に、本人もほんとうにあきらめないんですよ。
その晩年の恋も、
まともに恋したと言われています。
糸井 簡単にあきらめたり
ばかにしたりしてないですね。
吉本 そうなんです。
もしぼくらがそういう場面に到達すると
どうしても、ごっちゃになっちゃうんですよ。
ちょろちょろっとほのめかしてみたり、
そういうことやめられないなら、
ひどくするとストーカーになっていくわけです。
ストーカーっていうのは、
かわいそうだなぁと思うけど、
もう少し、がんばれば‥‥
糸井 いまゲーテがいれば、
そう言うかもしれませんね。
吉本 ええ。ゲーテに言わせれば、
もう少しがんばれ、というところなんでしょうね。
もう少しがんばって
相手にしてくれないことはどうでもいい、
自分は好きだということは、あの人とは関係ない、
そこまで好きだ、というのでなきゃいけない、
ゲーテはそう言いたいんだと思います。

80歳になったときのゲーテの恋は、
実際には何もできないわけです。
ただ、会って、顔を見て話す、
それくらいのことしかできない。
性的機能としては
もう、女の人を好きだということが
なくなっちゃったというのに、
やっぱり、好きは好きなんだ、やめないんです。
伝説として残るくらい明瞭に、
誰もがそうだと知ってるくらいに
そうしちゃってました。
それは、とことんまで考えて
そうしていたという以外の解釈はできません。
これは、徹底していて、しかも
機能的であるというより
科学的だというふうに言えると思います。
糸井
うーん。片思いは、片思いとして
完成されるってことですね。
吉本
すごいことですね。
人を好きになったり
嫌いになったりするのは、勝手だよ、
と言えば、勝手であると言えます。
だけど、それが少しでも本気で、
相手が困らないように貫くことは
ぼくらには、とうていできない。
ゲーテはそういうところで、
自分を決定しちゃったんでしょう。
糸井
ふつうは、ファンタジーでしか描けないですね。
誰かが誰かを思ってるということは、
ある種の呪いに近いですから、
それはどうしても影響を与えちゃいます。
吉本
そうですね。
ちょっとあいつおかしいぞ、というふうな
振る舞いとしてしかできないし、
黙ってたってそうなっちゃうでしょうね。
その人を愛するあまりに寛容であったら、
それはいいんですけどね。
(次回につづきます)



2009-05-21-THU

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