糸井 |
こうして吉本さんとお話ししていると、
新しいことが生まれてくる、
そのことが、ぼくらにとって驚きです。
それは、吉本さんが絶えず
考えていらっしゃるからでしょうか。 |
吉本 |
うーん。
なんだかんだいって、
基本的というのか根本的というのか、
そういうことについて
いつでも考えているから、
ということはあるでしょうね。
直接主題ではないことも、
そこからひっぱったりして話しています。
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糸井 |
つながっていくんですね。
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吉本 |
そうです、つながる。
いまはとくに、
そういうやり方しかできないです。
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糸井 |
だけど、きっとお若いときから、
思考の形は同じところがありますよね。
「ひらめく」というよりは、
「つながる」ということ。
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吉本 |
ええ。
自分では「持続性」と言ってます。
時代のいろいろなことは、
状況によって変えなきゃいけない、
あるいは、変わんないとウソだよ、という
部分があります。
それとは別に、もうひとつ、
永遠の課題というものがあります。
自由で平等で
苦しがったり失業したりする人が
いなくなることはいいことで、
これは永遠の課題です。
だけど、そう簡単に、
ひとつの国ががんばって
政府をぶっ倒したとしても、
それがはじまるわけではない。
変わるものと永遠のもの、
このふたつを綿密にとらえないと、
実相というものは
なかなか浮かんでこないです。
いまの問題と持続的な問題がまとまる
頂点というか、集合点があるんです。
そこだけ捕まえていれば、
どういうことに適応させても、
たいていそんなに大きな間違いはしないよ、と
ぼくは思います。
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糸井 |
誰の中にもきっと、薄いけど、
その考え方はあるんだと思います。
その考え方の助けになることのひとつは、
もしかしたら
「自分という視点」ではないでしょうか。
一般論で語っていると、
いまも永遠も、どこかへ行っちゃいますし。
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吉本 |
そのとおりですね。
いろんなことにくわしく、
要点をまとめることができたとしても、
自分が入っていない場合があります。
そういう人の意見を聞いていると
実感がないから、どうしても不満が残ります。
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糸井 |
どんなに勉強してもダメなんですよね。
「自分が入らないこと」は、もしかしたら
現代の病かもしれません。
しかし、最近、お笑いの世界では、
自分が入っている実話や楽屋話を
芸にする人たちが増えてきました。
太宰治や織田作之助が
私小説を書いていた時代のあの確かさを、
芸人さんが、お笑いの中に自分で入れて
「私お笑い」をはじめたんでしょうね。
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吉本 |
ああ、なるほど。
それは、そういうことが欲しいからでしょう。
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糸井 |
自分を入れなくては
お笑いが成立しないということを
敏感にわかったんだと思います。
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吉本 |
自分が外側にいたらダメなんです。
お笑いだけじゃなくて、文学もそうですし、
きっと政治もそうだと思います。
自分が入ってこないし、
そして、入ってきたと思ったら、それは
よくよく聞いていると他人のものだったりする。
(前の)総理大臣だって
そういうところがあったんじゃないかな。
あれだけ度胸がいいやつは
自民党にはほかにいねぇから、というのは
わかるんだけど、
要するに、自分のことを入れてないから
ああいうことが言えるんだな、とぼくは思います。
アメリカは入れてるかもしれないけど、
自分を入れてないから、
すべらかにああいうことが言えるんだぞ、と
思います。
だけど、ひと昔前の、
根拠地型の政治家は、
自分が入ってることしか言わない。
それはやっぱり、自分をいれない人に
いまは押しまくられちゃうんですよ。
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糸井 |
自分の「痛い」だの「痒い」だのが
入った考えが、ほんとうは必要なんだけど、
いまは「痛い」「痒い」を
言っちゃいけない時代なんでしょう。
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吉本 |
そういう時代なんでしょうね。
(次の日曜に、つづきます) |