吉本隆明 「ほんとうの考え」
012時代 吉本さんの話してくれることは、
生々しい現実の部分と、
ずっと大昔から人間が考えてきた哲学とが、
地続きになっています。

難解だったり高度だったりという思考も、
下町の方言で語られる怒りなども、
やっぱりつながっているものです。

吉本さんという人間のなかに、
ありとあらゆるものごとが、
超大な交差点があるように思えます。
ほんとは、人間って、
誰もが、そういうふうに出来ているはずだ、
とも、ぼくは思うのです。

語られている内容そのものじゃないけれど、
そんなふうなことも、思ったりしながら、
ぼくはよく吉本さんの話を聴いています。

じーんとしながら聴いていた日だったな、と、
憶えています。
糸井重里
糸井 吉本さんは戦後、
現実というもののリアリティーを
思想に取り入れていかれたと思います。
世間や生活を取り込む思想でなければいけないと、
吉本さんはすごく若いときから、
おっしゃいました。
吉本 それは、戦争中に、
貧乏人の学生だったからです。
貧乏人の学生は、軍隊とおなじで、
要するに「現場」なんですよ。
ぼくらは、戦争をやれ、
東洋におけるヨーロッパの植民地は
みんなすっ飛ばしちゃえ、
と、ちっとも疑いなく思っていたわけです。
躊躇なんかないですよ。
だから、ぼくは
絞首刑になった戦争犯罪指導者の悪口を
書いたことはありません。
東条英機をはじめ、戦犯の人のことを
悪く言った覚えはないです。
糸井 そうですね。
吉本 冗談じゃないよと思うわけです。
できるだけ、自分の意識する限りは
そういうふうにしないと思ってきました。
無意識にやってしまってたずるさが
どこかに出ているかもしれないけど、
そういうことがあれば、
俺はその程度の人間だと思ってもらえば
それでいい。
糸井 吉本さんは
現実を取り込んでいない、
概念だけをしゃべるタイプの人には
怒っていらっしゃる場面があるんですが、
現実の世界で、悪いことして、
七転八倒してるような人に対しては、
「それはよくあるよね」とおっしゃいます。
吉本 はい、そうだと思います。
そういうのは、
俺だっておなじようなもんで、
そこで怒ることはないよと思ってますから。
戦犯の人に対してもそうです。
だけど、C級戦犯ぐらいになると、
だいたいの話がインチキです。
糸井 そうなんですか。
吉本 ぼくが学校を卒業して会社に勤めだすと、
戦犯になりそうだった工員さんが
何人か働いていました。
なかには、バタン半島からマニラまで、
アメリカ兵の捕虜を歩かせた人がいました。
糸井 はい。
吉本 その人は、そのとき、
護衛の兵隊としてそこにいたそうです。
アメリカ人にとっては、
フィリピンのバタン半島からマニラまで
歩かせたということは、
非人道的なひどい扱いというふうになるわけです。
「だけど、我々だったら、
 上官から命令されて、40里歩けとか、
 そんなことは、しょっちゅう言われてた」
だから、ちっとも悪いことをしてるという
自覚がなかったそうです。
糸井 それは文化や考え方の問題で‥‥
護衛の兵隊の自分だって、
おなじ距離を歩いたわけですよね。
吉本 そうです。
自分たちの理屈で言えばあたりまえのことで、
C級戦犯だと言われ、銃殺刑にされたそうです。
それが、その工員さんのところへは、
お呼びがこなかったんです。
糸井 へぇえ。
吉本 「俺のとこへ来なかった。
 ほかのやつを誰か、って、勝手に
 誰でもいいから人数だけが集められたんだ。
 ちがうやつがきっと、代わりになったんだろう」
と、その人は言ってましたよ。
インチキですよ、って、
その工員さんの話はそうでした。
糸井 そういう人たちが
いっぱいいたんですね。
吉本 ぼくの考え方の究極点で言えば、
ファシズムというのは
「資本主義を財源としている独裁国家」
ということなんですよ。
資本主義を味方にしていることは、
ドイツやイタリアのナチズムとファシズムの
非常に大きな、西欧的な特徴です。
日本なんか、どう考えたって、
それだけの器量がなかったと思います。
その見識をちゃんと持っていたのは、
花田清輝(はなだ・きよてる)さんの
「東方会」だけでした。
これは、日本資本主義と独裁制を
一緒にしたものを
党派のイデオロギーとした
唯一の日本の政党なんです。
糸井 はい。
吉本 ファシズムと呼ばれたものから
被った問題は何だったか、
自分がそこにイカれた問題は何だったのか、
ということをぼくは考えたわけです。
考えざるを得なくなって、考えたわけです。
本を読んだりしながら考えていって、
どうも実感に合うというところまで
考えていかないと収まらないから、
そこまで考えていきました。
そうしたら、結局ぼくは
マルクスの『農業論』という一冊に
当面することになりました。
『農業論』は、農業に関する
マルクスの論文を集めた本です。
その中でマルクスは、
後進的な国が革命とか変革を志すと
必ずナショナリズムになる、
と言っているんです。
ファシズムとは言っていない。
ファシズムというのは、
ナチスやイタリアが
マルクスのあとに編み出したものです。
資本主義を財源として、
それで独裁政治をやるのがファシズムですから、
ぼくらが青年時代の、あの日本の戦争は、
まだファシズムまで行ってないんですよ。
糸井 日本はもっと後進的だったんですね。
吉本 そうなんです。
だから日本は、
ナショナリズムがウルトラになった状態であって、
ファシズムではなかったんです。
自分の実感に合う定義は
これだけだと思いましたし、
それが厳密な定義だと、ぼくは思っています。
そうやって丸山眞男さんに反論して、
反論したついでに
友だちだった橋川文三さんとか藤田省三さんとか、
そういう人ともお別れになっちゃったんです。
糸井 そういうことだったんですね。
吉本 マルクスの『農業論』は、
さすがにすごいと思いました。
日本では、革新を志した政党や個人、
あるいはそれにイカれた政党や個人も、
ナショナリズムがウルトラになったということの
問題なんだよ、というふうに納得できて、
急に楽になったんですよ。
それまでは、
「お前は右翼だったのに、戦後は
 ロシア共産主義が言うようなことを言って、
 共産党に入っているかといえば
 そうじゃないじゃないか。
 左翼づらしてるのに
 共産党の悪口ばっかり言っているじゃないか」
と言われて、表面上はそのとおりなんだけど、
そうじゃない、ということを
うまく言えませんでした。
糸井 そうか‥‥
吉本 小学生のとき、
二・二六事件というのがありましたけど、
そのときは反乱軍を応援していました。
だけどこれは征伐されてしまいました。
銃殺刑にされて、みんな死んじゃった。
理論的指導者だった北一輝という人も
一緒に巻き添えを食って死んじゃった。
いちばん忠義な人たちだったのに、
とうとう死なせちゃったんだな、ということが
ぼくにとっては引っかかることでした。
糸井 いま、ぼくらが時代劇で見ている
尊王攘夷みたいな感じですよね。
吉本 そうです、あのことは尊王攘夷なんです。
後進国が少し社会変革しようと思うと、
たいていそれはナショナリズムになるんですよ。
糸井 吉本さんはそこをつかんで
胸のつかえが降りたかもしれないですけど、
日本中でそういう理解をして
マルクスを読んだ人は、
少なかったでしょうね。
吉本 ええ。ひとつもなかったです。
まぁ、ほんとうに、
歳が3年か4年ちがうだけで、
考え方はちがいます。
戦中派の一部の人は、
戦前のレーニン・スターリン主義の
名残がありましたから、
ナショナリズムというのはなくて、
自分のやっていることを相対化するのは
無理だったんです。
罪の意識のあまり、ぼくらの仲間でいうと、
村上一郎さんという人は軍隊に入りました。
糸井 数年ちがうだけで、
もう少し自由に考えられた人たちも
いたけれども‥‥
吉本 いまで言えば、プーチンのロシアは
ちょうどファシズムに
かかろうとしているところです。
独裁制で、西欧ロシアを除いては
まだ近代化の過程にありますから。
だからいま、プーチンは一生懸命
資本主義と結びついたファシズムに
しようとしています。
それが、いまのロシアの現状でしょう。
糸井 じゃあ、中国や北朝鮮は
それよりはもう少し前の
スタイルなんでしょうか。
吉本 中国や北朝鮮は、そこまで行かないで、
近代化真っ最中の時期でしょう。
昔のスターリンの末期の
ロシア・マルクス主義がやったことと
同じことをやっているわけです。
それと同じように、
キューバやメキシコの革命も、
近代革命なんですよ。
時代がおなじだからと言って、
どこもおなじに見てはいけないんです。

(つづきます)



2010-02-07-SUN


2010年2月1日発売の
マガジンハウスの雑誌BRUTUS
特集号のタイトルは
「ほぼ日と作った、吉本隆明特集」です。
「人はなぜ、悩むのか? 愛するのか? 働くのか?」
という、誰もがぶつかるであろう問いを、
吉本隆明さんの言葉で
解き明かしていこうとする号です。
糸井重里による「ヒモトキ」解説もたっぷり。
ぜひみなさん、本屋さんでお手にとってください。

吉本隆明「ほんとうの考え」トップへ


(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN