糸井 |
吉本さんは戦後、
現実というもののリアリティーを
思想に取り入れていかれたと思います。
世間や生活を取り込む思想でなければいけないと、
吉本さんはすごく若いときから、
おっしゃいました。
|
吉本 |
それは、戦争中に、
貧乏人の学生だったからです。
貧乏人の学生は、軍隊とおなじで、
要するに「現場」なんですよ。
ぼくらは、戦争をやれ、
東洋におけるヨーロッパの植民地は
みんなすっ飛ばしちゃえ、
と、ちっとも疑いなく思っていたわけです。
躊躇なんかないですよ。
だから、ぼくは
絞首刑になった戦争犯罪指導者の悪口を
書いたことはありません。
東条英機をはじめ、戦犯の人のことを
悪く言った覚えはないです。
|
糸井 |
そうですね。
|
吉本 |
冗談じゃないよと思うわけです。
できるだけ、自分の意識する限りは
そういうふうにしないと思ってきました。
無意識にやってしまってたずるさが
どこかに出ているかもしれないけど、
そういうことがあれば、
俺はその程度の人間だと思ってもらえば
それでいい。
|
糸井 |
吉本さんは
現実を取り込んでいない、
概念だけをしゃべるタイプの人には
怒っていらっしゃる場面があるんですが、
現実の世界で、悪いことして、
七転八倒してるような人に対しては、
「それはよくあるよね」とおっしゃいます。
|
吉本 |
はい、そうだと思います。
そういうのは、
俺だっておなじようなもんで、
そこで怒ることはないよと思ってますから。
戦犯の人に対してもそうです。
だけど、C級戦犯ぐらいになると、
だいたいの話がインチキです。
|
糸井 |
そうなんですか。
|
吉本 |
ぼくが学校を卒業して会社に勤めだすと、
戦犯になりそうだった工員さんが
何人か働いていました。
なかには、バタン半島からマニラまで、
アメリカ兵の捕虜を歩かせた人がいました。
|
糸井 |
はい。
|
吉本 |
その人は、そのとき、
護衛の兵隊としてそこにいたそうです。
アメリカ人にとっては、
フィリピンのバタン半島からマニラまで
歩かせたということは、
非人道的なひどい扱いというふうになるわけです。
「だけど、我々だったら、
上官から命令されて、40里歩けとか、
そんなことは、しょっちゅう言われてた」
だから、ちっとも悪いことをしてるという
自覚がなかったそうです。
|
糸井 |
それは文化や考え方の問題で‥‥
護衛の兵隊の自分だって、
おなじ距離を歩いたわけですよね。
|
吉本 |
そうです。
自分たちの理屈で言えばあたりまえのことで、
C級戦犯だと言われ、銃殺刑にされたそうです。
それが、その工員さんのところへは、
お呼びがこなかったんです。
|
糸井 |
へぇえ。
|
吉本 |
「俺のとこへ来なかった。
ほかのやつを誰か、って、勝手に
誰でもいいから人数だけが集められたんだ。
ちがうやつがきっと、代わりになったんだろう」
と、その人は言ってましたよ。
インチキですよ、って、
その工員さんの話はそうでした。
|
糸井 |
そういう人たちが
いっぱいいたんですね。
|
吉本 |
ぼくの考え方の究極点で言えば、
ファシズムというのは
「資本主義を財源としている独裁国家」
ということなんですよ。
資本主義を味方にしていることは、
ドイツやイタリアのナチズムとファシズムの
非常に大きな、西欧的な特徴です。
日本なんか、どう考えたって、
それだけの器量がなかったと思います。
その見識をちゃんと持っていたのは、
花田清輝(はなだ・きよてる)さんの
「東方会」だけでした。
これは、日本資本主義と独裁制を
一緒にしたものを
党派のイデオロギーとした
唯一の日本の政党なんです。
|
糸井 |
はい。
|
吉本 |
ファシズムと呼ばれたものから
被った問題は何だったか、
自分がそこにイカれた問題は何だったのか、
ということをぼくは考えたわけです。
考えざるを得なくなって、考えたわけです。
本を読んだりしながら考えていって、
どうも実感に合うというところまで
考えていかないと収まらないから、
そこまで考えていきました。
そうしたら、結局ぼくは
マルクスの『農業論』という一冊に
当面することになりました。
『農業論』は、農業に関する
マルクスの論文を集めた本です。
その中でマルクスは、
後進的な国が革命とか変革を志すと
必ずナショナリズムになる、
と言っているんです。
ファシズムとは言っていない。
ファシズムというのは、
ナチスやイタリアが
マルクスのあとに編み出したものです。
資本主義を財源として、
それで独裁政治をやるのがファシズムですから、
ぼくらが青年時代の、あの日本の戦争は、
まだファシズムまで行ってないんですよ。
|
糸井 |
日本はもっと後進的だったんですね。
|
吉本 |
そうなんです。
だから日本は、
ナショナリズムがウルトラになった状態であって、
ファシズムではなかったんです。
自分の実感に合う定義は
これだけだと思いましたし、
それが厳密な定義だと、ぼくは思っています。
そうやって丸山眞男さんに反論して、
反論したついでに
友だちだった橋川文三さんとか藤田省三さんとか、
そういう人ともお別れになっちゃったんです。
|
糸井 |
そういうことだったんですね。
|
吉本 |
マルクスの『農業論』は、
さすがにすごいと思いました。
日本では、革新を志した政党や個人、
あるいはそれにイカれた政党や個人も、
ナショナリズムがウルトラになったということの
問題なんだよ、というふうに納得できて、
急に楽になったんですよ。
それまでは、
「お前は右翼だったのに、戦後は
ロシア共産主義が言うようなことを言って、
共産党に入っているかといえば
そうじゃないじゃないか。
左翼づらしてるのに
共産党の悪口ばっかり言っているじゃないか」
と言われて、表面上はそのとおりなんだけど、
そうじゃない、ということを
うまく言えませんでした。
|
糸井 |
そうか‥‥
|
吉本 |
小学生のとき、
二・二六事件というのがありましたけど、
そのときは反乱軍を応援していました。
だけどこれは征伐されてしまいました。
銃殺刑にされて、みんな死んじゃった。
理論的指導者だった北一輝という人も
一緒に巻き添えを食って死んじゃった。
いちばん忠義な人たちだったのに、
とうとう死なせちゃったんだな、ということが
ぼくにとっては引っかかることでした。
|
糸井 |
いま、ぼくらが時代劇で見ている
尊王攘夷みたいな感じですよね。
|
吉本 |
そうです、あのことは尊王攘夷なんです。
後進国が少し社会変革しようと思うと、
たいていそれはナショナリズムになるんですよ。
|
糸井 |
吉本さんはそこをつかんで
胸のつかえが降りたかもしれないですけど、
日本中でそういう理解をして
マルクスを読んだ人は、
少なかったでしょうね。
|
吉本 |
ええ。ひとつもなかったです。
まぁ、ほんとうに、
歳が3年か4年ちがうだけで、
考え方はちがいます。
戦中派の一部の人は、
戦前のレーニン・スターリン主義の
名残がありましたから、
ナショナリズムというのはなくて、
自分のやっていることを相対化するのは
無理だったんです。
罪の意識のあまり、ぼくらの仲間でいうと、
村上一郎さんという人は軍隊に入りました。
|
糸井 |
数年ちがうだけで、
もう少し自由に考えられた人たちも
いたけれども‥‥
|
吉本 |
いまで言えば、プーチンのロシアは
ちょうどファシズムに
かかろうとしているところです。
独裁制で、西欧ロシアを除いては
まだ近代化の過程にありますから。
だからいま、プーチンは一生懸命
資本主義と結びついたファシズムに
しようとしています。
それが、いまのロシアの現状でしょう。
|
糸井 |
じゃあ、中国や北朝鮮は
それよりはもう少し前の
スタイルなんでしょうか。
|
吉本 |
中国や北朝鮮は、そこまで行かないで、
近代化真っ最中の時期でしょう。
昔のスターリンの末期の
ロシア・マルクス主義がやったことと
同じことをやっているわけです。
それと同じように、
キューバやメキシコの革命も、
近代革命なんですよ。
時代がおなじだからと言って、
どこもおなじに見てはいけないんです。
(つづきます) |