吉本隆明 「ほんとうの考え」
013お墓 ある年齢をこえた人との間では、
なかなか「死」だとか、「葬儀」だとか、
「墓」だとかの話題はタブーになります。
いわゆる「縁起でもない」というわけですが、
吉本さんとは、ずいぶんたくさん、
そういう会話をしてきた気がします。
遠慮したり、失礼と思ったりすることなく、
そういう内容の話ができてきたというのは、
ひとえに、吉本さんの態度が、
揺るぎなかったからだと思います。

「あるものは、そこにある」という具合に、
誰にも当たり前のこととして、
「死」の周辺のことを語ってきた。
じぶんが若かろうが、老いていようが、
「死」は「死」として同じように語るし、考える。
こういうところも、
まねしたいものだなぁと思ってきました。

ただ、やはり、目がますます不自由になってきて、
歩くのも困難になって、
ふつうに日常を送ることだけでも、
なかなか大変になってきているんだろうなぁ、
というような状況を目のあたりにすると、
まるまる平気な顔をして「死」にまつわる話をするのは、
聞いている側としても、根性がいります。

今回のように、具体的に、
「じぶんのこと」として
「葬儀」やら「墓」やらについて聞いているのは、
なんだかそれだけで、さみしい気持ちになりました。
もっと、笑いで混ぜ返したりもできたのかもしれないけど、
たんたんとまじめに聞いていました。
糸井重里

糸井 吉本さんちのまわりには、
猫がたくさん住んでるんですが、
これはお墓が近いからでしょうか?
吉本 いや、お墓というより
広い場所がある、ということなんでしょう。
ぼくは、猫だけはわりあいに、
子どものときからずっといっしょにいます。
それは野良猫ですけどね。
猫さんが死ぬってときは、
ぼくの経験によれば、
それまでどんなに一緒にじゃれたり
近所にいても、そこから離れて
暗くて静かなところにこもって亡くなります。
糸井 みんな蒸発したまんまになっちゃうんですね。
不思議だけど、なんとなく、
ぼくはわかる気もします。
吉本 ぼくはね、死んだら、
町会葬にしてくれ、と思ってます。
テントだけ貸してくれるんですよね。
糸井 町会のやつですね、はい、はい。
吉本 そこで、テントだけ貸してもらって
それらしく装ってくれればいいです。
生きてるときにえばるやつがいても、
あいつはしょうがない、って思えるけど、
死んでからお葬式で盛大になんて、
そんなこと、意味ねぇじゃねぇか、と思います。

別に無神論を主張しなくたっていい、
そんなことも意味はねぇや、と思います。
だから、別に遺言じゃねぇけど、
ぼくは、町会葬にしてください。
糸井 なんとなく憶えておきます。
吉本 誰かがヘンなことしようとしたらね、
町会葬だ、って、そう言ってください。
強情な連中ばっかりですけど
もう、がんばって、言ってください。
糸井さんが言えば聞いてくれると思うから。
糸井 わかりました。
吉本 ぼくんちのお墓は、
浄土真宗で、明大前にあるんですよ。
とても小さいお墓です。
親父が無理して、きっと郷里から
持ってきたんですね。

親戚の人とかが、ときどき
おまいりに来たりしますけど、そういうときは
明大前で電車を下りて
そこの墓地のいちばん小さいお墓を探すと
出てきます、と案内します。
だけどぼくらも、もう何年も行ってるのに、
お墓に着くまでに迷ってしまいます。
糸井 迷っちゃうんですか(笑)。
吉本 どこだったっけな、って。
それで、ぼくの兄貴なんですけど──
ぼくの兄貴はね、本職は電気工事で、
資格で言うと甲種というのを持ってました。
糸井 甲乙丙の甲ですね。
吉本 そうそう。
それで、のちに食料品の佃煮屋さんに
商売替えしたんですけど、
その兄貴には、息子がいました。
いまは大きくなってるけど、
その子が小さいときに
親父が亡くなったんですよ。

そのときみんなでいっしょに
ぞろぞろ、お墓に行ったわけです。
そして、その息子がお墓を見て、
「ちいせぇ墓だなぁ」と言ったんです。
「もっと大きいの、建てればいいじゃねぇか」
とか、言ったんですよ。

そしたら、兄貴の商売関係の、
商店街の会長さんみたいな人がそこにいて、
こう言ったんです。
「ぼうず、お墓っていうのは
 小さいほどいいんだぞ」
糸井 おおお。
吉本 それからぼくは、
そのおやじを尊敬するようになりました。

ぼくはそれが、ほんとうに忘れがたいんです。
こりゃあしかたがないよ、
兄貴が親愛を感じて、
商店街の佃煮屋さんの会みたいな
この人のところへ入ったはずだ、
と、解釈しました。

それはそれは立派なもんでね。
子どもは何も知らないから、
「もっとでけぇ墓がいいや」
と言ったんだろうけど、
その人は、
「それはちがうだろう」
って、すぐに言った。
糸井 見事だなぁ。
「小さいほうがいい」
そのひと言で、ひっくり返りますね。
吉本 そうなんですよ。
やっぱり、いい人というのは
どこかにいるもんですね。
どっか、隠れているもんなんだなぁ。
糸井 はい。
吉本 お墓というのは、何ていうか、
その人の生きざまみたいなもんでしょうね。
兄貴は意識的に
それを言うほどのことはなかったけど、
親父も兄貴も、貧乏だから
小さいお墓をかろうじて
その墓地に建てたんです。
かろうじて建てた、小さな、
半坪ほどのお墓です。
きたねぇ石で作ったお墓です。
糸井 それは、別の意味で誇りですよね。
吉本 誇りです。
現に、埃かぶってるでしょうけど。
糸井 埃かぶった誇りだ。
吉本 はははは。
糸井 ぼくは、観光で高野山に行ったとき、
親鸞のお墓を見ました。
親鸞のお墓って、
あちこちにあるんですよね。
吉本 そうそう、ええ。
そして、それは、全部ね‥‥
糸井 小さいんですよ。
吉本 そうなんですよ。
糸井 親鸞の高野山のお墓は
「これが‥‥」というくらい、
道祖神みたいに、小さかったです。
吉本 はいはい、それはそうでしょう。
糸井 さすがだなぁと思いました。
吉本 そうですね、
特別、さすがですね。
ぼくんちのお墓はそれより少し‥‥(笑)。
糸井 そうですか(笑)。
吉本 親鸞は、やっぱり立派なもんです。
糸井 それをさせた、という強さを感じます。
吉本 それは浄土真宗の本筋ですね。
まわりもたいしたもんだと言いたいところです。
俺はもう、
まわりとけんかばっかりしてるからダメだけど、
まぁ、糸井さんに言っておきますから。
糸井 ええ。
吉本 お墓なんかいらねぇ、骨は流しちゃえ、
というのも、ときどき聞きます。
真面目なやつが亡くなったときとか、
そういうこと、ありますね。
糸井 はい、散骨ですね。
吉本 家族の人たちが船を借りて
海に流しにいったりするらしいですね。
糸井 吉本さんは、それはどうですか?
吉本 いやぁ、いやです、いやですね。
糸井 うーん‥‥散骨というのは、
無神論を表現したいという気持ちが
あるんでしょうか。
吉本 無神論なら、骨はそこらへんに置いとけば
いいんじゃないでしょうか、
庭のそこらへんにでも。
糸井 (笑)そうですね‥‥ただ、法律的に
庭には、たぶん埋められません。
吉本 じゃあ、庭に、っていうことは
内緒にしとかないといけない(笑)。
だけどわざわざ船を雇ってまで
沖のほうに出て放ってくれというのは‥‥
糸井 かえって平凡な感じにも思えるし。
吉本 特にそういうふうに
目立ちたいんでしょう。
糸井 うん、そうかもしれませんね。
ぼくが青山墓地で見た限りでは、
でかいお墓は軍人さんに多いです。
吉本 戦争中は誰より
世間的に崇められた、
というのが軍人ですからね。
糸井 しかも、残された人たち──つまり、
その威光を伝える人にとっては、
墓がでかくないと、
自分たちの地位も下がるわけですよね。
もしかしたら墓というのは
すごく政治的なものかもしれません。
吉本 そうでしょうね。
位が下のやつが上のやつより
墓を大きくするということも、できないですね。
「俺の墓は、下のやつよりも
 もっと小さくしろ」
なんて言う人がいたら、
それはそうとう優秀だと思います。
糸井 墓を小さくするというのは、
強い意志が必要ですね。
人間のかっこつけ方や表現は、
ほんとうにきりがないし。
吉本 きりがないです。
でもまぁ、遠慮なく小さいお墓でいきましょう。
糸井さん、それはほんとうに
ぼくの遺言だと思ってください。
糸井 わかりました。
吉本 みんながかっこいいことしようとしたら
そんなんじゃだめだと言ってください。
糸井 うーん‥‥だけど、
「わざとらしくなく」ということで
全部やるというのは、
じつはなかなかホネですね。
吉本 どこかで見栄も入るし。
糸井 他者の意志も入る。
吉本 死んでから文句言えないですから。
糸井 うん。
だけど、それは、表現ですもんね。
吉本 そう、死の表現ですからね。

(不定期連載で、続きます)



2010-03-14-SUN


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