── | 今日は、糸井さんに、 土屋耕一さんのことばについて、 教えていただきたいと思います。 |
糸井 | はい。わかることだけですが、 よろしくお願いいたします。 |
── | 土屋耕一さんは、糸井さんが コピーライターとして尊敬するいちばんの方、 とうかがったことがあるのですが。 |
糸井 | そうですね、コピーライターというのは──、 ま、職業というものはみんなそうなんですが、 「人が道具として機能する」 ということなわけです。 |
── | はい。 |
糸井 | 消防士であれば、火を消す。 障子が破れていれば、セロテープでくっつける。 その「くっつける人」は機能しています。 しかしそこで、破れた障子を 梅の花の形に切ったきれいな和紙で くっつけた人がいたとしましょう。 それは、機能ではあるんですが、 「梅の花にした」というところに‥‥何かがある。 |
── | はい、何かがある。 |
糸井 | なおかつ、それがきれいだったら、 言うことないですよね? 土屋さんの書くものや作るものには、 道具として機能するだけじゃない 何かがあるんです。 つまり、梅の花を貼りつけたことによって 「その人がいた」ということが、 作った本人にも、 見てる人にも、よろこべるんです。 |
── | お互いの存在を「よろこべる」んですね。 |
糸井 | そうです。 土屋さんが書いたもののなかに、 その「よろこべるもの」が入ってるんです。 |
── | ‥‥それは、わたしたちがときどき、 糸井さんの書かれたものについて そう感じることがあるのと、似ています。 |
糸井 | もしそうだとすると、ぼくはまず、 土屋さんのことばの中にそれを見ています。 いまのぼくが使ってる、 点の打ち方とか、改行のしかた、 それから「冗語(じょうご)」といわれるものを 文の中に混ぜるのは、 伊丹十三さん、竹中労さん、 そして、土屋耕一さんの影響が 強いと思います。 それはつまり、その人がいた「気配」を 文章の中に入れていこうという書き方です。 「聞き書き」の文に近いものだと思いますが、 それを、土屋さんはコピーに使いました。 まったく、発明だと思います。 たとえば、土屋さんの書いた伊勢丹のコピーで、 「あ、風がかわったみたい」 というものがあります。 1978年 伊勢丹 春のキャンペーン 写真:細谷秀樹 その「あ、」とは何でしょうか? 「風が変わったようです」と書けば 同じことが言えるし、 機能としては、そっちのほうが いいかもしれません。 しかし、コピーライターは、 機能を超えたところで 機能以上の機能を発揮するように、 書きたいものなのです。 土屋さんは、その「あ、」というのを 広告のコピーで、最初にやりはじめました。 |
── | 「風がかわったみたい」では、 だめなのでしょうか。 |
糸井 | ええ、だめです。 からだで「風がかわった」と感じるのが先で、 意識するのは後なんですよ。 それを「あ、」で土屋さんは ディレイさせてるんですね。 それから、ぼくがあきらかに、 これはありがたいと思って真似してるのが、 「ま、」ってやつです。 「ま、」も、土屋さんが 最初だったんじゃないかな。 |
── | 「ま、」って‥‥いまではみんなが 普通の文のなかで しょっちゅう使ってる、アレですよね。 |
糸井 | そう。 「◯さん(目の前にいる「ほぼ日」乗組員の名)と 京都に行くということは、 なかなかたのしいものです。 ま、そういっても、 たまにでないと、困るのですがね。」 と書いたときには、その「ま、」は 接続詞として存在する。 でも、「しかし」などとは役割はちがいます。 「ま、」で間を置いて、 もうひとつの心を言うのです。 |
── | そうですね。 |
糸井 | その「ま、」が使えるか使えないかで、 書く文章はずいぶんちがってきます。 「で、」などもそうですね。 ぼくは、土屋さんの書いたものでそれを見つけて けっこう使ってる。いまじゃみんなも使ってる。 そういった、土屋さんや伊丹さんの 「話体」といわれる文章を 若い時分に読んでなかったら、いまのぼくは、 ぜんぜん違うんじゃないでしょうか。 |
── | 話しことばをコピーの中に入れたのが、 土屋さんなんですね。 |
糸井 | そうですね。 コピーというのはつまり‥‥ 「代弁」の形を取ります。 |
── | はい。 |
糸井 | アナウンサーのようになるべく正確に、 「機能としてしっかりしていて、嫌みがない」 というところに持っていきたいのです。 しかしそうすると、 ほんとうの「代弁」になっちゃって、 「人あたりのいい機能」というだけになります。 それはね、信用されないんですよ。 |
── | 機能だけでは信用されないんですか。 |
糸井 | むしろ「私の咀嚼」「私のフィルター」を通して、 語るほうがよいのです。 土屋さんを代表とする すぐれたコピーにあるメッセージは 「商業的な意味を持つかもしれないけど、 少なくとも私は、 こう書けるところまでは考えたんだ」 というようなことを意味します。 |
── | 話しことばをコピーに入れることで、 コピーライターの役割はずいぶん 違ってくるのですね。 (つづきます) |
2013-04-22-MON