鶴瓶 |
大阪人を受け入れない名古屋で、
名古屋人として中学生たちに認知されて……
あの番組、ぼくは9年やったんですけど、
終わりごろには、
愛知体育館が満杯になったんですよ。
「さよならミッドナイト東海」と言うので。
同時に、大阪では、
さっき糸井さんが言ってくださった
『ぬかるみ』で
集中豪雨のような人気やったし──
その頃、京都でも、局の人と
ケンカして番組を辞めたりしているんです。
テレビでは、ハイテンションの芸人として
番組をやりながら、そうやって、
ほんとに自分がこうだと思うことを質問し、
自分がこうだと思うことを
言っていこうと感じる自分がおり……
そうやって、バランスを保っていたんです。
テレビ番組で人気が出ても
「自分でラジオの番組企画を作るのは
あたりまえや」と思っていたから。 |
糸井 |
「ケンカっ早い」ということを
芸風にしなかったことが
よかったんでしょうね。
だからこそ、この人は
ほんとに怒ってるんだと通じるわけで……。 |
鶴瓶 |
ぼく、ぜんぜん、
ケンカ強くないし。毒舌でもないし。
でも、ほんとに腹が立ったら、
そりゃ言うでしょう?
こっちがこないにあやまっているのに、
いつも向こうから来るから、
「それやったらこっちも言うか!」
っていうことになるんですよ。 |
糸井 |
「窮鼠猫を噛む」だよね。
「一生窮鼠」みたいな人なんだよね(笑)。 |
鶴瓶 |
その『ミッドナイト東海』が、
いまもやっている、CBCテレビの
『スジナシ』
をはじめるきっかけになっているんです。
その番組を作っていた連中が
「名古屋でなんかやってよ」
いうことになったんです。
番組が終わってずいぶん経っていたけど、
中学生・高校生を集めての企画をいただいて。
「でも、こんなんしても、
年が違うし、合わない」
「どんなんしたいんですか?」
「実は、いま、役者さんに
私生活を聞く番組って、よぉあるよな。
でも、もうそんなん聞きたない。
その人がなに食っていようが、
誰と恋愛しようが、そんなのどうでもええ。
そういうのではない、ちゃんとした
役者のインタビュー番組が、世の中にない。
役者だから、やっぱり演じて、
演じおわって会話をしたときに、その人に
『なんであそこでアキコさんって言ったの?』
『実はアキコって、わたしの従姉妹で……』
そういうインタビュー番組って、できない?」
そう言って、
「俺もできるかどうかわかれへんけど」
とはじまったんです。 |
糸井 |
へぇー。
|
鶴瓶 |
やっぱりぼくも、
同じことをあんまりしたくないんです。
だから、
『スジナシ』みたいなことができて、
こんなにたのしいことはない。
他でもそういう仕事のしかたをしてます。
たとえば、フジテレビの
『あかるいニュース』でも、スタッフに恵まれて、
あんなたのしいことないじゃないですか。 |
糸井 |
あの番組、やってる本人たちが、
いちばんたのしいですよね。 |
鶴瓶 |
あれ、落語の世界なんです。 |
糸井 |
ほんとにそうだよね……。 |
鶴瓶 |
誰の悪口も言わず、
人のあかるいところを見るっていう、
落語なんですよ。 |
糸井 |
ぼくも、ゲストに行って
「あ、落語だ!」って思って。 |
鶴瓶 |
そう言うてたね。
そのとおりで、まったく、落語なんです。
たとえば取材に出るでしょう。
でも、前取材が、
まったくなんにもないんですよ。
北のはしからインタビューしていこう──
「明るいニュースありませんか?」
そういうインタビューなんですよ。
そんな大胆な……。
もう、スタッフが俺を信頼してくれてるから、
それじゃあ、稚内行って
聞いていこういうんやけど、
そんなもん番組になるかどうか、
わかれへんでしょう?
でも託されて、せなあかんわけです。
寒い稚内に立つ……でもね「クーッ」って、
もうなんか、ちょっと念じるんです。
すると、最初に
「あかるいニュースありませんか?」
と聞くところが、
もう、もんのすごい風で雨なんです。 |
糸井 |
最初から。いいなぁ……(笑)。 |
鶴瓶 |
これはええな思て、
ビニール傘を借りてガーッと差すんですけど、
「えっと、今、最北端の宗谷岬のところで……」
言ったら、傘が、ブワーッて飛ぶ。 |
糸井 |
(笑) |
鶴瓶 |
ブワーッ!
ほんだら、そこに
ワーって寄ってくる
関西のオバちゃんがおんねや。 |
糸井 |
北海道に?
どこにでもいるね、関西のオバちゃん。 |
鶴瓶 |
もうキュー出したように、フーッとおるの。 |
糸井 |
(笑)
|
|
(明日に、つづきます) |