糸井 |
初舞台の場所では、
鶴瓶さんは、何をやっていたんですか?
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鶴瓶 |
落語をしてたんです。
そこへ来はる人の中には、
その日その日に仕事があるかないかの人で、
まぁ、酒飲んだり、よぉしてはるんですよ。
だからなんというか、
ハチマキしてるお客さんが多いんです。
雨が降ったら、
そのハチマキを雨宿りにできて。
いつも怒ってはるんです。
おっちゃんとおっちゃんが、ケンカしはるんです。
そこは、
ぼくも割となじむのも早かったですよ。
「おっちゃんたち、
なんでハチマキしてるか、わかりました。
ずっとここへ通って研究したんですけど、
みんな眠たいから目吊り上げてんねやろ」
という話をして……
ほんだら、「なんやこらぁ!」と怒られたり。
おっちゃんらが飲んでるお酒が
バクダンいう、なんかいろいろ混ぜて、
飲んだらすぐに酔ういうお酒を飲んで……。
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糸井 |
そこでの経験は、
自分の中にたっぷり入っていますよね。
どうなっても生きられるみたいなことを、
最初に、見ちゃったんですかね。
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鶴瓶 |
そこが初舞台の経験いうのは、
すごく自分の中では大事で。
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糸井 |
そんな人も、笑わせるわけですよね。
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鶴瓶 |
ほんとに芸が好きで
来てはるおっちゃんもいてるんです。
ずっと見てはるから。
こっちは、そのおっちゃんらが、
新鮮だったり「むかつき」だったりしていて。
若い頃やから「むかつき」が多かったんです。
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糸井 |
ぼくもそうでしたけど、
実力がない若いときって、
なにかと怒ってますよね。
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鶴瓶 |
うん、むかつく。
だけどとにかく、
どないかしてこいつらを
笑わしたらおもろいやろなと思う。
そういう集団の中では、あきらめずに、
ちょっとブームを起こすことが大事なんですよ。
自分がひとりよがりかもわからへんけど、
ぼくが出てくるとよろこんでるおっちゃんが
何人かいてることが、大事やということです。
それがあると、次の、言うたら、
ちょっと大きなところにも、
店出せる、いうところはありますね。
何にもせんと惰性でやってると、絶対だめですわ。
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糸井 |
店構えさえ大きければ、
繁盛するのに、なんてことはないんだね?
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鶴瓶 |
「きらきらアフロ」という番組は、
深夜のテレビ大阪の
小さいスタジオでやりはじめたんです。
これをほんとに
全国ネットにしたいと思っていたんですけど、
テレビ大阪から
テレビ東京にネットするってことは、
ありえないんですよね。
最初からネットしてるやつは別として。
それが今は三〇局に近いですから。
やっぱり、
「これはおもろい」と思うことを
ずっとやり続けると、
それはどんどん広がっていくという……
タモリさんがすごいのは、
マニアックなのが好きなのに、
王道でもできるわけですよね。
タモリさん、
ほんまにマニアックなんが好きなんですよ。
「タモリ倶楽部」なんか、
すごいマニアックでしょ、あれ。
ぼくは、そういうマニアックな部分を
ずーっとやってるのに、
それがどれだけみんなに浸透するか、
ということがすごく好きで
やってきましたからね。
だから、「パペポ」のときに、
糸井重里、それから浅井愼平が、
この番組観てるとか知ってると言うたとき、
めちゃめちゃうれしかったからね。
とうとうそれは、そういう人が! と。
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糸井 |
笑いの中でも、
炭火みたいな、遠赤外線みたいな味って、
また、いいんですよねぇ。落語のようで。
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鶴瓶 |
そうそう。いいカマドで、
おいしいごはんが炊けて、
食べたあとのうれしい顔。
それがまあ、ほんとに「落語会」なんですよね。
それが今、日本にはごっつい必要や思いますよ。
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(鶴瓶さんとの対談は、今回でおわります。
ご愛読、どうもありがとうございました)
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