糸井 |
いまでも、鶴瓶さんは
例えば「らくだ」をやるとき、
師匠から習うんですか?
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鶴瓶 |
うちのおやっさん、
もう死んでますからね。
だから自分でやったんです。
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糸井 |
師匠のテープから?
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鶴瓶 |
はじめは、テープからですけども、
ぜんぜんもう変わってますけどね、いまは。
この世界におってよかった思うのは、
変えれること。
いつも、何をしても真剣やったんやけど、
落語というものに
真剣に取り組むのはまだ二年なんです。
いろいろ恥をかきながら、
ずーっといまに至っているわけです。
落語をやってると、
テレビやラジオでずっとやってきたものが、
ようやく活かされるというようなことがわかる。
ここなんやな、とだんだんわかってきてるんで、
「らくだ」も、やっていいのかなぁと思いまして。
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糸井 |
あれは、最後は、体まで使うような話、ですよね。
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鶴瓶 |
そうです。
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糸井 |
お客さんが、
もし、つまんないって思ったら、
もうあそこまでは、
ほんとにイヤな話ですよね、きっと。
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鶴瓶 |
自分がたのしんでるから。
うまいかどうかじゃなくて、
ほんとにたのしんでる。
他の方のテープを聞いていても、
やっぱりきっちりやっておられるから、
後半のほうは、そんなに笑いがないんですけど。
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糸井 |
あの話って、
聞いていて、こわいんですよね。
こわさがあるんです。
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鶴瓶 |
でも、ぼくは紙クズ屋がおもしろいから、
そのこわさをなくしたくないなと思う。
オチもみんな変えましたし。
自分のかたちでやろうかなと思ってね。
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糸井 |
鶴瓶さん、
落語やります、本気になっちゃいました、
と決めた後には「やっぱりやめた」とか、
思いなおすことが、ぜんぜんないですね。
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鶴瓶 |
やればやるほど、ね。
正直いうと、落語って、
極端にいうと一日でおぼえられるんです。
頼まれたら、そこでフッとやるには、
一日もかからんわね。
うまいかどうかはわからないけど、
そればかりやってたんです。
たとえば「堪忍袋」にしても、
袋のところを残して、
前を変えようとか自由にやってたんです。
しかし、やるんならきっちりやろうと思って、
今回の「らくだ」は、ほとんど一言一句、
ちゃんとおぼえて、ずーっとやってきて、
そこから崩していくというかたちにね……。
これはやっぱり、長いことかかります。
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糸井 |
昔は、話をちゃんと追っかけられて、
楽しませればいいと思っていたんですね。
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鶴瓶 |
そう思てたから、
瞬発力はものすごいあった。
自分の言葉でしゃべってるところがあったから。
だけど今度はもう、一語一句、
おやっさんの「らくだ」を
まちがわないように覚えて、
そのあと崩して自分のかたちでやると……。
それをやることによって、
やっていることは
よく似たことなんですけど、
ぜんぜん中身が違うということが
だんだんわかりだした、いうことですね。
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糸井 |
鶴瓶さんが、
もともと若い頃に
落語と接していたパターンというのを、
今の鶴瓶さんは否定しているんですか?
それとも、幼い頃だから
それでいいんだと思うんですか?
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鶴瓶 |
いや、否定してはいません。
そういうことも、大事なんですよ。
それがあったから、
稽古もしないでポーンとあがれるんです。
そんなん、ようしますやん。
稽古もしないであがるいうことなんて、
いまは、まず考えられないですわ。
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(つづきます)
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