鶴瓶 |
落語の「粗忽長屋」に出てくるような
ヘンなヤツはいないだろうと思うんですけど、
実はいるんです。
俺のまわりも、そんなやつばっかりおんねん。
桂春之輔っていう兄さんがいてるんですよね。
この人は、交通事故に遭うて、アタマを
バーン打って生死をさまよったんです。
「よかったでんな」言うたら、
「いや、あの先生はすごいわ。
これね、脳味噌グッチャ腫れててな、
あかんかったんやけど、
それを手術せんと、治るまで冷やして……
これがよかった」って言うの。 |
糸井 |
(笑)冷やして。 |
鶴瓶 |
「そうですか。
その医者、誰でんのん、名前?」
「忘れた」
命、助けてもろたんでっしゃろ、と……。 |
糸井 |
(笑) |
鶴瓶 |
ハワイでゴルフに行くと、
ゴルフカーでグリーンまであがってくる。
そういう人間、おるんですよ。 |
糸井 |
落語って、ぜんぶほんとですよね。 |
鶴瓶 |
ほんとなんです。
ほんとからできたもので……
長屋のなかの姿なんて、
誇張や思てる人もいてるけど、
誇張やないんですよ。 |
糸井 |
だから鶴瓶さんは、
本人が客席にいたい気分で、
高座をやっているわけでしょう? |
鶴瓶 |
まったく、そのとおりです。 |
糸井 |
で、その客席にいる自分は、
さんざん人を笑わせてきているから、
舞台の上にいる自分に対して、
「一生懸命やってることは認めるけど、
そんなんじゃあかん」
と言っているというか……。 |
鶴瓶 |
もう、自分へのダメ出しばっかりでね。
きつい。
でも、もうこれだけのネタがあるんですよ。
|
糸井 |
ネタ集を、
自分のカバンに入れてるところがおかしいけど……
あ、鶴瓶さん、ぼくがいちばん好きな
「寝床」は、ないんですか? |
鶴瓶 |
あ、「寝床」……むつかしいでっせー。 |
糸井 |
やっぱり、あれはむずかしいんだ。
ぼくは、文楽さんの「寝床」が、
いちばん好きなんですよ。 |
鶴瓶 |
あれは、やっぱり浄瑠璃も
ちゃんとしないとあかんし……
昔やったら、聞いて、
こんな感じかっていうのをやるんやろうけど、
いまのぼくには、それはやっぱり、
ちゃんと浄瑠璃も習わなあかんな、
という気持ちもありますし。 |
糸井 |
「寝床」は、そういう世界のものだけど、
浄瑠璃を演じるシーンは、実際にはないですよね。 |
鶴瓶 |
ないけど、
やっぱりそこを
知っていないとイヤやなと思うから。 |
糸井 |
なるほどなぁ。またいつか、やってね。
ぼくは、好きな落語家の「寝床」を、
全員ぶん集めたいんですよ。
それで聞き比べるのがたのしいんです。
「寝床」って、いちばん
その人らしさが出るものだから。
つまり、
あそこに出てくるダンナさんのことを、
愛して演じる場合と、
イヤなやつだと思って演じる場合と、
2種類ありますよね……
その微妙な好みが、入ってくるんです。 |
鶴瓶 |
やっぱりそれは、
生まれてきた環境と、
目の前にいる人を愛するかどうかで。
ぼくは、これは
ほんとに愛さないとダメやなと思う。
いま、ぼくはテレビで
『きらきらアフロ』をやってるでしょう?
その相方(オセロ・松嶋尚美さん)は、
それまで、お笑いの人たちを、
あんまり好きじゃなかったらしいんです。
と言うのは、彼女がしゃべると、
「おまえそれ、どこがおもろいねん?」
って言われたりして……これは、
いちばん最低なルールなんですよ。したらいかん。
ぜんぶがぜんぶとは思いませんけど、
お笑いがイジメのきっかけになるというのは、
そういうときには、
われわれもほんとに感じるんです。
「話が長い!」「今の話のオチは?」
とか……腕のないやつほど、
かならずそういうことを言うんです。
ぼくは、それをいっさい排除して、
あいつを愛してやると思った。
あいつの言うことすべてを
「ほんまにおもしろい」と受けとる。
まぁ、実際おもしろいからね、すべてを拾う。
そうやって愛することによって、
彼女はぼくを好きになってくれたんですね。 |
糸井 |
うん、うん。 |
鶴瓶 |
すると、安心感が出るんですよ。
だから、なんもおもろいことを言わんでも、
日常をしゃべったらいいんだという状況になる。 |
糸井 |
そしたら、生き生きしてくるね。 |
鶴瓶 |
そうすると、ぼくらは、言うたら、
女子高の同級生みたいにしゃべるわけです。
すると、愛することと、
愛されることによって、
信頼感が生まれる……そこには
「自由にしゃべる空気」があるんですよ。
オチも求められない。せっつかれない。
これはね、どこの社会にも言えるんですけど、
やっぱり、そうすることによって、
すごく仕事ができるようになるんです。
目の前にいる人を認めてやることによって。 |
糸井 |
「のびのびやる」っていうことですね。 |
鶴瓶 |
すると彼女は、
この番組によってひとつの脚光を浴びれる。
それをお笑いの人間が見る。
「おまえ、どこおもろいねん」とか、
「話なんやねん。
おまえ、言うてることわかれへん」とか、
そんなん言うてた連中が、
その番組を見て「おもろい」と思う……。
そういう切符を一度もらうと、
どこに行っても自信があるから
「こいつおもろい」と、
他の連中はすぐに言うてまうわけですよね。
さらに本人は自信がつく……
すると、どこに行っても
『きらきらアフロ』を演じられるわけです。 |
糸井 |
「いちばんいい自分」っていうのを、
イメージできるんですね。 |
鶴瓶 |
そうなんです。
いいイメージでよそで仕事をしていける。
もちろん、人のことは、絶対にイヤミを言わない。
これは、自分もそうされてきたからね。
救ってやろうという自分も見える……
すると、すべてのことに関して、よくなるんです。
落語というのにも同じ部分があるから、
落語のなかにイヤミが出てくる人というのは、
やっぱり、根本的に性格が……
最後には心が出るというのは、そうですよね。 |
糸井 |
心、出ますよね……。 |
鶴瓶 |
やっぱり落語の中には、ぜんぶ心が出ますよ。
小手先でうまくたって、やっぱりダメです。 |
糸井 |
なまじ技術がつくと、
やっぱり見せたくなっちゃうもんだから、
「ここは見どころですよ」
というふうに演じてしまう場合が、
特に落語の世界には多いなぁと思います。
だけど、お客さんの側からすると、
それはあんまり要らないんですよね。
……実際、めちゃくちゃ技術があってうまいのに、
それをひけらかそうとしなかったのが
志ん朝さんで、だからすごいんですよね。
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(月曜に、つづきます) |