糸井 | インターネットによって それまでは知らずに済んできたことが どんどん知識として入ってきてしまう、 ということがありますよね。 それはよいことでもあるけれど、 「選択肢を無限に増やす」という 難しい問題にもなっていて。 |
梅田 | そうですね。 自分ができることがたくさんある、 っていうことが見えちゃいますから。 |
糸井 | そうなんですよね。 |
梅田 | 選択肢も見えるし、可能性も広がりますし。 たとえば、あることを やったほうがいいなとみんなが思ったとき、 SNS(ソーシャルネットワークサービス) なんかをつかってうまく動きをつくれば、 ちょっとした原資で大きなことができたりしますから。 |
糸井 | そう、できちゃったりしますよね。 |
梅田 | できちゃったりするんですよ。 |
岩田 | 動機を広げてくれたりもしますよね。 たとえば昔は、誰かがどこかで困っていても、 「自分が助けられることがあるかもしれない」 ということを知らないまま生きていけたんですけど、 いまは、ひょっとしたら、実際に自分ができる以上に、 「自分が役に立てるかもしれない」 ということが見えてしまう。 |
梅田 | うん。だから、見えるし、 なにかやろうとすると、それができるし。 |
岩田 | で、自分の有限の時間やエネルギーを どこに向けるべきなんだろうということになる。 それを突き詰めて考えていくと 「自分が生まれてきた意味」というところまで 行っちゃったりしますから。 |
糸井 | なるほどなぁ。 そういう意味でいえば、規模は違いますけど、 ぼくらが若いころと、悩み方というか、 ジレンマの構造は似てるのかもしれません。 |
岩田 | できそうなことの多さと、できることの少なさと。 |
糸井 | そうそう(笑)。 で、最近の自分の傾向ということでいうと、 どちらかというと慎重になってきていて。 要するに、5年前には「いいこと」だったものが 10年経ったらもう「いいこと」じゃなくなったりとか、 そういうことが平気で起こりうるもんですから、 できる限り、「守れる約束だけを守りたい」 というふうに思うんですよ。 だから、ぼくなんかは逆に、 やれることがどんどん小さくなってきている。 ところが、そういうふうに、 やることをどんどん誠実に小さくしていったら、 妙に豊かになっていくというか、 さっきの梅田さんの話でいうと、 原資は小さかったのに、大きなことができるというか。 |
梅田 | 奥行きがグーッと広くなるという感じでしょう。 |
糸井 | そうそう。力が合わせられるようになって。 |
梅田 | それが正しいと思うんです。 逆に、間口だけを広げていくと、 広げたところに自分の時間を たくさん分配しなくちゃいけませんから。 すると、奥のほうにきちんと進めないんです。 |
岩田 | マスに向けた行動になってしまうと、 底引き網的にやるしかないので、 ひとつひとつに対して丁寧にできないんですよね。 すると、深さも出ないし、あと、なにより 副次的に生まれるものがない。 |
糸井 | あ! その言い方はすごくよくわかる。 |
岩田 | だから、たとえば糸井さんが いい土鍋をつくる人を見つけてきて、 「一度につくれるのは100個までです」 っていって売るなんていうのは、 マスのビジネスではあり得ない。 |
糸井 | そうですね、そうですね。 |
岩田 | だけど、たぶん、 それが届いた100人以外の人に、 いろんなことが伝わりますよね。 |
糸井 | そうですね。ああ、典型的ですね。 あと、お客さんに対してだけじゃなく、 その、いい土鍋をつくっている人も、 「その仕事をあきらめなくてよくなる」んですよ。 そういうことは、少なくともわかるなぁ。 やっぱり、技術やセンスを持っている人たちが、 その力を活かせない社会というのは、 豊かさを失っていくと思うんですよ。 そういうところが、 ぼくがいまやりたいところなんだな。 それがいま、逆に、見えてきましたね。 |
梅田 | けっきょく、間口だけをどんどん広げて、 自分という人間の個性も活かせないまま、 べったりとそこに時間が 費やされていく状態というのは、 ムダですよね、非常に。 |
糸井 | そうですね。 |
梅田 | やっぱり、その人固有のものがあるわけでしょう。 個性というか、得意な分野というか。 そういうものをみんながきちんと見つけて、 それぞれに掘っていけば、 そこに生じるパワーというのは、 インターネットという道具と相性がいいですから、 どんどんつながっていくと思うんです。 そうすると、世の中ってよくなるんじゃないかな。 まぁ、「よくなる」の定義はともかくとして。 |
糸井 | おもしろくなるのはたしかでしょうね。 |
梅田 | ええ。 (続きます) |