中国で600年の歴史を持つ昆劇、
その代表作『牡丹亭』に
玉三郎さんが取り組み始めたとき、
小泉首相の靖国神社参拝などの影響で
日本と中国の関係は、
決して良好とはいえなかった。
プロデューサーをつとめた
(ジンフェイ)氏はこう語っている。
「当時、日中両国の関係は
あまり良いものではなく
私たちのこの大きなプロジェクトは、
孤立無援だった」
玉三郎さんはあまり気にしなかったという。
ところがそれだけではなかった。
京都の南座での初演は、2008年3月。
その年の1月にあの毒入り餃子事件が起きる。
南座では20公演が予定されていた。
プロデューサーの?飛氏は
こんな時に日本の観客は来てくれるだろうか、
中国語の芝居を受け入れてくれるだろうかと
心配が尽きなかったという。
結果は、観客の反応は上々、大成功だった。
「2008年が終わった年越しのころでした。
あちらは旧正月ですから、2月なんですね。
それで年の瀬に
(共演した中国の人たちに)電話して、
正月は何するのと聞いたら
これから餃子食べるって」
玉三郎さんはにっこりと笑って続けた。
「すばらしい餃子食べてね、って話をしました」
去年10月公演のタイミングでも
尖閣諸島の漁船衝突事件をきっかけに
日中関係はギクシャクする。
『牡丹亭』はその節目、節目で
日中の関係悪化に見舞われることになる。
「本当に来られるかどうか、
まわりは心配していましたが
ビザさえ下りてしまえば舞台の上の人間は
ほとんど関係ないんですよ。
日本に着いたら問題ないし、
赤坂は楽しいって言っていましたよ」
玉三郎さんと中国のつながりは、
彼の幼少期から始まる。
中国でもかつて女形が活躍していた。
その中でも名女形として知られていたのが
梅蘭芳(メイランファン)。
その素晴らしさを玉三郎さんは
幼いころから聞かされて育ったという。
彼の父母は梅蘭芳が演じる舞台に接し、
特に酒に酔う楊貴妃を描いた
『貴妃酔酒(きひすいしゅ)』という舞台が
どれだけ素晴らしいかを
何度となく話していたという。
後に玉三郎さんが
歌舞伎というジャンルを超えた舞台を
手がけるようになったととき、
『玄宗と楊貴妃』という芝居をつくり
それをもとに『楊貴妃』という舞踏劇を
独立させていく。
その過程で、玉三郎さんは
梅蘭芳の息子で
やはり女形の梅葆玖(メイパオチュウ)氏に会い、
子供のころから聞かされてきた
梅蘭芳の名作『貴妃酔酒』が
昆劇の『牡丹亭』から
影響を受けていたことを知る。
そうした縁で、
玉三郎さんは『牡丹亭』を
日本語の作品にできないかと考え始める。
それがすべての始まりだった。
つまり、子供のころからのあこがれ、
そこからいくつもの縁がつながって
玉三郎さんが『牡丹亭』を
演じることになったのだ。
玉三郎さんは、京都での初演のあと
北京、蘇州、上海と
中国人の観客の前でも『牡丹亭』を披露した。
玉三郎さん以外、役者も観客もすべて中国人、
そこで日本人の彼が中国語で
主演を演じたのだ。
北京での公演でのこと。
その舞台にはあこがれの梅蘭芳が
好んで使った楽屋があった。
1961年の死後、
そこに足を踏み入れる役者はいなかったという。
ところが玉三郎さんがその鏡の前に座ることになる。
「どんな気持ちでした?」と私は訊ねた。
玉三郎さんは変わらぬ穏やかな表情で言う。
「ただ入って、お化粧して、舞台があいてから
楽屋を出入りしている間に、
ああ、梅蘭芳先生がここを通ったんだなあ、
っていう実感がやってきて。
ただ閉まっているとわからないんですよね。
だから開けて、きれいに掃除して、
楽屋をつくって、幕が開いて、汗をかいて、
舞台から帰ってきて、そこでお化粧を落として
ホテルに帰る間に、
あ、ここは梅蘭芳先生が使った
楽屋なんだということが、
ひたひたと出てくるんですよ」
中国では梅蘭芳が亡くなったあと
次第に女形はすたれていき、
今ではほとんど演じられる役者がいなくなったという。
今回の玉三郎さんの名演が、
中国での女形の復興という位置づけで
語られることも少なくなかった。
「それはとらえられ方だと思います。
もちろん復活したり、古典が盛んになることは
いいことだと思います。
ただぼくがそういう運動をすることは
不可能だと思います。
そういう動きをするための芸術は考えたことはない。
やったことに対して、周りの人たちが
色々な受け取り方をして、
周りの人たちが動いていくのは自由ですけれど、
自分が何らかの時代的なものに
働きかけるということは、
ぼくにはありません。
強いていうならば、400年前に書かれた戯曲を
解釈してやりたいということだけです。
偶然に中国の古典の発展につながれば、
うれしいですが」
子供のころから中国の舞台の影響を受け、
今回の『牡丹亭』では3年にわたって
中国人俳優たちと舞台を作りあげてきた玉三郎さんは
中国人をどんな人たちと感じているのだろうか。
中国との関係がぎくしゃくしてる時だからこそ
彼の中国観を聞いてみたかった。
そうした問いを発し会話を交わしている中で
玉三郎さんは中国人についてこう語った。
「大陸的な大きさがあるので、
対人関係は楽なんですよ、ぼくにとって」
「日本人とつきあうよりもですか?」と私は訊ねた。
すると玉三郎さんはこう続けた。
「と、ぼくは思います。ラテン系な感じ。そう思います」
ラテン系ですか、と私は聞きなおした。
中国人とラテン系は自分の中で
まったく結びつかなかったからだ。
そして玉三郎さんは
独特の中国観を披露してくれた。
(続く)
*坂東玉三郎さんの正月特別公演の情報はこちらです。
|