山崎豊子さんの訃報に接して思い出した言葉がある。 それは山崎さんが 『沈まぬ太陽』を書くことを決めたとき 日航ジャンボ機墜落事故の遺族の家を訪ね、 口にした言葉だ。 彼女は線香をあげたあと 遺族のほうを向いて、こう言い放った。 「あなたの恨み、私が晴らします」 遺族の方から、直接この話を聞いたとき ぞくりとした。 それだけの強烈な思いがなければ、 あそこまで綿密に調べあげ、 訴えられるリスクも負いながら (実際、なんども訴えられている) あれだけの作品群を残すことなど できなかったのかもしれない。 逆にいえば、不条理を許さないという 怨念にも似た気持ちが衰えなかったからこそ 死ぬ間際まで 書き続けることができたのではないだろうか。 そんな山崎さんの芯になっているのは戦争体験だ。 たくさんの仲間を失わせた不条理さへの怒り。 身を持って戦争を体験した世代には ゆるぎない背骨のようなものがある。 去年、放送した筑紫哲也さんの ドキュメンタリーを制作したときにも 同じことを感じた。 ジャーナリストとしての筑紫さんの原点は やはり戦争体験だ。 クラスで最も軍国少年だったという筑紫さんは 戦争が終わったとたんに 言うことが180度変わった大人たちに唖然とする。 そこから何ごとをも疑ってかかるという習性と 戦争は二度と起こさないという 生涯、揺るがなかったミッションを獲得する。 それに比べて、戦争を知らない世代はどうか。 たとえば自分を振り返ってみると 生まれたのは1960年、 日本が新安保条約に署名し、 池田内閣は所得倍増計画をぶちあげる、 つまり、日本がアメリカに依存しながら 経済専念国家になることが 決定づけられた年と言ってもいいだろう それと前後して、原発も計画され、稼働を始める。 何よりも、経済の効率化ばかりを求めて ひた走った時代と重なりあうのだ。 そんな自分がもっているミッションなど 戦争を知る世代の揺るぎなさとくらべると なんともあやふやなものか、と思うことがある。 バブルが崩壊して、目覚めると思いきや、 原発事故を経て、目覚めると思いきや、 いまだ日本社会は、 経済の効率化という強迫観念から逃れられずにいる。 さらには集団的自衛権、秘密保護法を 推進しようとしている中心にいるのは 戦争を知らない世代の政治家たちだ。 山崎さんのように、戦争を知る世代は、 これからも次々と退場していくだろう。 そのとき残された人々は どんなミッションで生きているのか、 いや、自分はどんなミッションを持っているか。 「あなたの恨み、私が晴らします」 それにしても、すごい台詞だ。 (終わり) |
2013-10-08-TUE |